08/02/23 19:43:17
正直に言うな。ばか。
409:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:43:33
佐原くん、文学的に語るとだね、
第一次産業さえも人間は自然の恵みにあずかってるだけであって、
何も生み出していないんじゃないかな。
そう考えるとだね、われわれ作家も、発想という恩恵に浴し、
ただただその発想を伝達するのみに尽瘁し、いずれ朽ち果てるのみだよ。
佐原くん、きみは神を信じているかい。
410:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:43:50
不屈の親切を発揮して、三度、読み返せ。
411:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:45:35
三回、読み返した。まだ、よく分からない。
412:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:46:18
おっけー、4回、読み返せ。
413:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:50:31
分かった。佐原敏剛氏がいわんとしているのは、分かりきった答えなどつまらない。
少なくとも用意された答に軟着陸するは文学ではない。
噛み砕けない問の提出こそが、文学の仕事だ、ってことなのだろう。
ちがう?
414:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:51:36
あと10回、読み返そうか。
415:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:52:08
むきになるなよ
ねぎwww
416:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/23 19:55:29
そうなると出版事業や映画産業に携わる人々は作家や作家志望者にとって
唯一の頼りになる存在であり、同士である。矢野編集長は頼りになる男だと思う。
風花で古井先生と話しているのを見てこれは本物だと(矢野氏はそういわれても
本音では嬉しくないかもしれないが)思った。そもそも出版や映像に携わる人々
広くはジャーナリズムによって生計を立てている人々、アマチュアの小説家や役者は
数にしてみるとどのくらいになるのかが最近気になる。音楽や絵画の世界も同様である。
芸術、思想、哲学、まあ、およそ文化と呼ばれるもの全てに人はどのように接しているのだろう。
417:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/23 19:56:13
そうなると出版事業や映画産業に携わる人々は作家や作家志望者にとって
唯一の頼りになる存在であり、同士である。矢野編集長は頼りになる男だと思う。
風花で古井先生と話しているのを見てこれは本物だと(矢野氏はそういわれても
本音では嬉しくないかもしれないが)思った。そもそも出版や映像に携わる人々
広くはジャーナリズムによって生計を立てている人々、アマチュアの小説家や役者は
数にしてみるとどのくらいになるのかが最近気になる。音楽や絵画の世界も同様である。
芸術、思想、哲学、まあ、およそ文化と呼ばれるもの全てに人はどのように接しているのだろう。
418:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 19:58:16
いや、ぼくが考えるに、
佐原くんは頭で文章を綴っているのではないね。
ぜんぜん立ち止まっていない。
「思い」が、手を動かし、手は野放図に「思い」を表記する。
佐原くんの文面にぼくが見るのは、佐原くんの「手の動き」さ。
すこし厳しいかい。冗談だよ。
でもまあ、佐原くんの書いた物は「部分的」に抽出して読めばいいと思うよ。
419:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/23 20:11:00
尽瘁ですか。辞書を引きました。
自然の恵みにあずかっている、ですか。
言いえて妙とは言えないですが、事実かもしれませんし
科学的根拠もあるでしょうね。人類がそうした科学的な見地から
物事をみるようになって久しいわけです。自然主義文学は
自然科学が成立した後に生まれてきたといいますね。
科学万能の時代とまで言われた二十世紀が過ぎ、科学万能とは
言えない状況が出てきたのは二十世紀の初めだった。
そもそもの初めから科学は矛盾を孕んでいただろうと思われます。
神を私は信じますが、神の実在は考えるのが難しいですね。殆どの人はそうであると思います。
そもそも考えるものではないのでしょうけれども。
420:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/23 20:20:03
>>413
綺麗に要約してくださったのではないかと思います。
そういうことであると思います。
人間存在を限界まで追究する姿勢が文学なのではないか。
421:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/23 20:29:51
「思い」ですか。なるほど御尤もです。
思惟という哲学用語がありますが、私は思惟しているのではないのかも知れません。
純粋思惟というものもあるが、それはカントかデカルトをもっと勉強しないとよく解らないし
一旦は理解できてもすぐ忘れてしまう。職人的芸術というものがあると思います。
職人気質の作家というものがいます。文学は芸術か、職人的技術が作り出すものでよいのか
という議論が有名ですが、それを問題にしたいのではありませんか?
職人的技術でよいとは確かにいえないかもしれないですがかの久米正雄にしても
あのドストエフスキーの作品を「作り物に過ぎないのではないか」と言ったことがあるそうです。
考え始めるとキリが無さそうですが。
422:名無し物書き@推敲中?
08/02/23 21:04:18
緊張がいるんじゃないだろうか?
クリントイーストウッドをインタビューを見たが、彼は成長したなー。
会話の切れがいいし、ユーモアがある。それに何より真実を語る。
彼を成長せしめたものはなんだろう。そう舞台に立つと言う緊張だろう。
作家志望は緊張が足りない。
売れ出したら、締め切り前になればいやおうなしに緊張が高まる
のだろうが、売れない内は、全く緊張がない。
何か意図的に緊張を高める方法は無いのだろうか。
423:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/23 21:03:59
妙という言葉を辞書で引くと非常に良いもっぱらポジティブな意味が列挙されている
その最後にほんの少し、申し訳程度に「変な」という意味があると書かれています。
妙子(たえこ)という女の子の名前がありますが、勿論美しい名前です。名前をつけられた女の子は
悩んだりもしそうですけれども
424:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/23 21:15:38
意図的にテンションをあげる、ですか。
役者さんは舞台に上がる前によく「テンションをあげる」
という言葉を使うそうですね。
作家にもそれが必要だと仰る。
私もネット小説でハードボイルドを書いていた頃は、もろにこの
「テンション」を意識して書きました。
題材が映画的であったからだと思います。
何しろアクションなくして成り立たないような世界でしたから。
425:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/24 01:58:05
『日常生活の冒険』を245ページ目まで読んだが、進まないので
文庫本の解説を読んだ。渡辺宏士という文芸批評家の書いた解説である。
1971年のこの解説が書かれた時点で渡辺氏は、従って作者の大江健三郎も
リアリズム文学はその役割を終えているという認識で一致している。
渡辺氏はこの解説を書いたとき、40歳を超えていたのではないかと思う。
氏は文学の可能性とそれが現代社会に於いてどんな状況にあるか、そこからの
再出発を促そうとしているように私には見える。
作品は1967年に発表された。41年前だ。今二十歳の若者が41年前を想像するとすると
私事は二十歳から二十一年遡ることになるから1966年から21年前、1945年を想像している
自分が丁度今の二十歳の青年がこの作品が書かれた当時をイメージするのと大体同じである計算になる。
無論、そっくりそのままその計算が当てはまるわけではないだろう。
1945年といえば、まだ戦争が終わっていない。それ位昔だということだ。
426:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/24 02:14:04
誤記訂正
可能性と→可能性を論じ
神経質に文法の誤りを気にする方がいると思うので。
427:佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t.
08/02/24 11:22:11
心理学的に個々の人間が抱くイメージや認識、或いは自覚や感情といったものについて
考えてみる。例えばここにチャンドラーの『長いお別れ』の文庫本がある。『長いお別れ』は
ちょっとミステリに造詣の深い本屋の店主であれば大抵置きたくなる商品であろう。
であるから、目の前の『長いお別れ』はに日本全国津々浦々、どこの家庭にでも独り者のアパートの部屋にも
或いは図書館にも、置いてあることが考えられるし、事実そうだろうと思う。
その『長いお別れ』を読んだという前提で、その本の表紙を眺めている人物がいる。
その人物の胸を去来する想いは人それぞれであるがここでまた彼または彼女がミステリファンだ
という条件を付け加えないとこうした考え自体が無駄なものになる。『長いお別れ』を読んだ感想は
百人いたら百人、どこからどこまで一致するのか。
それと同じことが人間社会の現実に対する個々人の認識にも当てはまるように思う。
当たり前のことを言っているに過ぎないのだが、私が言いたいのは人間の心理は
孤独なものであるということで、一個人の心理というものは誰からも束縛を受けることがない
代わりに誰の助けも得られない非常に危うく、脆いものだろうということである。
時代のギャップにせよ男女の性差にせよ、その違いが孤独を深める。
428:名無し物書き@推敲中?
08/02/24 12:17:40
>時代のギャップにせよ男女の性差にせよ、その違いが孤独を深める。
思うほど、違わないのかもしれない。積分っていうのがあるが、個々の違いは
時間差であって、一生を通じて感情を積分したら誰でもゼロ。そんな感じがする。
だから単調な言葉の使い方をしてはいけない。感情が100種類あるとして、
その起伏が状態として、それぞれS1-S100まであると100*99*98*...*1とおり
の背景があって孤独がある。私自信は100億の資産があって、しかも家族から孤独で
ある。一方橋の下で寒さに震えながら孤独を感じているものも居る。全く同じ孤独なの
だが、背景は全く違う。いや孤独の実態なんて殆んどないもひとしい。孤独というのは
今日は暑い、今日は寒いと同じ程度の起伏に過ぎない。むしろ孤独の背景こそ重要なので
そこに小説を書く意味がある。私の不幸が橋の下の彼よりも数段不幸なのは、そういう
ことなのだ。