09/03/02 23:56:03
「太閤記」(甫庵太閤記)が書かれたのは江戸時代。
徳川の天下。
豊臣なんて憎しみの対象以外の何物でもない。
東山霊山の墓所なんか破却されたほど。
方広寺と共に復活されたのは明治になってから。
そんな時代の「太閤記」が真実を書くはずがない。
幕府が読んでも、せせら笑う内容にするのが常識。
「笑い転げるほど卑賤の出なんだ」
「さもしいことをして出世の基礎を作ったんだ」
「武功など何も無くトンチみたいなことばかりしてたんだ」(トンチの一休さんは既におとぎ話)
「所詮はただの実務屋じゃねえか」
「こんなことで太閤になったんだな、たいしたことねえじゃんか」
と、思わせばよかった。
天下人だったことは否定のしようがない事実。だから、その過程を全て創作した。
権現様は若年より武功の連続、太閤の若年は薪を数えたり壁を直したり・・・。
これが、作者・甫庵の狙い。
事実は、実務屋なんかじゃ全くない当初からのキャリヤ。
海岸方面を除く今の名古屋市のほとんどを領する豪族。
いつまでも、そのままで独立させておくには危険な勢力。
かつ、秀吉自身も、信長を成長株と見込んだ。
こんな「太閤記」を更に脚色して大衆向けにしたのが「絵本太閤記」。