08/05/27 21:10:04
>>274
文芸社で成約できなかった著者の多くが廉価で新風舎と契約してる、
という流れがあったので、対抗策として
当時の協力出版のミニサイズバージョンとして作られたのが
日本文学館。
陳列書店を少なくした自費出版寄りの会社として設立された。
当時、営業の誰が日本文学館に行くか?社内は戦々恐々だったらしい。
ただ実際は比較的優秀な人材が何人か異動となった。
(優秀の意味はいろいろあるが)
そのころ文芸社内では原稿はABCの振り分けに
日文行き(=著者金なし)という原稿区分が追加された。
その後、●●●●があって協力関係は薄れてはいるが・・・
資本的には根幹で繋がっているというか、同じなのは事実。
設立時は人的には親戚関係。
ただ、その後は人的には別路線だと思う。
信じられない!・・ならば、
日文の今までの所在地の登記を調べてみれば・・。