10/04/06 09:26:56
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人の目をみて話さない そのほか
宇野さん、
あなたはツイッター上で、
常に目をそらしながら人と話すんですね。
トヨザキさんに対しても、そうでした。
トヨザキさんが宇野さんにまっすぐ話しかけても、
トヨザキさんのことは横目で見る感じで、
大森望さんに向かって延々話しかけたりして。
URLリンク(masuno.de)
このくだりを心の中で数分反芻してみたのだが、
これは、私は、書き手の意図とは裏腹に、
「こういう人がいたっていいんじゃないかしら」と思うようになった。
私も宇野常寛って嫌いな書き手だったが。
しかし、宮台真司以降のあの手の人たち(ここは野蛮にそう括っておこう)の気分が、
「すこっ」と分かったような気になったのだ。
これがいまの時代の若者の倫理なんだ! と。
人の目を見ないで話すって、これは案外重要なことだ。
すごく精神分析的。
なにかを語るのに、相手の目を見ないで語ることこそ、文化的なふるまいだろうなと思う。
というよりも、文化的なことが、そこまで追いつめられたんだろう。
たとえばニーチェの『悲劇の誕生』だって、これは相当「相手の目を見ていない」。
NHKの朝ドラなんか称揚したりして、どういうつもりなんだと思っていたが、
そうか「目をそらしながら話す」のか。たしかに、それ、何ごとかをなした気に、なれます。
だって批評なんてもともと実作のハシタメでしかない。それだけだったら心は苦しむよね。
そうか、それを解決するために、ああいう文章なのか。
すごく、腑に落ちる。