10/01/21 09:55:48
国民総批評家になりつつある現代。
ネットのコンテンツサービスが増えて、掲示板だの日記だのブログだの個人の意見を好き勝手に放言できる環境が整って、目立つのは「批評」だった。
「愚痴」ならまだ可愛いものだ。不特定多数に愚痴を見せて、ほんの一握りの人でも反応があったら、書いた本人は報われるのだ。
それが同調であれ反論であれ。
ところが「批評」となると少々趣が異なる。
どうも高みからモノを言っているようにも見えるし、
押し潰されて悲鳴を上げているようにも見える。
同類の批評家を呼び寄せちゃったりして、批評の輪ができちゃったりする。
非生産的だなあと思ってはいたのだが、何故そのような行為がなくならないどころか増えていくのかが不思議で仕方がなかった。
確かに批評は楽な行為だ。
特に匿名性を保持できるネット上の書き込みに関して言えば、創作よりも批評文を書いた方が読まれる可能性も高かったりするのかもしれない。
先日その存在を知ったNECが運営するIT Squareの「ビジネス心理学」というコンテンツにはなかなか面白いことが書いてあった。
たとえば第7回の「有能な部下になるために」にはこんなことが書いてある。以下一部引用。
私は「批評家になるな」と自分に言いきかせています。
なぜなら批評は誰でもできる安上がりのパフォーマンスだからです。
なぜなら、酒場でのほとんどの話が「うちの上司はダメだ」
「あんな企画失敗する」と何かを批判する人々のオンパレードです。
「あの本には内容がない」「あの映画はキャスティグミスだ」「あの球団ではダメだよ」・・・・・
人は何かを批判することによって、自分を偉大だと周囲にアピールできると錯覚するからです。
このような人たちの心の中は、批評できるほどに自分は優秀で、
能力があるのだと信じたいし、周囲にアピールしたい心理が働いています。
批判型タイプは、自分からは何もしないで、何かのマイナスな部分を指摘します。
そうすることで自分は立派だと誇示したいのです。
人を批判する人ほど人に話題にされる業績もなく、
批評することで周囲の注目を必死で集めることに全力が注がれます。
心理学では、嫉妬は羨望の枯渇した感情なのです。