【割腹自殺】●●三島由紀夫2●●【肉体改造】at BOOKS
【割腹自殺】●●三島由紀夫2●●【肉体改造】 - 暇つぶし2ch550:無名草子さん
10/04/21 11:48:46
そこでは当然、私も切腹をしなければならないし、出勤の責任者としてのHと藤原も同様であろう。三島も
それを求めていたはずである。(中略)
Hらはこの三島の構想について米側とも話し合ったに違いないと思っている。
もう一度言う。クーデターは行われるはずだった。(中略)
三島は絶えず私にともに決起するよう促した。しかし私は拒否し続け、そうしたクーデター計画に突き進まない
よう、その話題を避け、もっと長期的展望に立った民間防衛構想に立ち帰るよう、新たなプランを提案した。
(略)武士道、自己犠牲、潔い死という、彼の美学に結びついた理念、概念に正面切って立ち向かうことが、
私にはできなかった。たしかに私は死が恐ろしかった。(略)そして私の死だけではない。何よりも私が
認めがたく思ったのは、三島を失うということだった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

551:無名草子さん
10/04/21 11:49:12
H陸将は、まだ私が三島に会っていなかった頃、このようなことを漏らしたことがある。
「おい、カモがネギをしょってきたぞ」
文学界の頂点に立つ人気作家三島由紀夫の存在は、自衛隊にとって願ってもない知的な広告塔であり、
利用価値は十分あった。その彼が広告塔どころか、自らを犠牲にして、自衛隊の自立という永年の悲願を
成就しようとしている。ジェネラルたちは、三島の提案した計画に実現の可能性を見たのだ。
三島が単なる文人などではなく、しっかりとした理念と現実認識に基づく理論の持ち主であり、戦略家、
将校としての資質と実行能力をもったりっぱな同志であることを知り、その人間的魅力に触れた私は、
陸将たちの不遜な見方に反発を感じるようになった。彼らにとって三島は、自分たちの目的を遂げるための
手駒に過ぎなかった。そして、彼らにとっては私もいつでも捨てられる手駒の一つであった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

552:無名草子さん
10/04/21 11:53:34
しかし三島は、彼らの言いなりになる手駒ではなかった。藤原らジェネラルたちは、「三島が自衛隊の地位を
引き上げるために、何も言わずにおとなしく死んでくれる」というだけではすまなくなりそうだということに
気づき始めた。三島のクーデター計画が結局闇に葬られることになったのは、初夏に入った頃だった。私はその
経緯を詳しくは知らない。藤原らは場合によっては自分たちも、死に誘い込まれる危険を察知したのかもしれない。
藤原は三島の構想に耳を傾けながら、参議院議員選挙立候補の準備を進めていた。(略)仮にクーデター計画が
実行されたとしても、その責を免れる立場に逃げ込んだとも言えるのではないか。いずれにせよ二人の
ジェネラルは、自らの立場を危うくされることを恐れ、一度は認めた構想を握りつぶしてしまったのであろう。
三島はむろんひどく落胆したが、自衛隊との関わりで行われていた訓練を禁止されるには至らなかったため、
決起の機会がまったく失われたものとは考えていなかった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

553:無名草子さん
10/04/21 11:54:17
むしろその頃から、三島の私に対する働きかけはより切迫したものになっていた。訓練に参加し、三島の考えに
共鳴する自衛官も増えている。逆境に立ちながら三島は、同志との結束を固め、クーデター実行の可能性を
つねに探っていた。(略)私が逃げるはずはない、三島はそう信じていた。(中略)
それは三ヶ条からなる新たなクーデター計画であった。その一ヶ条は、「楯の会」が皇居に突撃して、そこを
死守するというものだった。(略)五名の将校は三島の計画に深くうなずいた。(略)私は真っ向から反対した。
(略)「臆病者!」「あなたはわれわれを裏切るのか!」いきり立つ将校たちを、三島は手を振って制した。
(中略)この日切り出した問いの背後には、私がこれまでの態度を少しでも変えて、目標に転じる可能性が
あるかどうかを確かめようとする気持ちがあったに違いない。(略)彼は私を見限らなければならなくなった。
(略)しかし、三島は私を斬り捨てることができなかった。(略)私がいなければ不正規軍の戦いに勝つことが
できないとわかっていたからだ。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」

554:無名草子さん
10/04/21 11:54:48
(中略)
10月21日に向けて、新左翼各派はそれぞれにキャンペーンを繰り広げていた。学生だけでなく、反戦派と
呼ばれる労働者集団も戦闘的な街頭デモを展開して、革命前夜の状況を作り出すべく、10月から11月に
かけての闘争に全力を傾けよ、と呼びかけていた。(中略)
三島はその日をどういう気持ちで迎えただろうか。彼の構想を一度は受け入れたジェネラルたちは、その実行を
うやむやにする形で自分たちの身の安全を図ったが、断固とした態度で全面否定したわけではないらしかった。
三島は逃げ腰の彼らとの話し合いを続けるなかで、それでも状況次第では、自衛隊の治安出勤もあり得ると
考えていたらしい。(中略)
警視庁の当該部署に確かな情報源をもっていた三島は、当日の警備状況とともに、その日の街頭闘争が
どのような展開になり得るか、詳細な情報分析を事前に知っていた。(中略)
直前までマスコミによって盛んに報じられていた自衛隊治安出勤の可能性は、完全に断たれたのである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

555:無名草子さん
10/04/21 11:55:24
(中略)彼は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター
計画を実行することを決意していた。計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、
それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を
見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。彼は真の武士であった。
(略)彼がその可能性を求め続けた「クーデター計画」を阻んだ者がいる。(略)一人は私である。(略)
第二に挙げられるのは、H陸将と藤原岩市である。(略)二階へ上げておいて梯子を外したといわれても
仕方ないと思う。(略)
さらに国際情勢も三島に味方しなかった。(略)キッシンジャーが密かに訪中の準備を始めていた。もともと
アメリカと関係の深かった陸将たちだけが、いち早くこの変化に気づいたのかもしれない。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

556:無名草子さん
10/04/21 11:59:54
もっとも、自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとする
なら、三島の期待は実現したであろう。三島はその辺のところをはっきりと理解していた。彼が、私抜きでの
決起を想定した演習を独自に進めながら、絶えず私を計画に引き込もうとしていた理由の大半はここにある。
(略)根本的には同じ理想を抱く同志であった。いつも控えめに示す彼の情のほとばしりに、私は最後まで
温かい好意のようなものを感じなかったことがない。
(中略)自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、
不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く
国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の
中で実感していた。(略)その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、
二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

557:無名草子さん
10/04/21 12:00:24
―永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふり
しぼって、実現に力を尽くすべきではないか。あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったと
しても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。
(中略)―三島の真の決起は昭和44年10月21日に、果たせないまま終わっていた。(中略)
私は三島の行動の行く末と三島の身を案じる一方で、私自身の身の危険を感じていた。それを恐れていたことで、
私は三島に詫びたいと思う。三島は個人的なうらみで行動するような人間ではなかった。(中略)
最後の決起は、この国の行く末を案じるがための、捨て石としての死であった。自己の保身をのみ考えて
立とうとしない将官たちと、自らの運命に鈍感なすべての自衛隊員に対して糾弾し、反省を促したのである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

558:無名草子さん
10/04/21 12:01:10
昭和46年秋、三島の一周忌が近づいてきていた。せめて思い出につながる部下たちを集め、われわれだけでも
密かに三島を供養したいと思った。
11月24日、陽が落ち人の顔の判別がつかなくなる頃を待って、私は三島家の門前に独りで立った。(略)
私は、ただ合掌して唇を噛んだ。
翌25日夜、仮の祭壇を設け、私の手許に残った三島の遺品を供えた。部下の持ち寄りの供物をそなえ、
懐かしい三島からの手紙を朗読して読経に代えた。部下たちからすすり泣く声が洩れ、私も泣いた。
それが、私にできる本当に精一杯の供養であった。
そして、私の誕生日が来た。(中略)
私はその日、自衛隊調査学校の校庭の壇上に立って、学生や部下たちに別離の挨拶をしようとしていた。
「晩秋の巨雷とともに、私の夢も消えた」私は挨拶をこのように結んだ。
10代半ばの陸軍士官学校入学で始まった私の軍隊人生は、この日を以って終わった。(略)
三島由紀夫はもっとも雄々しく、優れた「魂」 であった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

559:無名草子さん
10/04/23 17:03:14
いつも読ましてもらってます。コピペしてくれてるひと、ありがとう。

560:無名草子さん
10/04/26 00:03:57
>>559
こちらこそ見て読んでくれてありがとう。また覗いて下さいね。

561:無名草子さん
10/05/01 10:55:38
「黒い大佐」と呼ばれるヴィクトル・アルクスニスという軍人がいた。ソ連邦維持、反共、反欧米を主張する
滅茶苦茶だが高潔な保守派の人物だ。ペレストロイカは世界革命のためだとわかっていた。領土問題については、
日本の北方領土に対する要求は絶対に認めない「愛国」、「憂国」の士だ。父はラトビア人、母はロシア人。
祖父は建国の大立者で、ナチスの陰謀だったといわれる「トハチェフスキー事件」ではトハチェフスキーを
ヒトラーのスパイとして死刑にした一人で後に銃殺された。父はカザフスフタンの炭坑に送られ一家で辛酸を
なめるが第20回党大会で祖父の名誉回復がなされた。
ラトビアに帰国したアルクスニスは航空学校に入るが目が悪く、ミグの整備兵になる。(中略)
アルクスニスはペレストロイカのもと、保守派に押されて国会議員になり、「反共ソ連邦維持連盟」を結成し、
改革派を西欧とつながった売国奴と非難してシュワルナゼ外相を辞任に追い込んだ。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

562:無名草子さん
10/05/01 10:56:07
1991年8月19日から21日にかけて保守派によるクーデタが起こったが失敗する。
私は枝村大使の了解を得て、24日の朝アルクスニスに電話し国会で演説する前に昼飯の約束をした。
日本人は情報が入らないと離れる、力のある者にだけすり寄りよると思われることを危惧したからだ。
中華レストランに誘い、自分の母が14歳で沖縄戦に巻き込まれた苦難を、人民の敵として辛酸をなめた
アルクスニスに語り、以下のやり取りをした。
アルクスニス「これから国会でソ連邦維持の演説をする」
佐藤「やれ、信念を通せ!」
アル「日本はカミカゼの国だろう」
佐藤「実は(熱心な社会党支持者の)母はこっそり靖国神社に通っている。姉が祀られているからだ」
アル「スターリングラードでソ連兵はドイツ戦車に特攻した。このことはタブーとして歴史から隠ぺいされている」
佐藤「カミカゼの精神とスターリングラードの精神は同じだ!」
アル「北方領土は日本からスターリンが盗んだ土地だ。おれはそれを知っている。日本は還せと言い続けるべきだ」

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

563:無名草子さん
10/05/01 10:56:41
アルクスニスは三島由紀夫の愛読者で、1989年ロシア語で出版された『憂国』が一番いいと言い次のように
評価した。 
・2.26事件の世直しとソユーズ(連邦維持を唱える院内会派)とは似ている。
・これは友情の小説だ。 
・主人公が決行部隊から外されたのは結婚したばかりというのはウソだ、決行の中心人物でなかったからだろう。 
・しかし主人公は夫人との愛、同志との友情の中にいる。

アルクスニスは私にボリス・プーゴのことを覚えているかと訊き、次のように語った。
「クーデタ派は破れソ連国家は崩壊した。 セルゲイ・アフロメーエフ参謀長はこめかみを打ち抜いた。
ラトビア人のプーゴ内務大臣はKGBが自宅に逮捕に来たが、役人を外で待たせ2発の銃声を発し、夫人と
一緒に死んだ。ラトビア人には血の掟がある。 名誉を守るために自決を選んだのだ。
ラトビア人は奥さんを先にし、『憂国』では奥さんが後だ。日本人は奥さんへの信頼が篤いからだろう」

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

564:無名草子さん
10/05/01 10:57:08
日本人もキリスト教的で死後のよみがえり、死後の復活を前提にしているといえる。
私はキリスト教(プロテスタントのカルバン派)だが、日本の神話にある世界観と聖書の世界観は同じだと思う。
天照大神とキリストは同じだ。仏教は壮大精緻な世界観を持つが、日本の神話では、聖書同様混沌の中から
世界がうまれる。いざなぎ、いざなみの営みからだ。これは平田篤胤に継承されている。
近代国家は欧米思潮の流れにあるが、その源流はギリシアにあり、ギリシア世界はドイツ語にある。日本の
知的退廃はこのドイツ語を学ばなくなっているせいだ。(中略)
新渡戸稲造や内村鑑三などの神学者が日本の「国体論」を一番わかっている。各国のキリスト教は別々に
つくられ、存在している。臣民の道、靖国を位置付けられなければ、日本のキリスト教とはいえない。(中略)
靖国に行くなというキリスト教徒はダメだ。霊性、リインカネーションを感じる力が衰えているのだ。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

565:無名草子さん
10/05/01 10:57:38
旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)ではカリキュラムの中で日本語の
三島の作品を読ませている。物欲のないこういった日本人にしてはならないと警戒しているのだ。
ロシアは新自由主義経済の流れの中でサブプライム問題に引っ掛からなかった日本の国力を恐れている。
ただぼんやりしていただけだが。
「ファシスト・サムライ」というロシア語には日本人への尊敬と畏敬の気持ちがある。
本当の日本人は「ファシスト・サムライ」でヘナヘナしているのはウソである、と思っている。
大いなる誤解だが誤解のままにしておけばいい。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

566:無名草子さん
10/05/01 10:59:00
(中略)
私は大学の2回生のときに小説を読まないことにした。哲学と神学書を読み、そのためにヘブライ語、ラテン語、
ギリシア語を勉強する時間を確保するためだ。ただし役に立つ小説は読む。
モスクワでは30冊くらい『憂国』をロシア人に渡した。三島にはテクストだけではない生き方がある。
三島は個別の命を超えた大義に生きた。
言っていることとやったことがかい離していない三島はロシア人の心を打つ。
キリスト教は自殺を禁止しているというが、国家に忠義を尽くすことをヤン・パラフというチェコの青年は
「プラハの春」の1968年ヴァーツラフ広場で焼身自殺して示した。
15世紀宗教改革に命をかけたヤン・フスの末裔の殉教者と見られて、今でも広場に献花が絶えない。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

567:559
10/05/01 15:27:30
>>560さん レスありがとう(規制に引っかかってました。遅れて失礼しました)

三島由紀夫は学生時代に全集を読んだのですが、読破するのが
目的になってしまっていて、よくわかってなかったです。
その後、生きていく途上で決定的な体験と大きな価値転換が起こり、生き方もまるで
かわってしまいました。
すいぶん後再読した三島の何冊かは
とても心の奥底まで響くものでした。ここ数年、読んでいなかったのですが、
2ヶ月ほど前から、三島のことがしきりに気になって、、、2ちゃん検索かけてこのスレ他をみつけました。この板では、評論家・三島由紀夫のほうも読ませてもらってます。
なんか涙でてきてしまうんですよね、、 ><

先日、ふと立ち寄った古本屋で、
「尚武のこころ/三島由紀夫対談集」日本教文社
「文化防衛論」新潮社
「対話/日本人論」(林房雄との対話)番町書房
1960年代の出版で、いずれも100円で、喜びいさんで
購入しました。(安さには複雑な心境)、、当時の息吹がそのまま伝わるようで、、
普段はあまり古書に対する愛着とか全くないのですが、、今回ばかりは違いました、、

すみません、、なんかものすごく泣けてきてしまう、、
自分の何かが激しく反応してしまうとき
それは、音楽とか場所とか、、ある条件がパズルのようにはまると自分の奥底から
わきあがってくる独特の反応です(言葉にならなくてすみません)

このスレ他のコピペを読まなければ、以上の本に出会うこともなかったでしょう。
誠にありがとうございます。本当は中身とかについても語れればいいのですが、
言葉使うのがけっこう苦手で(こうして書くのも初めてです)、、
ことばにならないんです、、 ><

また覗かせてもらいますね。重ね重ねありがとう。

568:無名草子さん
10/05/01 16:36:26
自演乙

569:無名草子さん
10/05/01 18:14:59
俺は大義に生きて大義に死ぬ キリッ

570:無名草子さん
10/05/02 10:01:14
>>567
心のこもったレスありがとう。微力ながら、あなたの三島再読のきっかけになって嬉しいです。
三島由紀夫の小説は文庫で広く読まれてますが、評論などはなかなか広く知られてないのが残念ですね。
その様々な審美眼や思想、毒気の中の優しい繊細な魂が、読んでいると伝わってきます。
より多くの人に読み継がれて、日本人の高い文化意識や魂が残っていくといいな、と思ってます。

571:無名草子さん
10/05/02 15:01:46
どんなに頭が良くても知名度が高くても,肉体的なコンプレックスには太刀打ちできない。

という,古今東西で世界中の人が思ってるけど口にはなるべく出さないようにしていることを
見事に実証してしまった人,という印象かな。

572:無名草子さん
10/05/02 17:30:08
>>571
そんな上っ面の三流解釈本並みなこと言ってる時点で、ろくに三島の本を読んでないのがバレてますよ。

573:無名草子さん
10/05/02 21:45:35
実在・実存以上に雄弁な事実はこの世に無し。

574:無名草子さん
10/05/02 23:13:55
実在した平岡公威=三島由紀夫の身長は同年代の男子平均より高かったという客観的事実


平岡公威 身長162,2㎝
(同学年全国平均値158,8㎝)
身体測定記録表より(昭和16年4月22日)

平岡公威 身体163,1㎝
身体測定記録表より(昭和17年4月13日)

575:無名草子さん
10/05/03 09:14:51
>>574
そんなあなたにw
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)

しかも身長だけじゃなくてひ弱な体質にも悩んでたんだし,
コンプレックスは尽きないねぇ。

576:無名草子さん
10/05/03 10:01:18
>>575
そんなものはボディービルでほぼ克服ずみ。三流解釈本の受け売りご苦労さんでした。

577:無名草子さん
10/05/03 14:33:18
>>576
> そんなものはボディービルでほぼ克服ずみ。

まさにこれこそが核心だっちゅーにw
自分から茨の道を歩いてどうするっての。
ファンってのはつくづく怖いねぇ


578:無名草子さん
10/05/03 14:57:10
>>577
天才を凡人の尺度でみても意味ない

579:無名草子さん
10/05/03 15:29:55
天稟があろうとなかろうと,凡人の感性からは誰も逃れられない,というオチ

平岡もまた例外では無い


580:無名草子さん
10/05/03 15:33:38
天才?三島が?どんだけ頭悪いんだか。

581:無名草子さん
10/05/03 20:26:32
>>580
三島が凡人なら、そんなにムキにならなきゃいいのにね。
頭悪いのはあんただよ。

582:無名草子さん
10/05/03 20:35:58
アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、
あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。もう一つ、同じような分岐点がある。
作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。
…一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。
まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。(中略)
モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。
…運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。
そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。車内に残っているのは、
運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、
「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

583:無名草子さん
10/05/03 20:36:27
ぼくはしばらく考えてから答えた。
「ああ、映画の話だろう」
「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。(中略)
窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。
そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。
(中略)アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに
確かめることができた。切断された首が床に据えられていた。
金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

584:無名草子さん
10/05/03 20:36:49
それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。(中略)
三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。
…モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、
かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。
…アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。
むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。恥ずかしいがあえて洩らせば、
十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。
…紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。
だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

585:無名草子さん
10/05/03 21:23:26
>>581
と,凡人が申しております

586:無名草子さん
10/05/08 23:57:59
公威は、独特の笑顔を持って生まれてきた赤ん坊であった。
明るく、底の方から湧き出るような笑顔である。笑うつもりもなく自然に顔中の筋肉がほぐれ、こぼれるように
溢れる笑顔こそ、生涯をかけて私を励まし慰めてくれたものだった。
二十歳の健康な母親には豊かな乳房があり、赤ん坊はほとばしる乳をたっぷり呑んで育った。この世から、
もしこの顔が消えることがあったら、私は生きていることは出来ない、とその時から幾年もずっと思い続けて来た。
もしそのような事があったら、誰が何を言おうと一緒にお棺の中に入ってしまおう。家中の者が泣き喚いて
止めても実行しよう、と思い定めていた。
それは、公威が長じて大人になってからも、消えるどころかだんだん強固なものになって来ていたから、
事件の時点で当然実行する筈であった。

平岡倭文重
「暴流のごとく」より

587:無名草子さん
10/05/08 23:58:29
ところが、あの時、はっきり拒否する公威の声があった。私は意味を考え、そして分かった。
折角の彼の行為が汚れるからだ。私が何をしたところで、公威の味わった苦しみにはとても近寄れないが、
これから先に立ち現れる障害に耐える力をあの時の公威が私に授けてくれたように思う。
重い重い石の塊りのような得体の知れないものがどっかり腹の中に居据わって、これは一体何なのかと私は
いぶかしく分析してみる。諦めとも違う。怖れとも違う。やはり公威の残してくれた一種の教訓と私は感ずる。
私が泣けば彼も泣く。私が喜べば彼も喜ぶ。私はもう泣かない。泣くものか、と気が狂ったように、止めどなく
私の感情は揺れ動き往きつ戻りつした。
そして残された者の心の在り方として、公威の優しさが一種の安らぎのかたちを取って、今ここにこうして私は在る。

平岡倭文重
「暴流のごとく」より

588:無名草子さん
10/05/10 14:24:27
>>585
と凡人を崇める低脳が申しております。

589:無名草子さん
10/05/10 14:49:48
三島の言い方は癇に障る
儲はことごとくコイツの劣化版だし気持ち悪い


590:無名草子さん
10/05/10 14:53:09
>581
みたいのが典型的だよな。
自信があるならスルーすればいいだろうに。
あんたの頭の悪さが笑えるよ。

591:無名草子さん
10/05/10 17:19:28
と、三島をスルーできない自演連投バカが申しております。

592:無名草子さん
10/05/10 22:14:40
まあ,ネタ切れになった創作家はみんなああいう風にあさっての方向に行くよね。
三島が今現在に現役の漫画家をやっていたら,だんだん絵が雑になって
休載がちになってそのうち「あの漫画家は今」系のネタに取り上げられる人になる気がする。


593:無名草子さん
10/05/10 23:31:41
>>592
ありもしない、あんたの想いたい空想なんかしてもしょうがないんだけど。三島が嫌いなら三島をスルーすれば?

594:無名草子さん
10/05/11 22:06:27
>>593
(^ω^)

595:無名草子さん
10/06/06 11:12:28
吉田松陰が七世紀の壬申の乱のことを『講孟剳記』で語っています。そこで、たとえば弘文天皇が天武天皇に
三種の神器を奪われてしまったとき、レガリアがないとはたしてレジティマシーが天皇としてあるのかという
議論を、前期水戸学が問題にしている。これについて、吉田松陰はそんなことはどうでもいいと言うんです。
三種の神器を天武天皇から弘文天皇の臣下が奪い返せばいいんだと言うんです。つまり認識や理屈よりも行動だと。
実践的な行動が大事だと言っているんです。(中略)
(私は)日本人を非常に信頼しています。特に一般大衆と言いますか、庶民を昔から信頼しています。たとえば
徳富蘇峰が『近世日本国民史』で元禄時代の忠臣蔵、赤穂義士の事件のことについて触れています。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

596:無名草子さん
10/06/06 11:13:02
あれはいつどういうときに勃発しているかと言いますと、元禄時代ですので、およそ享楽と歓楽の世です。
元禄の世の中は黄金万能主義で拝金万能主義の世の中だと。太平楽で一切戦争から離れて、元禄のデタラメかつ
狂乱の文化を謳歌していた時代に、突如として江戸に腹を斬らなければならない人たちが四十何人も出た
驚くべき事件が出来したと言っている。蘇峰はこれを大正時代の今日に東京丸の内へ虎が飛び出すよりも
驚くべき事件だと言っている。
つまり日本国民に潜在している尚武の気性は、歴史的にいよいよ危機になってくると必ず実践として噴出する
というわけです。山路愛山も福本日南も、歴代の近代ヒストリアンは皆同じです。
まさにその伝で三島由紀夫さんが身を捨てて、戦後の昭和元禄みたいな世の中に警鐘を鳴らしてくれたわけです。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

597:無名草子さん
10/06/06 11:13:37
確かに表面上はどんどん悪くなっていると思います。たとえば北朝鮮の拉致問題とか、憲法改正問題を含め
何一つ手を付けられない。その背後には日本国民の国家意識の問題がありますね。
たとえば有事法制を作った。北朝鮮で不審船の侵入事件がありましたが、あのときに自衛隊法八十二条で
海上警備行動を発動しようとしましたが、最初は巡視船でやっていて自衛隊はなかなか出ない。私が教えを受けた
坂本多加雄先生に言わせると内閣がもたもたしていたからだと言う。ではなんでもたもたするのかと言うと、
一般国民のなかにそういう構えができていないからです。しかし日本国民は健全だから必ず目覚めると常に
一貫しておっしゃっていました。私もそう信じています。三島さんのような人が、まさに昭和元禄の頃に
突如としてああいう行動を噴出させたようにです。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

598:無名草子さん
10/06/06 11:14:04
私はどんどん駄目になって遂に破滅に至る、日本が溶解するとは思っていません。近代以前もそうですけれども、
歴史を勉強しているうちに、そんなに捨てたものではないだろうと思うようになりました。
むしろこれから真の三島のような人がまた出てくるであろう。本当の危機のときに必ず日本人は英雄を生み出すと
山路愛山も徳富蘇峰も言っています。そちらのほうに私は賭けたいと思っています。
そもそも日本を溶解に導いているのは、むしろ政治家や知識人といったエリート層です。戦前も戦後も
そのパターンで、大衆国家日本の庶民の常識こそ信じたいのです。そしてそこから英雄が出現するだろうと。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

599:無名草子さん
10/06/10 00:04:51
戦後の日本人に大きな魂を残したのは、三島由紀夫と神風特攻です。これも実はフランス人がそう言っているんです。
ベルナール・ミローが『神風』という本を書いていまして、「特攻の精神は、千年のときを貫いて人間の
高貴さを示している」と1970年代に書いています。戦後の日本人に対して特攻隊と三島の死が非常に大きな
力と言いますか、日本精神の原点は何かということを教えてくれた気がします。
憲法の問題ですが、アメリカが作って翻訳された「たかが成文憲法」です。しかしこのたかが成文憲法を戦後
60年近く押し戴いている日本は一体なんなんだというのが私の今の正直な感想です。自民党がこうなったのも
当然だと思います。

富岡幸一郎「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

600:無名草子さん
10/06/10 00:05:25
三島が45年の11月25日に、自民党政権はもはや火中の栗を拾わない、すなわち憲法改正をしなくても
政権は維持できる。このことにどうして自衛隊の諸君は気がついてくれなかったんだと言っています。
そういう意味で、政治論ですけれども、たかが成文憲法を変えられない我々の問題も感じます。
あと二年のうちにということがどういう意味かと考えると、三島没後の72年にあれほど対立していた米中が
手を結びました。つまりあの瞬間に日本の憲法改正も、自衛隊が国軍になる日もなくなった。あるいはその
チャンスが失われかけた大きな危機だったのではないか。今はそれと同じ状況だと思います。スケールは違いますが、
同じ事態が出来している。アメリカと中国が経済同盟を結んで日本をスルーしていく。民主党政権の外交は全く
機能しておりません。

富岡幸一郎「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

601:無名草子さん
10/06/13 00:27:48
何年も前から檄文のなかにあった二年後というのが気になっていて、一体なんなんだろうとずっと考えていました。
あるとき気づいたんですが、一つは米中接近がありますね。もう一つは沖縄返還です。昭和47年に沖縄返還が
行われることは決まっていて、そのときにどういうかたちで返還されるのか。それによって日本という国家が
相変わらず独立できないまま半独立国家として、アメリカの永久占領が限りなく続いていくことを三島は見抜いていた。
彼が45年の生涯で書いたものの全てが、今の21世紀の私たちに突き刺さってくる問題ばかりを書いている。
それが天才の所以なんでしょうけれども、認識と行動の問題もつくづく考えさせられます。二元論に自分を
追い込んでいって、ラディカリズムがニヒリズムを克服するという方法論をとったのではないかと私は解釈しています。

西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

602:無名草子さん
10/06/13 00:28:20
(中略)
三島は現実的な問題も、十分捉えていたわけです。二年後に自衛隊はアメリカの傭兵になってしまうと
1970年の時点で言い切っていたのは、米中接近と沖縄返還のことを、すでに視野に入れていたということです。
(中略)
最近よく話題になる核のシェアリングの問題がありますけれども、そういったことも三島さんは考えていた。
それは日本の核戦略はどういうものになるのかと、40年前の時点で考えられ得る現実的なこともちゃんと
提起していた。国土を守るほうの自衛隊を、国軍として成立させることで、日米安保体制下のなかでの日本の
自主防衛をどうしていくかを、40年前のあの制約のなかで考えていたことは素晴らしい慧眼だと思います。

西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

603:無名草子さん
10/06/17 10:48:16
三島さんの檄文を読んでみますと、説明は少ないんですけれども、「アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を
守ることを喜ばないのは自明である」という文章があります。最後の部分で「今こそわれわれは生命尊重以上の
価値の所在を諸君の目に見せてやる」という有名な科白ですね。「それは自由でも民主主義でもない」と書いている。
これは普遍化のし過ぎかもしれませんけれども、先ほど富岡さんが言った特攻隊問題とも関係ありますが、
あえて分かりやすく言えば、三島さんは特攻世代です。帰されましたけれども、三島さんの頭のなかに、はっきりと
日本の特攻はアメリカ軍と闘ったんだという、当たり前のことが当然のこととして残っている。別に反米とか
なんかではないんです。三島さんの文学その他で、ほとんどアメリカのことなんて歯牙にもかけられていない。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

604:無名草子さん
10/06/17 10:48:36
逆読みをすると、アメリカなんかは、とてもではないけれども、文学者なり文学者の感性、美意識その他から言って、
自分たちがまともにそれを受け入れるべき存在ではないということが、三島さんにとってはおそらく自明のことだった。
したがって、アメリカが日本の自主独立を喜ぶわけがない。もっと言うとアメリカの自由民主主義は、まともに
受け取る必要のない価値観だと。僕自身が別の径路で誠にそのように思っているんです。
アメリカは元々文明の本質論として左翼国家だとしか思われない。左翼の定義はフランス革命に見られたように、
分かりやすく言えば、自由平等、博愛=友愛等々の、言わば理想主義的な綺麗事で、歴史に対して大破壊を
起こしていくことによって、そこから進歩がもたらされるんだと考える者が、十八世紀の末に左側に座ったと
いうだけの理由で左翼と言われていた。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

605:無名草子さん
10/06/17 10:48:54
アメリカは元々歴史感覚が、ないとは申しませんが、乏しい国です。アメリカの場合は言ってみれば個人主義的な
方向において近代主義を実現しようという巨大な実験国家だくらいにしか思われない。歴史に巨大な実験を
仕掛けているという意味において左翼国家だと考えるのが、文明論の本道だと思う。冷戦構造の他方の雄である
ソ連その他はなんであったかと言うと、近代主義的なものの考え方を、集団主義的、社会主義的に実現しようとした。
(中略)そう考えたら日本列島の戦後は、アメリカ的なものを保守と見なし、ソ連的なものを革新と見なす
などという馬鹿げた思想の分類軸で、自分を位置づけたり他人を評したりすることが半世紀以上にわたって
行われれば、元は立派な国民、民族でも大概頭も痺れるし背骨も溶けるだろうとどうしても推測してしまう。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

606:無名草子さん
10/06/17 10:49:31
(中略)
平成に入って少しでも日本がよくなったかと言うと、構造改革論は簡単に言うとアメリカ的なやり方で日本社会を
抜本的に構造的に改革した。典型的人物で言えば小泉純一郎をクライマックスとして現れた構造改革論です。
それがぐちゃぐちゃになったら、今度は鳩山なる人物が出てきて、社会保障だ、弱者救済だとやる。
ソ連がないからアメリカしか残っていないのですが、アメリカのなかにある主流と反主流のシーソーゲームを
日本列島に映し直しているだけです。(中略)
アメリカ文明は歴史が乏しいが故に、結局個人民主主義と社会民主主義の間のシーソーゲームを繰り返すしか
ないのがアメリカ左翼国家の宿命です。もちろんアメリカを馬鹿にしているわけではないんです。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

607:無名草子さん
10/06/17 10:49:53
(中略)
日本人全体が仮に頭のてっぺんでアメリカ様、進歩主義と言っていたとしても、歴史の慣性がありますので、
戦前戦中を経験した世代はその進歩主義のやり方、自由民主主義のやり方のなかに否応もなく日本の国柄を半ば
無意識に引きずっていた。したがって戦後日本の自由民主党が作り出した平等福祉国家は、たとえば日本的経営を
見ればよく分かるように、日本的なやり方をなんとか組み込むことによって、アメリカに近い国を作ってきた。
ところが昭和が終わる頃から世代交代が起こった。お年寄りの大半はどんどん死んでいく。まだ生存中でも
年寄りよりも若い者のほうがいいという理由で世代交代が叫ばれ、政治だけではなく学界だろうが財界だろうが
全部戦後世代です。
こう見えて僕は昭和14年生まれです。小沢一郎は僕よりも年下です。大概自分を見れば
あいつらろくでなしだろうなということは分かります。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

608:無名草子さん
10/06/17 10:54:11
戦後に生まれたからろくでなしと言っているのではないんです。戦後は次々と歴史を蒸発させてきた。
昭和世代がとうとう第一線から退くにつれて、ほとんど歴史が蒸発してしまうのが昭和64年までだったと
分かれば、平成の御代は所詮戦後体制の確立であり、憲法体制の一層の実現である。ある種段階的な変化が
ありまして、それこそ日本の国柄を無意識にも引きずるという、昭和の時代の常識の、最後のかけらまでもが
砂漠に没してしまった。歴史なき、国民意識として言えば砂漠のようなところに、結局アメリカで行われてきた
自由民主主義と社会民主主義の間の極めて人工的なシーソーゲームを、この平成の21年間たっぷりやったし、
これからもやり続けるのであろう。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

609:無名草子さん
10/06/17 10:54:31
こんなことをやっていれば、結局のところわが民族は、アメリカの半ば無自覚の猿真似のうちにギッコンバッタンで
脳震盪を起こして、そのうちにぶっ倒れるのが落ちである。
三島礼賛をする気はないけれども、心持ちから言えば、三島さんの猿真似でもやって、いつ何時でも死ぬに
やぶさかではないぞというくらいの感じでいるべきです。三島さんが最後どうして自死できたかと言いますと、
本当に絶望していたのではないか。何に絶望していたかと言うと、馬鹿な文学者たちは、三島さんのことを
自分の文学の能力の限界に絶望したなんてアホなことを言っていますが、そうではなくて、日本人に絶望して
いたのではないか。あれからもう39年です。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

610:無名草子さん
10/06/17 10:54:51
全く希望がないとは言わないけれども、39年という凄まじい時間の持続を経て、我々がどれほど深々と砂漠の
なかに足を突っ込んでいるかを考えたら、そこで尚かつものを言うとしたら、日本人にはほとんど一切希望を
持つことができない。要するにこの社会はいずれどうしようもなく大脳震盪を起こして、周章狼狽、茫然自失に
陥るであろう。皆さんを励ます意味で言うと、何かある程度の覚悟と認識を持って、ある程度責任ある行動を
とろうとしたら、ほぼ負けを覚悟しないといけない。頑張ればいいことが起こるだろうなんていう生易しい
状況のなかにあるのではないと思います。逆に言うと、負けを覚悟しないとものを言う気がしません。
勝つだろうなんていう希望はどこを見渡したってないのに、「頑張れば勝ちますよ」と言うのは、最も人間を
疲れさせる励ましの言葉であって、高らかになんの希望もないのであるとにこやかに言うべきだし、本当に
そこまできていると思っています。

西部邁「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より

611:無名草子さん
10/07/01 12:28:26
『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』

(さわさわと波がさわいでいる伊良虞の島のあたりを漕いでゆく舟に、
今ごろあの娘は乗っているのだろうか、潮の荒いあの島の廻りを。)

詠人 柿本人麻呂


三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から「潮騒」の題名をとりました。
この歌は、持統天皇が伊勢に旅された時に、都に残った柿本人麻呂が詠んだ歌です。

ちなみに、潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』です。

612:無名草子さん
10/07/15 19:56:19
 松本徹先生『三島由紀夫を読み解く』がNHKテキストに
  ラジオ第二放送で7月から9月放送のテキストです
****************************************

 NHKカルチャーラジオ『文学の世界』は、七月から九月が松本徹(文藝評論家、三島文学館館長、憂国忌発起人)が語りおろす「三島由紀夫を読み解く」である。
 放送日は七月から九月
 木曜日 午後八時半から九時
 再放送は
 金曜日 午前1015-1045

 なお写真十数葉を配した、松本先生執筆のテキストはNHKから出版されており、書店で買い求めることができる。
 NHKカルチャーラジオ 松本徹 『三島由紀夫を読み解く』(857円)

613:無名草子さん
10/07/26 11:54:39
小林:ぼくはあれを読んでね、素直に言うけどね、きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね。
つまり、あの人は才能だけだっていうことを言うだろう。何かほかのものがないっていう、そういう才能ね、
そういう才能が、君の様に並はずれてあると、ありすぎると何かヘンな力が現れて来るんだよ。魔的なもんかな。
きみの才能は非常に過剰でね。一種魔的なものになっているんだよ。ぼくにはそれが魅力だった。あのコンコンとして
出てくるイメージの発明さ。他に、君はいらないでしょ。何んにも。

三島:ええ、何んにも。

小林秀雄との対談「美のかたち―『金閣寺』をめぐって」より

614:無名草子さん
10/07/26 11:54:57
小林:その才能さ。その才能の過剰だよ。これが面白い。面白いっていうのは、いい意味だよ。ぼくはだから
退屈しなかった、ちっとも。たしかに、きみは人を乗せた、乗せてどんどん運んでいったよ。そういうものの中に、
ぼくは力を認めたね。

小林秀雄との対談「美のかたち―『金閣寺』をめぐって」より

615:無名草子さん
10/07/27 08:17:52
次スレのタイトル
【ホモ】三島由紀夫【チビ】


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