08/01/07 13:09:24
ところで、てのひらって講評者はすべての作品に何かコメントを付けてるのかな。
見るだけなら、「見た」と言うだけでは、読まれた側(特に没になった応募者)にはメリットない気がするんだが。
ここをこうしなさいと教えてくれるわけでもないし。
選ばれなかった人は努力不足だから目に叶うところまで自力でどうにかするまで評価の対象外、
頂上の上澄みを優先して評価するよというのが文学賞で、それはOK。
超-1は埒外ランク外の人にも何らかの評がもらえる&講評書く側も怪談を読む能力が評価対象にされてる
ってことで、頂上の上澄みをどうこうするのとは目的が根本的に違うんじゃない?
書いてるうちにようわからんくなってきたけど。
とにかくドリの人は全く違うものを引き合いに出して比較して結局何がしたかったの?