07/12/29 10:10:31
てのひらに名君がい続けるのであれば、それはそれとして否定しないしそういう制度もokだろう。
てのひらは名君の判断力によって価値が規定され、名君に理解できないものは除外される。
超-1は名君がいないという前提かつ、所属する有権者の行動が価値を創造するため、有権者の
構成が変われば作られる価値観も変化する。
「応募者(有権者)の規模が一桁増えればという指摘は理想としては正しいだろうけど、そうなったら
そうなったで「もう一桁増えれば」と言われる「上がり続けるハードル」なので、現時点では気にしなく
ていい気もする。
結論としては、君主国家の人が民主主義国家の批判をするようなものだったと思うので気にしなくて
もいんじゃね? ということ。
超-1への関与をしないと宣言して離れた平山夢明は、民主主義国家への参加を拒否して国外へ
亡命した元国王みたいなもの。