09/04/26 01:39:25
群体てのは最初のマクロスからの一貫したテーマですね。群体をメロディーで落ち着かせるとか。あらゆる場所に遍在する自分とは知覚の幅が広がります。
道具を手足のように感じる機能が人にはあるが。ネットワーク上で遍在し操れるもの達は拡大自己に充分ではないか。つまり身体なき自己の拡大がそこにはある。
私の場合はケータイだがケータイの釦と画面さえあれば限りなく自己を拡大したと錯覚紛うような知識をひきだせその知識も己の血肉みたく感じれる。ネットワークゲームやアバターも似たようなもんで、そんな
自己の鏡とその移せ身の拡大は今おこっている。その問題系にあったんじゃなかろうかー
>>1乙
もう寝ます