10/02/24 19:08:53
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対談 「ゼロ年代にネットで何かを伝えるということ」
善良な市民×転叫院
「ブログでヌルく群れあっている奴等は死ね」
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三日間だけ有名人になって喜ぶようなネット論壇はダメだ
個人的な人間関係を持ち込んでいるような評論は価値がない
善良な市民(宇野)氏の方法論をまとめておこう.
彼は,相手をまず極端な場に位置づけようとする.それは,「極端でない自分」という立場を保持するためであるように思える.
彼は,このような言い方を用いる
「あなたはブンカ系パフォーマンスで悦に入ろうとしている」
「あなたは現実逃避の道具として現代思想を使っている」
「あなたは現実で恋愛できないことからの逃避のためにフィクションを利用している」
「あなたはただのオタクじゃない自分を見せようと頑張っている」
「あなたは大学で人文とかやっちゃうキモオタである」
と.
これに対する反論が出てくるのは当然だが,そこで反論が出てくることこそが彼の作戦の内である.「そうやってムキになるところがキモいのだ」「あなたが私
の分類に少しも当てはまらないなんてことがありますか? それはウソでしょう? 現実から逃げてますよ」という二の矢を,彼は予め用意している.
そう言われると,これらの批判は多くの人が,多少なりとも当てはまると思うことなので,「そう言われればそうだけど……」と口をつぐんでしまう.
彼は座談会やクロスレビューで頻繁に登場する「一生恋愛できないキモオタ」というのを仮想敵にする.「あの人たちは一生布団をかぶっていじけていれば
いいと思います」(PLANETS VOL.2 p81)と書いているように.
宇野さんの論法の危ういところは,「こういうことを書くと~~と反論してくる人がいるけれど,それは間違っている」という言い方をしているところであり,元の文
章の中で仮想敵や仮想愚民を作って,それを叩く,という形を取っている部分だ.
「一人で拗ねているよりはコミュニティを作れ」
「ただしキモいコミュニティには属するな!」
と,善良な市民(宇野)氏は主張するが,さて,コミュニティがキモいかキモくないかは何によって判断されるのだろうか.