08/03/06 12:32:56
>>575
司馬の文明と文化の定義がおかしいと批判をする人がいるらしいが、生産的な議論とは思えない。
批判者は、文明と文化の二項対立が嫌いらしく、文化の延長線上に文明を置きたいらしい。
蛙の定義として、鶏を連想させる、そんな定義なら、批判も当たる。しかし、そうではない。
日常用語として頻繁に使用されるが、違いが明確でない二つの言葉に、しかっりとした内実を与え、
それが読者の言語感覚に合致し、かつ語源と矛盾しなければ、定義に間違いというものは、ありえない。
二項対立によって、把握困難な事象、ふだんは関連づけて考えたことのない事象を、
きれいに整理できるのなら、その手法が古かろうが、新しかろうが、どうでもいい。
要は、本を読んだ後、「ワカッタ。ためになった」と思えるかどうかであって、
司馬のアメリカ素描は、ためになったと思えたが、批判者のものは、何が言いたいのか、さっぱりわからなかった。