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本村語録
「死刑制度というのは、人の命を尊いと思っているからこそ、存在している制度だと思うのです。
残虐な犯罪を人の命で償う。その考え方は、生命を尊いと考えていなければ出てきません。
武士道にも通じた崇高な考え方であり、日本の文化に合致したものだと私は思っています」(「週刊新潮」2006年6月)
「死刑は廃止してはならない。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、
犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、
そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、
その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、
初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ」(「現代」2006年7月号)
「(この1年で反省した形跡は見られたか)
いいえ。それが非常に残念。極刑を求めるが、今の状態で死刑判決が出ても意味がない」
「ただ私は一度も反省をしていない被告人に死刑を課したいと言ったことはないと思います。
彼が悔い改めて自ら犯した罪を反省して納得して胸を張って死刑を受け入れることに、
私は意味があると思ってます」(2007年6月28日の会見)
「人の命を奪うことの罪深さは自分の命を取られる状況にならないと分からない。
元少年も死刑が確定し、観念したときには反省して罪と向き合うと思う。
その意味で『死刑という更正』がある」(西日本新聞2008年3月7日)