07/08/25 23:41:50
バイクから降りて、私は月葉画伯の屋敷に足を踏み入れた。ホコリの上に幾多もの足跡が残っていた。画伯は故人で屋敷も
空き家な上に立ち入り禁止になっているのだが、ここに忍び込む連中が大勢いるのだ。画伯の最後の一枚を求めて。
月葉画伯はエイズという業病を背負いながらもその一生を絵描きに費やした人間である。彼が死んだ時、アトリエから出て
きたのは「四季のヘビ」と銘打たれる「三枚」の絵だった。それぞれ、春、夏、秋をモチーフにした三枚の絵だったが、屋敷
のどこを探しても冬のヘビの絵だけが見つからなかったのだ。
取材に来たTV局がいろいろ調べに来た事もあったが徒労だったようだ。庭に咲くスイートピーの俯瞰図が最後の絵だった
のではないかと推測する人間もいて、実際にそれを撮影した写真も出回っているが、あれはどうみたって絵ではない。
私には幸運が二つあった。一つは幼い頃に死期間近の月葉画伯と親交があった事だ。彼は極度の人嫌いだったそうだが、
好奇心半分に屋敷の庭に入り込んだ幼き私に絵を見せてくれたり話を聞かせてくれたり、親切にしてくれた。「私は最後
の絵は礼拝室の中に描こうと思うんだよ」と語っていたのを覚えてる。
もう一つの幸運、それは役所の無人建造物を取り扱う部署に配属された事。こうして堂々と屋敷の中を探索できる。
私は礼拝室のあちこち探しまわったが、絵らしきものは見つからなかった。熱心な月葉ファンの先人たちが親切にも
聖母像をカチ割ってくれていたが、中に絵が入っていた形跡は無い。ふと私はオルガンの蓋を開けてみた。中には無数の
弦が張ってあり、それらの一本一本に不規則で綿密な変色部が見られたが、それはやはり絵では無かった。
気の抜けた私は戯れにオルガンの鍵盤を叩いてみた。ラの音を出したその鍵盤は、レとファの中間にあった。稲妻に
打たれたような気がして、私は逐一鍵盤を叩いては弦を正しい位置に張り替える作業に没頭した。
こうして全て正しい位置に張りかえた弦達を遠目に見やると、土の中でスヤスヤと眠る一匹のヘビが現れた。
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