08/04/30 06:38:29
>沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる。
たとえば、この文章。
主人公視点ならばこれでいい。「幽玄」と感じたのは主人公だから。
幽玄と思おうが、妙ちきりんと思おうが、自由だ。
しかし神視点となると、だれが「幽玄」と感じたのかという問題が出てくるわ
けで、ここでは作者(=語り手)が感じたというしかない。
が、ここから先が難しいところで、読者もまた幽玄と感じなければ(作者に
共感できなければ)この文章は成立しない。作者が説明しているだけの文章
となってしまう。
では読者もまた幽玄と感じるだけの描写がされているかというとどうだろうか。
さらにいえば、読者もまた幽玄と感じるだけの描写がされているのであれば、
「幽玄」などと説明する必要はないのだ。
ということで、この文章は
「霞がかった沖に船が浮かんでいる」とすべきであって、それで
幽玄さを伝えられていないのであれば、描写にもうひと工夫をすべきである。
念のためにいうが、幽玄と説明することは描写ではないよ。
「神視点は難しい」「描写が不足している」とこのスレでたびたび言われるのは
以上の理由でもある。