06/08/29 01:07:30
(その65)
やばい……などと思う余裕もなくタヌキはつかつかと私たちに歩み寄ると問答無用でゲンコツで私の頭を
二度殴り、続いてN、吉永の順に一発ずつ殴りました。
自分の殴られる音は分かりませんでしたが、彼らの頭からはパカーンという乾いた音が響きました。
「あれは痛かったなあ」と、今でも苦笑しながらNは言うのですが、私には痛みの記憶はありません。
この後私たち三人はグラウンドに引っ張り出され、体育教師たちの前で正座させられたのです。
私が首謀者ということで前に一人座らされ、二人は私の後ろに並んで頭を垂れていました。
そして私たちとは別に捕まったグループ……多分、廊下を逃げ回っていた連中……はグラウンドの外周を
走らされていました。
この事件以降には、特に吉永と関わったことはないのですが、忘れられない人間のなかの一人ではあったのです。
彼は英文学科に入っていました。
私はザワザワした部室を一旦吉永と出て、今まで混声にいた経緯を話し、まだどこに入部するかは決めていないと
言いました。
それは吉永も同じで、入部するかどうか半々だと言いました。
93:無名草子さん
06/08/29 01:08:58
(その66)
吉永と一旦別れた後、私は尚混声合唱団に後ろ髪引かれながらも再び文芸研究会の部室に戻り、最初の
気持ち通り、このサークルへの入部を決断したのでした。
ひとつには、感触として吉永も入部するだろうという思いもあったのです。
とすれば、混声の受付に戻り、彼女にこの報告をするのが常識だろうとは考えたのですが、その勇気が
なく、結局放置してしまいました。
入部した文芸サークルの部員は、いずれの人間にも混声に感じた暖かさや、親しみやすさはなく、新人
にはむしろ冷淡にすら思えたものでした。
非常な居心地の悪さがあり、なかなか慣れない雰囲気の中で、私は吉永の早い入部を期待したのですが、
彼は入部を拒否したのです。
「あそこのレベルは低いよ」と彼は言うのでした。
「年に一度研究会が選ぶF大賞ってものがあるんだけど、この間、あれ見て俺驚いたよ」
このサークルはF文学という文芸誌を定期的に発行していましたが、F大賞というのは部員に留まらず、
学内一般に小説の投稿を求め、最も優秀な作品を選出するというものでした。
そういう点では必ずしも狭量な活動ではなかったように思います。
このF大賞発表号は年に一度のことで、F文学もこの号だけはまともな装本にして発刊していました。
「龍っていう受賞作読んだんだけど、あれ、ウイリアム・ウイルソンのそっくり盗作だよ」
「え? 盗作って、まさか、ポーの、あれかい?」
私は信じられない思いで早速そのF大賞受賞作を読んだのです。
それは、まさしくポーの「ウイリアム・ウイルソン」の舞台を単に日本に移し変えただけの盗作でした。
94:無名草子さん
06/08/29 01:10:26
(その67)
大衆割烹の座敷を一間借りきり、新人の歓迎コンパが催されました。
この席で、私たち新人は初めて全員が顔をそろえたのです。
私はテーブルの末席に座って成り行きを見ていました。
テーブルにはビールと酒が並んで、ほとんど大人の宴会と変わったものではありませんでした。
アルコールについて言えば、高校時代、親に黙って遊び気分でビールを炭酸飲料の代わりにチビチビ飲んでいた
ことがあります。
壜ビールの栓を抜き、少し飲んではまた栓をして冷蔵庫にしまっていたのですが、ある日、たまたま母親が
そんなこと知る由もなくお客にそれを出してしまい、父親に「気の抜けたビールを出すヤツがあるか!」と
怒鳴られる場面を見てしまい、それ以後に口にしたことはありませんでした。
さかんに母親が首をひねっているのが可笑しく、気の毒でもありましたが、私に疑いを持つことはとうとう
ありませんでした。
そういうわけで、多少のビールなら飲めたのですが、日本酒となるとまず匂いから駄目の上、酒に酔っ払った
田舎の連中がさんざん父親に絡んでいるところを何度も子供の頃に目撃していましたから、憎しみすら抱いて
いたものです。
そう遅くない時期に、まさかこの自分が大酒飲みになることなどおよそ想像もつかないことでした。
東北出身の小谷という同じ新人が私の隣にいて、私がビールをコップ半分飲んだきり口にしないのを見、
もっと飲めよとさかんに咎めるのですが、私はどうしても飲めないのでした。
彼はコップ酒を手にしていました。
またタバコを吸う女子部員、新人がおり、私にはそれがどうも気に入りませんでした。
喫煙者がどうだというのでなく、どうみてもただのカッコ付けにしか見えなかったのです。
95:無名草子さん
06/08/29 01:12:00
(その68)
部長からは、新人は各人一ヶ月をめどに一つの作品を「L」という新人文集に発表し、その後合評会を
行うよう課題が挙げられました。
内容は文芸一般で、枚数などの制限も特になく、新人同志で編集委員を選んで実行するというものでした。
見渡したところ、新人に魅力の感じられる人間といっては一人もおらず、正直私は失望していました。
考えてみれば、「小説家になること」を根底に置いた私と、純粋に趣味を同じくする者同志でサークル活動に
主体を置く他のメンバーとでは目指すものが最初から違っていたのです。
激しい人見知りも相変わらずで、部室にいてもほとんど口を開くことはなく、また内輪で固まっている先輩
部員たちにもただ幻滅するばかりでした。
「L」に向けては、自然と不本意なまま別れてしまったYへの心情を綴ることになりました。
この頃は、ワープロ使用の学生もいないわけではなかったのですが、まだ一般的ではなく、やはり手書きの
スタイルが主流でした。
いつのまにか決まっていた編集委員がそれを編集してコピーし、一冊にまとめるのです。
私はそんな「L」よりも、「F大賞」に早くから注目し、それに向けて小説を書こうと考えたのですが、
この時初めて私はあるテーマにぶつかってしまったのです。
それは「何も書くことがない」という驚くべき現実でした。
これまでは自分を包囲する世界の全てが小説を書かないではいられない対象であったのに、いつのまにか私の
周囲からそれらはなくなっていたのです。
96:無名草子さん
06/08/29 01:13:22
(その69)
なぜ、あれも書ける、これも書ける……と思っていたものが、いざ机に向かうと安易で、味気ない内容に
しか感じられなくなったのか?
私は私なりの結論を出さざるを得ませんでした。
それは一種の解放感のせいなのだと。
高校時代の中退の危機感や、Yへの激しく苦しい恋の感情から急に解放されて、一時の空白に置かれた
からだと。
思えば危機感や苦しみから解放されたい一心で自然と私は詩や小説に向かい、書くことで生きていた
わけでした。
書くことが消えたということは、考えようによっては私も少し幸福になっていたのです。
ある夜のことでした。
一人きりで部室で「L」に載せる随想の最後の詰めの作業をやっていると、ふいにドアが開き、奇妙な
男が入ってきました。
男はやや小柄で、眼鏡をかけ、口ひげ、顎ひげを生やしており、ジーパンになぜか長靴を履いていました。
私は軽く頭を下げました。
初めて会ったのですが、彼は先輩部員なのでした。
例によって人見知りゆえの圧迫感と窮屈さを覚えながら、私は文章の整理を続けました。
「熱心だね」と言った後、彼は突然質問を投げかけました。
「君はなぜ書くの?」
「え?」
私の視線が彼の笑顔に当たると、彼はゆっくりと椅子に座りました。
97:無名草子さん
06/08/29 01:14:57
(その70)
「君は、なぜ書くの?」
なぜ、書く?
そう急に訊かれても“書きたいから書く”ぐらいの返事しか思い浮かばず、だからといってそう答えても
彼が満足するような話でないことはすぐに理解できました。
時間があれば、私なりに適当な答えを出せる自信はあったのですが、この場ではまとめきれず黙っていると
「日記のように、全く自分のためにのみ書く行為もあれば、今君がやっているような、それ、Lのでしょ?
そんなふうに公に向けて書く行為もある。この公に向けて書くという行為について、君は何か考え持ってる?」
と彼はまた質問したのです。
「書くということは最初から公に向けているということなんで、特に何か考えたことはないです」
私にはそのぐらいのことしか言えませんでした。
彼は笑い「しかし公に向ける行為である以上、書き手には何か責任ちゅうのがあるんじゃない?」
当時の私には書き手の責任などという発想は微塵もなかったように思います。
彼はその後、大衆への啓蒙であるとか、迎合であるとかを簡単に述べると夕食に私を誘いました。
行ったのは近くの中華屋で、彼はビールを飲み、チャーハンを食べながらなおも話を続けたのです。
私はギョーザを食べていました。
彼は再び大衆への書き手の責任を語り、最終的には政治的な言論に発展していったのですが、私にはそこまでの
理解力はまだなく、自分の未熟さを思いしらされるばかりでした。
「随分まだ君は観念的だな」と、私に対して彼は言ったのですが、その観念的という意味すら私には不明だった
のです。
98:無名草子さん
06/08/29 01:16:38
(その71)
「L」に載せられたものは予想通り、どれもほとんどひどいものでした。
背伸びしたものや、荒唐無稽な物語、陳腐な言葉の羅列、読み込んでもいない作家の「作家論」などなど、
私はこのサークルで活動する意欲を一遍になくしてしまったのでした。
合評会ではそのような本音を明かすことなく、また誰の批評もするでなく黙って皆のやりとりを聞いて
いるだけでした。
なかには相当進んだ政治論を展開する新人もいて、私などより彼の方がよほど社会意識の高い人間だった
のですが、政治と文学の関係性など私にはこの当時全く縁のないものだったのです。
私は運命的に吐き出されたものだけが文学、そして芸術だと信じていたのです。
合評会では結構いろいろ欠点を取り上げ合ったりで、それなりに盛り上がったのですが、私の随想だけは
誰の批判を受けることなく、「この文章は捨てがたい」などという賛辞に終始しました。
何の授業だったか忘れましたが、共通選択課目で私は小谷と一緒になったことがあります。
例の歓迎コンパでコップ酒を握り締め、赤い顔をして「俺だって飲めないのを必死に飲んでるんだから、
君も飲めよ」とさかんに私を咎めた、いかにも純朴そうな彼に私は好意を持っていました。
彼は「L」に載せた私の随想を読み、君を信頼しているからと一編の詩を差し出し、評価してほしいと
言うのでした。
彼は「L」に田舎の港町のうらぶれた時間と人間模様を描いた詩を載せ、平凡ながらも「永遠」という
テーマに近づこうという意志を覗かせていました。
ところがこの時私に手渡されたのは、あまりに少女趣味的な雨の抒情詩で、いくらか失望したのです。
99:無名草子さん
06/08/29 01:17:56
(その72)
私の隣にいて、小谷はまるで神の審判でも待っているかのように深く目を閉じていました。
そんな彼に私は実にあっさりと「少女趣味的だね」と言ってしまったのです。
小谷は「うんうん、分かってるんだ」と何度も頷きながらひっそりと言い、私から離れていきました。
当時の私といえば一事が万事そんな調子で、柔軟に他人と接するというやり方が全くできなかったのです。
思ったこと、感じたことは何の装飾も施さずに口に出してしまって人を傷つけ、慌てさせる。
そしてまた人が傷つき、狼狽していることに思いを寄せることもなかったのです。
以後小谷が私に近づくことはありませんでした。
合評会以後、私は文芸研究会の活動には一切参加しなくなり、早くも挫折してしまいました。
ちょうどその頃に一度だけ混声合唱団のあの可愛い子とペアを組んでいた姉御肌の子と、擦れ違いに会った
ことがあります。
彼女は友人らしい女子と一緒で、私の顔を見るなり「サークル、どこ入ったの?」と声をかけてきました。
「文芸研究会です」と答えると、「そう。別にかまわないから、良かったらたまには遊びにきて」と言って
駅の方へ去っていきました。
今更行けるわけもないことは重々分かっていながら、あの可愛い子はどうしてるだろうなどと侘しく思い出す
のでした。
授業もつまらなく、友人と呼べる程度に付き合いがあるのは吉永一人でした。
吉永とは必修選択課目で共通に選択していた「日本文学」の授業の時だけ一緒になりました。
彼にもまだ友人はおらず、私が文芸研究会の活動をやめてからはちょくちょく行動を共にするようになって
いきました。
100:無名草子さん
06/08/29 01:19:21
(その73)
私はそれまで自分は孤独に強い男だと信じていました。
子供の頃から独りでいるのが好きで、実際変わり者と呼ばれるほど独りぼっちの行動が多かったのです。
独りぼっちの行動には環境的な影響もあるにはあったのですが、周囲に人がいないからといって寂しいと
感じたことはほとんどなかったのです。
しかし、それは自分のただの思い込みに過ぎなかったのです。
結局家族とともにあればこその話で、全くの独り暮らしとなると途端に自己の弱さが出るようになって
しまいました。
日曜などに、ついつい昼寝が長引いてふと目覚めると夕暮れ時になっており、そんな時度々私は寝ぼけた
ように、あれ、ここはどこだ? 皆はどうした? などと家族の影を追ったりしたのでした。
そしてすぐにここが東京の自分だけのアパートだということに気付くと猛烈な寂しさが一気に私を襲い、
数十分から時には一時間もかけてようやく頭を抱えんばかりの孤独から解放されるという按配でした。
私はYを想い、KやNを想い、家族を想い、そうして最後には唯一の東京の知人である吉永を思い出すの
でした。
吉永とは週に一度大教室の「日本文学」の授業で顔を合わせたのですが、大抵そんな日は二人で新宿辺り
をぶらつきました。
吉永は酒を早く覚えたがっていて、ある日のこと、私たちはいきなり「ハシゴ」をしたのです。
吉永も一人で居酒屋に入る勇気などはなく、なんとしても私の存在を利用して居酒屋体験をしたかったのです。
101:無名草子さん
06/09/09 15:55:08
>>28
>優秀な
まで読んだ。
その2はまだ?
102:無名草子さん
06/09/10 02:48:11
健康道場いきませう
103:無名草子さん
06/09/11 15:42:01
それで>>26の質問に誰か
104:無名草子さん
06/09/18 22:37:03
『パンドラの匣』いい話ですね。
。・゚・(ノД`)・゚・。 マア坊が切なすぎだよ…
太宰は年代順よりも希望に満ちた青春小説と
暗めな作品交互に読んでいくほうが読みやすい。
新潮文庫の表紙は健康道場を真上から俯瞰したものですかね?
今日読み終わって書店カバーはがしたら直感した次第。
105:無名草子さん
06/09/19 02:00:00
>>104
わかるわかる
106:無名草子さん
06/09/20 16:30:19
ふと思った
太宰治が2ちゃんをしていたらどんなカキコミをしたのだろうと
107:無名草子さん
06/09/20 21:42:54
稀代のコピペ作家として名をはせるだろう
108:無名草子さん
06/09/21 02:16:16
もっと堅苦しいイメージを持っていたけれど、以外とこの人の小説はテンポがいいな
人間失格を八時くらいから一気に読んでしまった。明日朝早いってのに
109:無名草子さん
06/09/24 04:57:26
人間失格よりも、東京八景のほうが、恐い、とうかイヤ~な感じがした。
110:無名草子さん
06/09/24 11:04:04
太宰の本性が人間失格で書いてるような陰気な性格なんだったら、
他の割と明るい作品は道化師としての太宰が書いたものなのかな
111:無名草子さん
06/09/24 12:45:47
このスレ凄い。盗作で賞金500万円泥棒だと!佐藤亜紀って奴
盗作本「バルタザールの遍歴」
ここ
↓
【盗作3バカ】田口ランディ/ 佐藤亜紀 /篠原
本人後輪中! 盗作同士が激バトル?!
112:無名草子さん
06/10/04 06:48:11
太宰は斜陽までで才能が枯れたな
113:無名草子さん
06/10/04 20:08:48
水仙についてレジュメ書かなきゃならないんだけど、
何かいい参考文献ない?
114:無名草子さん
06/10/05 17:11:46
斜陽は太宰の最高傑作
115:無名草子さん
06/10/05 21:17:19
今日、人間失格を古本屋にて百円で買ってきた。得したのかなー?
116:無名草子さん
06/10/05 21:33:22
斜陽のなかでたしか天皇陛下がおちぶれても
豆腐屋できるか?なんて文章あったけど、、、。
でも中国では溥儀は一般庶民に落とされて
毛沢東がニューエンペラー。
走れメロスは教科書だもんな。
友情の大切さはわかったけど、、、。でもよかった。
私はサクラ上水のそばに育ってがきの頃から昔太宰が
入水ときいて育った。
大金持ちのせがれだろ?太宰は。
117:無名草子さん
06/10/06 00:58:00
金持ちの子供に生まれた事に罪悪感を持ってたのって
太宰さんだっけ?
118:無名草子さん
06/10/06 01:11:42
罪悪感、、、。
タブbbそんな感じ。
青森の生家は豪邸だね、その当時では。
119:無名草子さん
06/10/06 06:40:50
俺も罪悪感もってるwww
120:無名草子さん
06/10/08 03:05:58
「人間失格」中学生の頃読んだがよく分からなかった。
メロスを書いた人が、こういうのを書いたのかと思うと衝撃的だった。
今では太宰が好きだが。
「人間失格」皆がどれぐらいで読んだか気になる。
121:無名草子さん
06/10/09 02:59:23
夏休みの読書感想文の題材としてよく読まれているらしい
というのを昔どこかで見たよ
122:無名草子さん
06/10/13 01:02:36
人間失格、大学三年で読みました。ちょっと遅いかな?
123:無名草子さん
06/10/13 06:36:31
人間失格は15の時に読んだ。そして、16で自殺未遂。アホだったなぁ。今、30で読みかえすと、暗すぎてついてけない。クソッ、なんで、あの時あんなにハマってしまったのか…。やっぱり、アホな思春期だったからかぁ。
124:無名草子さん
06/10/13 08:47:30
中二病だろ
125:無名草子さん
06/10/13 21:02:46
実家が青森なんですが、大学卒業間際になって初めて金木町の斜陽館を訪問しました。
形容し難いほど立派な豪邸!これが明治の建造物だとは信じ難かったです。
選ばれてあることの恍惚と不安二つ我にあり、の句を好んだ理由が分ったような気がしました。
小学生の時の学習発表会で走れメロスの山賊役をやったきり、太宰治を読まずに読書とは程遠い生活を送ってきました。
しかし今初めて読んでみて、こんなに面白いものがあったのか!と眼から鱗が落ちた気分です(・∀・)
「人間失格」を21で読み始めた浅学者ですが、太宰文学にはまりそうです。
駄レススマソ
126:無名草子さん
06/10/15 16:18:52
人間失格はラストの1Pのせいで嫌いになれない
ただのもてる自慢、不幸自慢で気に入らなかったが最後の1Pは素晴らしかった
127:無名草子さん
06/10/16 20:19:05
終わりよければ全てよし
128:無名草子さん
06/10/19 00:05:56
>>26はどんな読み方をしたんだ…
そんな人が他に(>>27)いるのも奇跡
小説家って因果な商売だな
だが斜陽が傑作だという事には変わりはない
129:無名草子さん
06/10/19 15:12:54
太宰治と村上春樹の共通点てありますか?
130:無名草子さん
06/10/19 17:23:27
銀河系出身
131:125
06/10/19 22:23:43
上原の宅に行ったしず子は上原の奥さんと子供を見て
『敵。私はそう思わないけれども、しかし、この奥様とお子さんは、いつかは私を敵と思って
憎む事があるに違いないのだ。』
と考えていますよね。
これが最後の書簡の文章に繋がっていくのではないかと…(´・ω・`)
132:無名草子さん
06/10/20 01:41:13
別に太宰はそれに対してぼかしてないし、
ちゃんと説明しているのだから
繋がるとか余計な事考えずにもう一度読め
説明する事じゃない
133:無名草子さん
06/10/20 16:38:24
( ´・ω・)・・・
134:無名草子さん
06/10/22 16:15:26
( ・∀・)つ〃∩トカトントン
135:無名草子さん
06/10/23 23:26:35
人間失格の葉蔵の最後の写真がいい
廃人であることが如実に表現されているよ
136:無名草子さん
06/10/23 23:28:07
写真なんてどうとでも撮影できるものだよ
137:無名草子さん
06/10/24 19:45:09
斜陽の 直治 って なおはる? なおじ?
138:無名草子さん
06/10/24 23:11:26
>>137
それ自分も気になりました…(;・∀・)
なおはるって自分は読んでいましたが・・・
139:無名草子さん
06/10/25 00:00:19
(その74)
その居酒屋はビルの3階か4回、あるいはもっと上階だったかもしれません。
生ビールの時間サービスとか何とか言う半被を羽織った若い客引きがいて、エレベーターで案内されました。
私たちは全く初めての体験でしたから、かなり警戒感を抱いていました。
U字形のカウンターに座らされたのですが、私は上京後夕食を外食にする時はいつも必ずテーブルに着いて
いましたので全然落ち着かず、キョロキョロ店内を見回し、できればテーブルがいいなと思いながらもそれ
すら声にする勇気はないのでした。
そして私たちは大変恥ずかしい失敗をやらかしてしまったのです。
それは「お通し」が出されたときです。
最初私たちは顔を見合わせ、「頼んでないよな」「うん、頼んでない!」と一人200円と勘定された伝票を見、
早くもまるで詐欺にでもあったかのように緊張、また興奮し、注文したものが出される度に伝票をチェック
するというありさまでした。
二人とも被害妄想に冒されていて、少しも美味しさなど感じる余裕もなく飲んでいました。
勘定の段階で酔った勢いもあったのでしょうが、吉永は伝票を振りかざし、「頼んでもいないのを勝手に出して
請求しないでください。僕らが素人だからと思ってやってるんでしょうけど!」と声高に抗議したのでした。
“素人だから”というセリフが今もはっきりと懐かしくも恥ずかしく印象に残っています。
抗議された若い男の従業員は途方にくれた顔でカウンター内の店長とおぼしき男の顔を見遣りました。
店長は黙って頷き、請求しないよう身振りで応えました。
「お通し」の意味を知ったのはそれからまだずっと後のことだったと思いますが、いつまでも忘れられない
初歩の失敗談です。
緊張していたせいもあったのでしょうが、生ビールのジョッキを2杯飲み干しても全然酔わない自分自身に
私は初めて自分は少しは飲めるのかもしれないと感じたのでした。
140:無名草子さん
06/10/25 00:01:35
(その75)
吉永は田舎者の未成年が、東京は新宿の居酒屋の企みをギャフンといわせたぞという思い込みで気分が
高揚していたのでしょう、「ハシゴだハシゴだ」と私を誘いました。
私も、このまますぐに一人で帰るのは寂しいという思いがあり、彼に付き合うことにしたのです。
場所はなぜか新宿から離れた、ある駅付近の焼肉屋でした。
なぜその場所、その店、そして焼肉だったのか全く思い出せませんが、たぶん吉永自身に何かこだわりが
あったのでしょう。
ビールを飲み、サワーを飲み、日本酒を飲み、大声で語り合い、時間はあっというまに午前2時の閉店
時間となりました。
何を話したのかはまるで記憶にありません。
電車は既になく、吉永のアパートまで歩いていこうということになりました。
駅数7、8ぐらいはあったでしょう。
彼はしたたかに酔っており、真夜中の通りをはしゃぎ続けました。
私は次第に憂鬱になっていきました。
そして商店街の、ある店頭に立っていたマスコット人形に吉永が大きく蹴りを入れたとき、私は我慢が
できなくなり、つい冷たい一言を口に出したのです。
「君は下品だね」
吉永は一瞬覚めた目つきで私を凝視したあと、私を指差し、「そう、だからいつか俺は必ず君とは別れる」
と言い返したのでした。
141:無名草子さん
06/10/25 00:14:45
(その76)
ショックを受けたのは逆に私の方でした。
吉永の言葉の裏に潜むひとつの真実のようなものを晒されたような気がしたのです。
それは私たちの交際などは、所詮東京に他に知人のない田舎者同士の妥協の産物以外ではないという
寂しい現実の有りようのことでした。
授業には興味もなく、面白くもなくただ義務で出席しているだけでした。
アパートに帰ると「F大賞」を目指して小説らしいものをだらだら書いたりするだけで、心に思うのは
いつもYのことでした。
私にはYと別れたという気持ちはほとんどありませんでした。
今は彼女が予備校に通う身であればこそ迷惑をかけたくないという一心で何の接触も出来ないでいるが、
必ず来春には逢いに行くのだという強い想いは常に宿っており、それこそが私の孤独な日々の唯一の支え
のようなものだったのです。
ある日、ただの癖のようなもので私はふらりと大学の生協の書店に入りました。
このとき、私の関心がふとある文庫の題名に流れたのです。
「人間失格」
この有名な小説を私はまだ一度も読んだことはなく、また作者の太宰治についてもほとんど興味を抱いた
ことはありませんでした。
というより、私は太宰治を誤解していたのです。
小学校だったか中学校であったか、「走れメロス」を教科書で読んだときから、私は太宰治という作家は
非常に清潔で、道徳的な人だと思っていたのです。
歯切れのいい文体で描かれた、あまりに嘘臭い信義や友情の話を私は好きになれないでいたのです。
次に読んだというより、またも太宰治にお目にかかったのが高校の教科書の「富嶽百景」でした。
「走れメロス」とは一変した文体と、奇妙なユーモアで私は「おや?」と感じ、さらに国語教師の下手な
説明で太宰は反俗作家、情死した作家なることを教えられたのでした。
142:無名草子さん
06/10/25 00:16:06
(その77)
「人間失格」という題名も、私はあまりにその単刀直入的な響き、ひねりのない響きに魅力を感じずに
いたのでした。
まるで中学生あたりが大威張りで付けたような題名のようで、くすぐったさすら覚えていたのです。
それがこの時私の関心を惹いたのは、私の潜在意識に自分のような不器用な人間は社会的に失格する
のではないかという不安が生じていたからではないのかと思っています。
松本清張の小説の書き出しのような、はしがきの第一行の暗い趣き、そして「第一の手記」の一行を読んで、
私はすぐに購入を決め、あとはひたすらむさぼり読みでした。
当時、私は小説に限らず、共鳴、また感銘する文章に出会うとその行の横に線を引いて一層深く味わいを
噛みしめる癖があったのですが、「人間失格」にはそれまでのどの本よりも多くの線を引くことになりました。
殊に上京後の主人公の臆病、不器用な描写には腹を抱えて笑った記憶があります。
まさに私自身がそこに書かれている通りの人間で、何でもないただの日常に他人の何十倍も汗水流して奮闘
しなければならない細かい神経が分かり過ぎるほど分かるだけに可笑しかったのです。
最初読んだときは、主題である主人公の叫びよりは、そういった日常生活における苦労話が面白く、そして
そのような瑣末な理由ではないのかもしれないにせよ、自殺未遂を繰り返し、やがては情死に至る太宰の運命に
これ以上はないという興奮と興味を持ったのでした。
その興奮と興味の対象になる太宰の小説は、この先まだまだいくらでも読めるのです。
私にはそれらの小説群が突然贈与された財宝のようにも思えたのでした。
143:無名草子さん
06/10/25 00:17:19
(その78)
さらに「人間失格」はまさに死ぬ直前に執筆された作品で、実際に発表された頃には既に太宰はこの世に
いなかったという事実を知って、ではこれは遺書の代わりのようなものなのかと私は思ったのでした。
最後に到達した作品が自殺の遺書代わりのようなものだとすれば、現実の人生では何にも、どこにも到達は
しなかったのだ、一体あの「走れメロス」の作者はどう生き、どう絶望したのか、私の好奇心はふつふつと
沸き、一気にこの存在にのめり込むとなりました。
私は上京してすぐから神田古書店街に度々足を運んでいて、色んな作家たちの全集の中に筑摩書房の太宰治
全集が置かれていたのをよく覚えていました。
欲しいと思うとすぐにも手に入れたくなり、一時の我慢も忍耐も出来ないのが昔も今も変わらぬ私の性分で、
あれもやがて売られてなくなるかもしれないと考えると矢も盾もたまらなくなり、大至急神田へ行って購入
しました。
古本とはいっても、全集は「え?」と思うような高い価格でしたからお金が底をつき、参考書を買うからと
母に連絡して送金を得ました。
太宰治の全集を買うからなどと正直に言えば、当然小遣いから一冊づつ買っていけばいいでしょうなどと
言われたことでしょう。
「人間失格」という最後の作品から読んだのなら、これから逆に若い方へと順に辿っていくか、それとも
若い時代の作品から最後の作品へ時系列に向かうかなどと、全集の一冊一冊を可愛がるように撫でながら
贅沢な喜びに浸ったのでした。
144:無名草子さん
06/10/25 00:18:40
(その79)
ざっと太宰治の短い一生を確認して、結局すぐに読んだのは「富嶽百景」で、これは高校の教科書の省略
されていた部分を埋めて全編を知りたかったのです。
全編読んで、特にどうということはなかったのですが、次いで読んだ「東京八景」でついにガーンとやられた
気がしました。
なんと暗く、侘しい小説だろう、これが太宰治だなと感じました。
小説というより、退廃と敗北の青春の記録のようなものですが、この退廃と敗北の周囲にまた太宰の小説の
一群が存在しているのです。
ある夜「逆行」の四編中の「決闘」を読んだ時、凄まじく虚無的なユーモアに私は酔いしれ、ますます深入り
することとなってしまいました。
すっかり太宰文学の虜になった私は夜更かしするせいもあって、朝起きられず、度々授業を欠席するように
なりました。
ここが家族のある生活と一人暮らしの決定的な差で、仮に自宅から登校していたのであれば、親という重しの
おかげで乱れることもなかったのでしょうが、元来が意志薄弱の上に大学に通う目標もまた薄弱な情況でした
から、あっというまに生活は崩れてしまいました。
6月の中旬、あるいは後半だったかもしれません、それは英語の授業でした。
授業はただ出席を取ると、後は一人一人順番にテキストを読ませて訳させるといった実に退屈極まるやり方が
ほとんどでした。
私は内心苛々しながらテキストやノートに思いつきの文章を綴ったり、漫画を描いたりしながら早く帰って
太宰を読みたいと思っていました。
その方が本当の自分のためになる、ああ、こんなもんにいつまでも大事な時間を取られたくないと考えました。
ある課題なり、考え事を衝動的に、一瞬に煮詰め、後先考えずに大胆な決断をするのも私の大きな欠点で、
この時も私は自分のためだからと授業放棄を決めたのです。
145:無名草子さん
06/10/25 00:19:59
(その80)
英語の授業はまだ続いていましたが、私はテキストとノート、辞書をそそくさとバッグにしまい、
そっと後ろのドアから教室を出たのです。
周囲の数人が怪訝そうに私を見ていました。
決意して退席したものの、スッキリした気分ばかりではなく、思いのほか強い後ろめたさも張り付いて
いました。
考慮の末の結論ではなく、ほんの数分で決めたことですから、いざ実行に移せば想像もしなかった感情が
湧いてくるのは当然だったと思います。
しかも私は英語の授業だけでなく、全ての授業の放棄を考えていたのです。
自分の感情を推量するというのもおかしな話ですが、私にはYへの意識も働いていたと思うのです。
彼女が予備校生である以上、自分にもまだ一年の余裕があるという奇妙な意識です。
卒業が一緒であればいいのだ、一年ぐらいの自由はあってもいい、そしてこの一年太宰を読み込み、もっと
小説を書く意味に迫りたいという大義名分を取り繕ったのです。
退学を全く考えなかったことからしても、この時点ではまだその大義名分は本物に近かったと思います。
このように、入学してわずか二ヶ月半で私は早くも大学生活から脱落しかかったのでした。
この頃はほとんど毎日KとNあてに手紙を書いていました。
もっとも内容はほとんど太宰のことで、KとNはあれは手紙ではないと今でも言います。
夏休みには会う約束をしていましたが、二人ともアルバイトで忙しくしており、ゆっくり帰省もしていられ
ないということで、私が彼らのアパートを訪ねることになりました。
Kはウエイトリフティングのサークル、Nは哲学研究会に入部していました。
146:無名草子さん
06/10/25 00:21:11
(その81)
引きこもって太宰治に読みふける生活を自慢できるわけがなく、実家に帰れば真面目な学生生活の嘘の報告を
しなければなりません。
それが億劫で、私は帰省を後伸ばしにし、先にK、Nを訪ねたのでした。
元々筋肉質のKでしたが、ウエイトリフティングをやっているせいで、さらに逞しく、引き締まった肉体に
なっており、日焼けした顔といい、私はすっかり彼を見直したものです。
夜にはNがやってき、久しぶりに三人が顔を揃えたのですが、Nの場合は家が裕福とはいえないために連日
今は肉体労働しているということでした。
私は正直に太宰に読みふける生活を始めたと打ち明けたのですが、二人とも特に変わった表情は見せず、
「いかにも君らしいな、羨ましいよ」と言うのでした。
Kは先輩に面白い人間を数人見つけて色々指導を受けており、Nは「哲研」と呼んでいましたが、そのサークル
仲間とハイキングに行った写真を見せてくれました。
なんという自分との落差だろうと、私は入学直後の混声合唱団や文芸研究会のことを思い出し、結局その二つ
とも失敗し、吉永との寂しい交際しか送れてない現状に強烈な脱落感を覚えたのでした。
KとNのアパートで4、5日滞在して私は実家に帰りました。
実家には一週間ほどいましたが、その間一度だけSが訪ねてきました。
SもまたN同様あまり裕福ではなく、酪農を営む実家を手伝いながら来年の受験を目指しているのでした。
そしてSとはこの先に、大変深い交際を結ぶこととなったのです。
147:無名草子さん
06/10/25 00:22:17
(その82)
帰省中、私は一人私の高校周辺を歩きながら、ここからバスで二駅も行けばYの家があり、今もYはそこにいて、
そこから予備校に通っているのだという想いに胸をときめかせたのでした。
毎朝彼女はこの正門前の通りをバスで往復しているのです。
妄想でしかないのですが、訪ねれば会えるのであり、話もできるのです。
「来年、きっと会いにいくからな。待ってろよ」
と、まるで恋人気取りで私はつぶやき、本当に心をたぎらせたのでした。
彼女の存在は肉親以上に、生き物のように私の内面に強く巣食っており、大袈裟でなく最早それなしには私自身
ではないと感じられるほどでした。
帰京し、また孤独なアパート暮らしに戻ると、しばらくはY恋しの気分がホームシックのように私を苦しめました。
そして私はYに向け『風の便り』を書き始めたのです。
『風の便り』とは、太宰の「猿面冠者」に出てくる話で、主人公のある節目節目にどこからともなく届く便りの
ことで、私にはそれが非常にロマンチックに、幻想的に印象に残っていたのでした。
小説では届けられるのですが、私は届けることで解放されようと思ったのです。
といっても本当に届けるのかどうかはその時の気分まかせという気持ちで、実際私には自分がいつ、どんな突飛な
行為をしでかすのか全く予期できないのでした。
一晩で書き上げると、随分落ち着いたのですが、まだ何か色々訴えたい感情はありました。
そこで今度はMTあての『風の便り』を思いつきました。
思えばちょうど一年前にも、私はMTあてに原稿を送ったのでした。
そして、ああ、あれこそ俺の本物の風の便りだったんだなあとしみじみ思い返すのでした。
148:無名草子さん
06/10/25 00:23:30
(その83)
2通の『風の便り』には、大学生活の幻滅や太宰治を読んでいることを共通して書き、YにはYへの想い、
MTにはMTへの想いをそれとなく綴ったのですが、2通も書き上げるとさすがに感傷も癒え、結局投函
することはありませんでした。
こうした自分でも想像出来ない衝動的な欲求は、何かの拍子にしばしば爆発して現れ、そのために私自身が
途方にくれて悩んでしまうのでした。
二学期が始まると、私は私自身の確認のため、自分は現在大学生であるということを確認するためにのみ
ほんのときたま登校し、吉永と会っていました。
全く誰とも口をきかない日々というものには高校の頃から慣れているとはいえ、東京の一人暮らしは
さすがに気分が滅入りました。
孤独感というより、生きる実感のない焦慮のようなものが恐怖へと膨らんでいくのです。
自己の存在感の希薄さの実感には、まるで窒息させられていくような恐ろしさがありました。
そこで私は生活に困っているわけではなかったのですが、自分も人並みにアルバイトをしてみようと決意
したのです。
私が選んだのは、カツ煮定食店の店員で、午前11時から午後2時までの仕事でした。
くたびれるほどの時間でもなく、こじんまりした店で、仕事の終了後には昼食もついていました。
奥さんと娘さんの二人で営業していましたが、静かで上品な人たちでした。
私の仕事は、主には皿洗いでしたが、定食につけるお新香を小皿に盛ったり、卓を拭いたり、玄関前を
掃いたりの仕事も合間合間に入りました。
しかし、こんな簡単な仕事に私は失敗してしまったのです。
149:無名草子さん
06/10/25 00:24:41
(その84)
人と打ち解ける能力に欠け、打ち解ける努力や苦労をするぐらいなら変人といわれようが無口で通した方が気が楽と
いう姿勢でしたから、アルバイト先でもすぐに浮いた感じになりました。
言われたことに「はい」と返事するだけで、ほかの話ができないのです。
相手次第では喋れないこともないのですが、あいにくここの奥さんと娘さんは軽口のたたけない性質で、自然と空気は
暗くよどんでいきました。
流しには洗剤の泡でいっぱいになった液体があり、混んでくると次々に用済みのドンブリやお椀が放り込まれます。
皿洗いなどほとんどしたことがない上に、几帳面過ぎて動作が鈍くなり、時々奥さんが「も少し早く」と肩越しに囁く
ように声をかけてきました。
同じ姿勢が続くので、運動不足の私の背中はキンキンと痺れるように痛みました。
無我夢中のうちに仕事は終わり、私にもカツ煮定食が出されました。
カウンターでただ黙々と食べていると、奥さんが「どうでした、初日は?」と訊いてきました。
私はこの時の自分の呆れ果てた返事を今でもよく覚えています。
「背中が痛くて猫背になりそうです」と、冗談でもなんでもなく真顔で答えたのでした。
二人は顔を見合わせ、言葉もなく沈鬱な表情をしていました。
店を出ると、私はお濠近くのベンチに腰掛け、しみじみと解放感を味わいました。
たった三時間程度の仕事でしたが、私には大変な緊張の時間だったのです。
結局三日行ってここは辞めました。
辞めたというより、挫折したというのが本当のところです。
会話のない気詰まりな空気がさらに増したからでした。
しかも「辞めます」が自分の口からどうしても言えず、吉永を通して連絡しようかとさんざん悩んだのですが、さすがに
そこまで弱い部分を晒したくはなく、電報を打ったのでした。
150:無名草子さん
06/10/25 00:26:33
(その85)
10月に入ってから、吉永からアルバイトをしないかという誘いがかかりました。
東京競馬場の指定座席券を4人分手に入れるという仕事で、依頼人は吉永の親戚の眼科医、直接には
眼科医夫人である彼の叔母でした。
指定座席券のなかには、徹夜して並ばないと手に入れられないこともあるらしく、要は競馬場の
入口前に朝まで並んでいれば1万円のバイト料がもらえるのでした。
競馬といえば、私は上京してすぐに不思議な気がしたのが競馬新聞でした。
夕刊に大きな文字で「東京確定」と印刷されており、一体何が東京確定なのだろうと思ったのです。
競馬のある週末に夕刊を買うと、かなりのページをさいて競馬の予想記事があふれており、読んでも
面白くもなんともなく、数字がびっしりと並んだ出馬表は眺めるだけでうんざりしたものです。
私は即座に了承しましたが、私も吉永も他に知人がいないため、残り二人を探さなければなりませんでした。
この時吉永は断然女の子がいいと張り切り、新宿に出て、私の目の前で百人以上の女の子に声をかけましたが、
ただの一人も相手にしてはくれませんでした。
結局大学の写真部の三年生が話しに乗ってき、そのうちの富山出身とかいう一人が実家から送ってきたんだと
いってマスの押し寿司をご馳走してくれました。
指定券が手に入ると、先輩の二人はすぐに引き上げたのですが、吉永と私は入場券を買って場内に入り、一度
馬券を買ってみようということになりました。
私が1000円買った馬券の組み合わせの一つが当たっていたらしく、吉永はそれを払い戻し窓口に持っていき、
戻ってくると4千円と少しの百円玉を私に手渡しました。
その翌週には、私だけ一人、再び東京競馬場内にいたのです。
151:無名草子さん
06/10/25 00:27:46
(その86)
私は子供時分から国政選挙や、マラソン、高校野球、大相撲が特殊な意味で非常に好きでした。
それは大勢の政治家、選手、高校、力士のなかから誰が、どこが勝ち上がっていき、その過程でどんなハプニングや
ドラマが展開されるかの面白さで、なかでも選挙の当落情報は釘付けで見ていました。
もちろん子供ですから支持政党などがあるはずはなく、地元も他県も関係なくその投票結果の移り変わりを楽しんだ
のです。
実は私は競馬にそれと大変よく似た興奮と楽しさを覚えたのでした。
アルバイトしたついでに入場した東京競馬場のゴチャゴチャ、ザワザワした雰囲気も嫌いではなく、すぐにその
空気にもなじんだものです。
翌週に早速また足を運んだのは、単に儲けてやろうという気持ちではなく、十数頭もの馬のなかから勝つ一頭を
見届ける楽しさ、また自分の勘を試す楽しさを味わいたかったからです。
吉永にはそのような楽しさを感じる感覚はなかったのですから、ギャンブルの好き嫌いはやはり持って生まれた
各人の性質によるものなのでしょう。
すぐに熱くなる質ですから、この年の秋は競馬のルールや用語を覚えることに費やしたのでした。
全く大学には登校しなくなり、太宰を読むか、競馬週刊誌を読むかして日を送りました。
この時点では私もハッキリと一年の留年を決めていて、いつかは両親に報告しなければと考えていました。
甘いところのある、過保護の親でしたから、小説の研究に力を注ぎ過ぎた、でもその分大きな勉強が出来たので
満足している、来年からは充実した気持ちで授業にも出られるとでも言えば、しょうがないなあと嘆息しつつも
許してくれることは十分判断できました。
そもそも私には何よりYの存在こそが全てであり、一年の留年などYとの将来を思えば何でもなかったのです。
152:無名草子さん
06/10/25 00:30:27
(その87)
太宰に「美少女」という小説があります。
私はこれに書かれた、どうしても世間と気軽に馴染めない作者の性格、心理がまだ成人していないにも関わらず
大変共感でき、大いに笑ったものです。
温泉で他人と打ち解けられない。
そして散髪に行くのですら苦行のように感じる作者の心理が私には手に取るように分かったのです。
私は夕食で外食する際、美味しいと思っても続けて同じ店に行く勇気がなく、あちこちを徘徊しながら入りやす
そうな初めての店を探し回っていたものです。
入りやすい店を見つけると、例えまずかろうともそこを贔屓にしました。
接客の態度が良かれ悪しかれ「また来た」と思われるのがたまらなく嫌だったのです。
そしてまずくても入りやすい店とは、私に何の関心も示さない、表情のない店だったのです。
今でも私にはそういうところがあります。
今ではコンビニがあり過ぎるほど街中に展開してしのぎを削っていますが、当時はまだ一般的ではなく、勿論
各店が弁当を競うといった状況では全くなかったのです。
そういうわけで外食ひとつでもヘトヘトになるぐらいならと、私はいっそ自分で夕食を作ることにしたのです。
大変な「鰯の煮付け」を作ったことがあります。
たぶん、これが最初の献立だったと記憶します。
インスタントラーメンを作る時の水の量よりもっと多くの水を鍋に入れ、それに丸く切った大根と鰯を放り込み、
醤油と砂糖を足し、やがて出来上がりを待ったのです。
これで水が沸騰し、水分が減っていけば煮付けの出来上がりと思っていたのですから、全く無知以前のお話です。
グツグツとお湯が鳴り、魚と大根と醤油の入り混じった匂いが鼻に感じられると嬉しい気分でしたが、時間を待ち
ながら私は小説だか、競馬情報を読んでいたのです。
さあ、もういいかと立ち上がると、グラグラ沸騰を続けるまだまだ余りあるお湯の中には目玉が飛び出し、身が
崩れて、半分は骨ばかりという3匹の無惨な鰯がさかんに揺れていました。
鰯は沸騰の勢いで何度も何度も鍋にぶつけられ、ボロボロになっていたのです。
153:無名草子さん
06/10/25 00:31:51
(その88)
この時期、私は今でいう「引きこもり」のような生活を送っていたのでした。
外に出るとストレスでクタクタに疲れる。
アルバイトひとつ満足に出来ない。
学業のことは頭になく、時々太宰の文章に刺激を受けては原稿に何か書き散らし、それで充足しないとKやNに
手紙を書いては創作衝動のようなものを発散していました。
冬に入り、帰省のシーズンが到来しました。
私は堕落した生活を両親に見破られるのを怖れたのと、いずれYに会うために春には帰郷するのですから、
あらかじめ親には春休みの帰省を伝えました。
私は心躍らせながらY宛てに年賀状を書きました。
それには、いかにもあれこれ努力しているような数行の文章を添えました。
果たしてYは返事の年賀をくれるだろうか……夢だか現実だかも把握できないような恐怖と期待の入り混じった
感情が年末いっぱい続きました。
「来るわけがない」とお得意の悲観主義に勝手に陥っては沈み込み、「きっと来る」と自分の信念を確信しては
また未来を描く。
一週間が勝負と思っていました。
年明けの何日目であったか詳しくは忘れましたが、割合早いうちだったと思います、映画を観てアパートに帰り、
郵便受けから数枚の年賀状を手にした時、確かに一瞬私はYの名を捉えたのです。
もう半年以上も覚えたことのない歓喜、身体全体が熱気で一遍に蒸発してしまったかのような幸福感情に満たされて
私は一気に階段を二階へと駆け上がりました。
紛れもなく、それはYからの年賀状でした。
これまでと違って、毛筆では書かれていませんでしたが、その代わりに「私も頑張っています」という数行の文章が
添えられていました。
154:無名草子さん
06/10/25 00:33:50
(その89)
以前、奇跡としかいいようのない超常現象のような、また超能力でも発揮したかのような私の「片手懸垂」の
話を紹介したことがあります。
非力で懸垂すら数回しか出来ない私が、片手で軽々と自分の身体を模範通りに鉄棒に横付けしたまま空にいて
先生や他の生徒を仰天させた話です。
ある機会や条件さえ整えられれば、人は誰でも本来秘めているとてつもない力を表に出すことが出来るのでは
ないでしょうか?
機会や条件は、各人の生まれた環境、性格によって様々な違い、バリエーションがあると思いますが、強烈な
目的意識……それは野望でもいいのです……、そしてそれを支える精神力が完璧な状態にあるときに成功する
ものと思います。
究極負けられないという意識が無意識のうちに高まり、極限に達したとき、人は勝ち方をどこからか、それは
背後霊とか守護霊とか呼ばれる言い方で感じ取ることが出来るのです。
それは、ほんの瞬間のことです。
スポーツでも、よく「勝ちたい思いの強い方が勝つ」という表現を耳にしますが、全てがそうでもないにしても
大変核心をついた表現だと思うのです。
「自信」もまた人を進歩させ、成功に導き、未来を明るくします。
日頃の優柔不断、不安や弱気、やる気のなさを打ち砕きます。
Yからの年賀状は、堕落して鬱々とした私の心を完璧に変えました。
不本意な別れのまま、本当はもう自分はYとは縁のない人間ではないのかという不安を常に宿していただけに、
いや、やはりそうではなかったのだという強烈な安堵感に浸りました。
彼女の年賀状をしっかり手にし、これが否定しようのない、素晴らしい現実であることを実感し、私は想像も
しなかった意欲ある生活を送り始めたのです。
155:無名草子さん
06/10/25 00:34:48
(その90)
私はYの前で、自分を誇れる身でいたいと思いました。
私とYとは生涯運命的な人生を送るのだ思いました。
この喜びは即座に私の人生の自信のようなものに繋がり、もう人を恐れず、困難にも屈しないぞという勇気を
与えてくれました。
私はまず両親に詫び状を書き、二年に進級できない状況を伝えました。
しかし文面は非常に溌剌として、どこにもくさった気配のない内容でした。
真実私の心が活気に満ちていたからです。
偶然ながら両親に告白する形としては最も効果的なものとなったのでした。
そしてYと会う日までのつもりで、「春への想い」というタイトルの随想を綴り始めたのです。
それは高校時代の私の最大の危機を救済してくれた彼女を、ヘッセの「デミアン」に登場するベアトリーチェに
例え、また現実の女神のように例えて賞賛し、私の将来を夢見るような内容でした。
原稿に向かっていると、しみじみ私は本当の自分に戻った気がし、競馬に夢中になっていたことが実に浅はかで、
下等に感じられて仕方なかったものです。
私はどのようにして彼女に会うかをそろそろ考え、決定しなければなりませんでした。
156:無名草子さん
06/10/25 00:35:48
(その91)
いくらYを信頼しているとはいえ、手紙で会いたい旨を伝えても断られたらそれで終わりです。
最初ラブレターを出した時と同じで前進は望めません。
私はもう二度とあの轍は踏まないつもりでした。
当初ぼんやりとながら私が考えていたのは、母校を訪ねてYの弟に会うことでした。
いかにも素直で正直そうなあの彼だったら、きっといい仲介役をはたしてくれるだろうと思ったのです。
ただ、彼が今二年の何組かも不明でしたし、行き当たりばったりに他の生徒たちをつかまえて彼を呼び出して
もらうわけですから一苦労する覚悟が必要でした。
一苦労するのは当然ですが、そういう行為が美しいかどうかの疑問はありました。
ほかにツテがない以上仕方ないとは思うものの、話ひとつしたことのない彼にいきなり恋の仲介依頼ですから、
仮に彼が私の名前を知っていたとしても、それはやはり非常識に映るのではないかと気になってくるのでした。
結局最終的な結論は、私にしてみれば相当大胆なものとなりました。
直接Yの家を訪ねることとしたのです。
母親がいようと構わない、あれこれ小心な小細工を考えず、正々堂々と心を伝えようと決断したのです。
まるで将来の結婚まで意識しているかと詮索されるような決意の仕方でした。
確かに運命的と自分が信じている以上は、そういうことを含んでいることにもなるのでしょうが、現実には
そこまで具体的な発想はなく、ひたすらYとの絆を保っていたいという一念だけでした。
一見大胆に見えはせよ、本当は幼い、いじらしいぐらいの愛情表現なのでした。
会いたい想いは喜びなのか苦しみなのか、迷いと悩みの先には本当に幸せが控えているのか、春はもうすぐ
そこに来ていました。
157:無名草子さん
06/10/27 23:42:05
「生まれてきてすいません」って何の小説だったかな?
158:無名草子さん
06/10/28 01:57:45
>>28
続きまだ?
159:無名草子さん
06/10/30 01:24:43
どうして入水自殺ばかり図ったのだろうか?水が好きなのか?
160:無名草子さん
06/10/30 02:05:43
>>159
水は母胎回帰の表れ、とでも言いそうだが、
何か一つ一つの事件が、助かる可能性を籠めた賭けだったように思われ。
少なくとも未遂に終わった時は、別段、重い後遺症を残さずに現役復帰し
たわけだし
161:無名草子さん
06/10/30 04:05:23
URLリンク(natsumegu.jpn.cx)
162:無名草子さん
06/10/30 04:31:08
URLリンク(natsumegu.jpn.cx)
163:無名草子さん
06/10/30 14:25:50
>何か一つ一つの事件が、助かる可能性を籠めた賭けだったように思われ。
太宰治のこういうところが大嫌い。虫唾が走る。
164:無名草子さん
06/10/30 15:53:10
いかに女にすかれるか自慢しているような印象はもつ
小説家としては大変優れていると思う
165:無名草子さん
06/10/30 15:53:48
>>163
例えば三島なんてその口かな? 幾度も事前に予告や練習をして
本番に臨んだ、その几帳面さも悪くはないが。
太宰は最後の自殺もどうやら未遂で逃げる積りにも思えるけど、
>山崎富栄と玉川上水で入水心中。ふたりの遺体は紐で固く結ばれ
>ていたが、太宰が激しく抵抗した形跡が歴然と残っていた。この
>ため一部では「太宰は決行直前になって気が変わったが、山崎が
>強引に水の中へ引きずり込んだのだ」との説もささやかれた。(Wikipedia)
助かっていたら、またぞろ何を書いたかと思うと苦笑ものだな
166:無名草子さん
06/10/30 16:19:40
>>159
入水以外にも、カルモチン心中もはかってますよー(未遂)。
いつも女連れでモテモテ太宰。正直羨ましい。
167:無名草子さん
06/10/31 15:13:23
それでも家庭と名声等にこんなに執着があるのです
と言っているようで好感は持てる。
それも計算か
168:無名草子さん
06/10/31 21:09:13
パビナール中毒ってどんな症状なんですかね?
169:無名草子さん
06/11/02 01:54:27
太宰は一人では自殺できないヘタレ。
170:無名草子さん
06/11/02 10:02:22
太宰って、人生にも、実家にも、師匠にも、女にも
甘えてて、見ていて気分が悪くなる。
作品は文句なしに素晴らしいんだけど。
171:無名草子さん
06/11/02 16:41:50
甘えられない人間の犯罪はこわい
172:無名草子さん
06/11/03 16:12:36
(´・д・)「ね、何故自殺するの?」
(^ω^ )「苦しいからさ」
173:無名草子さん
06/11/03 22:40:01
【芸能】押切もえ「力みすぎて、ちょっと激しすぎたかも」と照れ笑い…初のDVD発売で[11/03]
スレリンク(mnewsplus板)
174:無名草子さん
06/11/04 20:51:01
太宰の作品って当時人気あったの?
なんだか金持ちの戯言+アルコール中毒のクズばっかで
全然共感できないんだけど。
175:無名草子さん
06/11/04 21:13:35
金持ちでアルコール中毒の人々にも大人気。
176:無名草子さん
06/11/05 10:54:37
後追い自殺が横行したって言うからな。
斜陽族なんて言葉もあったようだし。
177:無名草子さん
06/11/05 11:15:14
太宰の贖罪意識は遍歴が面白い。
優等生であることにプライドをもっていたが劣等生になったこと。
↓
共産主義に傾向しプロレタリアートの敵であるブルジョアでインテリだったこと。
↓
作家としての良心と生活のための文筆家としての軋轢。
↓
名実ともに廃人となり人間失格との烙印を押されたこと。
↓
キリストの無償の愛(これも人間失格)という思想に傾向するが自分は人間であること。
↓
愛を見限り厳愛で社会規範を破壊する暴君的に振舞うこと(模範の父にはなれない)。
こういった意識ってのは現代人にも多々あるやね。
会社の利益のために良くもない製品を売らなきゃいけないこと。
生活の向上のために発展途上国の環境を破壊すること。
科学物質や森林伐採、CO2の排出で他の生命を破壊すること。
資本主義における自由経済で犠牲者を作らなくては生きていけないこと。
戦争や圧力でのさばる国に迎合すること。
現代人に共通の罪や矛盾だけでも腐るほどあげられる。
昔の貧しさからくる苦しみと現代人特有の苦しみ。
どっちも苦しい。
今でも太宰が人気あるのはこうした普遍的な人間の苦しみに根ざしているからだと思う。
178:無名草子さん
06/11/05 16:45:58
太宰治のナルシストっつぷりには閉口するね
あいつは絶対かわいそうな自分に心のどこかで惚れてたよ
自殺したのだって不幸な自分に注目して欲しかったんだと思う
179:無名草子さん
06/11/07 14:43:06
苦しみのとろは聞き流すように読んだ
物語の作りの旨さと心地よい流れがある文章
はっきり言って自分で書いているだけで背景にある経済や男女関係は
どうでもよかった
180:無名草子さん
06/11/09 03:30:23
ナルシストっていうよりピエロに見えますが
とりあえず「世間というのはあなたのことでしょう」は効いた
181:無名草子さん
06/11/09 13:25:56
昨日と同じ一日が過ぎ去ったあとで
飲みたくもない麦酒を流し込む
生温い泡の上に
私の憔悴しきった顔が
いくつもいくつも浮かんでいるのさ
どうにも、ならない。。。
182:無名草子さん
06/11/10 16:57:45
誰だって機能と同じ一日が過ぎる
麦酒がのどを流れるかどうかはしらないけどね!
183:無名草子さん
06/11/17 23:54:53
走れメロスに出てくる王様って民主主義なんですか?
184:無名草子さん
06/11/21 12:52:10
今日創生記を読みましたが、完全に狂ってますね。
カタカナの文章の所が特にやばい
絶対に教科書には載らない作品でしょうね。
でもメロスは載っている・・・
そのギャップが最大の魅力!
185:無名草子さん
06/11/21 17:28:16
>181 >182
昨日と同じ一日などありえない。
誰にとっても今日という日は、人生で迎える新しい一日
そして人生で絶対に二度とはこない唯一の一日。
だから、
良い仕事をした後で啜るお茶のあぶくには綺麗な私の顔が映って
瞬らにしかない永遠を実感させる。
太宰は深い。ゆえに時代を越えて読み継がれる。
186:無名草子さん
06/11/21 20:16:42
>>185
頭大丈夫ですか?
187:無名草子さん
06/11/22 13:03:49
>186
心大丈夫ですか?
188:無名草子さん
06/11/22 19:42:30
なんで悔しいからって分かる自演するの?
189:無名草子さん
06/11/22 19:44:45
ついに中村うさぎがチンポ金で買ってるwwww
チンポ大きい
くーーーー気持ちよすぎる
だってwwwwwww
こいつアフォやろwwwww
太宰先生もうさぎと同じように出版社に借金していたよねw
190:無名草子さん
06/11/23 03:37:44
長編は駄作ばかり、治さんは依存症なんでしょうね。ただ、短編は天才ですね。社会をよくモリタリングしてますよね。女神や親友交歓ば凡人には書けないでしょう。
191:無名草子さん
06/11/28 18:51:17
長男って、今どうしてるの?
192:無名草子さん
06/12/01 20:09:57
駄スレで、すみません。
193:無名草子さん
06/12/01 20:57:52
今んとこ俺が読破した作家ってこの人だけだ
駄作なんて一つもない。力作と、すんごい力作のみ
今筒井の読破に挑戦中~
194:無名草子さん
06/12/02 20:30:51
セッカチピンチャンというヤケクソな題名の漫画が見たいです
195:無名草子さん
06/12/02 20:48:24
>>190
長編って? 太宰に在ったか?
196:無名草子さん
06/12/02 21:02:47
お前は俺か?
197:無名草子さん
06/12/06 11:29:01
すみません無能な私に
トカトントンの先生の返信の意味を教えて下さい。
198:無名草子さん
06/12/06 19:50:26
>>197
ノンキ和尚
199:無名草子さん
06/12/06 21:22:54
生まれてきてすいませんって何の小説にでてくるんでしたっけ?
200:無名草子さん
06/12/06 21:44:18
>>191知的障害の人だっけ
201:無名草子さん
06/12/06 22:08:36
>>199
二十世紀旗手
202:無名草子さん
06/12/07 22:28:03
>198
いじわる
203:無名草子さん
06/12/09 17:15:42
>>197
じゃ、無能な私がw
重要なのが聖書の引用である
「身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」これ。
ゲヘナってのは芥川が描いた羅生門みたいな場所。
処刑された人や、のたれ死んだ人なんかが捨てられる場所(地獄って意味もある)。
『この場合の「懼る」は、「畏敬(いけい)」の意にちかいようです。』とあるように、
羅生門みたいな場所で死ぬ人だけが尊敬されるに足りる真実の人だということ。
「真実の人」は自分の正しいと思う思想のためには地獄に行く事も厭わない。
(というより正しい思想を遂行しようとする人は地獄に行くと言っているようなもの)
戦後当時の国民は敗戦で「国家神道(天皇)」や「聖戦」という精神の主柱を無くした。
そういった虚無感ってのは戦後当たり前のことであって、
ことさら吐露するようなことではなかった。
つまり太宰は「有言実行しろ」といいたかったんじゃないかと思われる。
太宰が小説でよく使う引用で
「汝断食するとき、かの偽善者の如く悲しき面持ちをすな」ってのがある。
これと前出の引用は同じような意味。
さらに別の小説で「今(戦中)苦しいと言って酒をあおる学生がいたら殴る」とも言っていた。
あと、「ポーズ」ってのも太宰の嫌いな言葉。
204:無名草子さん
06/12/13 17:48:10
走れメロスに収録されてる帰去来とあともう一つ。
アレのラストはグッとくる。
面白いな太宰。陰惨な作品ばかりが面白いと思ってたが、認識を改めたよ。
205:無名草子さん
06/12/13 19:57:53
「文学全集を立ち上げる」にて
鹿島茂の説が面白かった↓
・太宰=女性憑依体質
・なかにし礼とか阿久悠とかの世代のつくった歌に
男性歌手の歌う女性一人称の歌が異様に多いのは
多感な時期に太宰治を読んで育ったから
206:197
06/12/16 15:57:09
>203
ありがとうございます!
うーん、つまり
お前だけじゃねぇんだよ、グズグズと愚痴ばっか
言ってないでまず動け
・・ってことでしょうか。
なるほど。これであの小説の面白さが少し理解できました。
「ポーズ」が嫌いってのも何でだろう?
あーあ、私って人の気持ちがわからん奴だなぁ・・
207:無名草子さん
06/12/22 20:45:07
踊るダメ人間のPVってまんま太宰先生だよね
208:無名草子さん
06/12/23 10:20:42
筋肉少女帯にはイワンの馬鹿って歌があるけど大槻ケンヂも一応
作家って事で文学に通じてるのだろうか
209:無名草子さん
06/12/24 23:49:03
>>206
すんごい亀レスですが、
ポーズが嫌いなのは太宰自身が道化師として演じているからでは?
普通の人でもいわゆる「ぶりっこ」は嫌いだよね。
かわいく見せたり、かっこよく見せたり、背伸びしているのも見ていて滑稽。
昼ドラの臭い演技も見ていて恥ずかしくなる。
210:無名草子さん
06/12/29 09:08:39
>>24-100の文章は何なんですか?
もう読んじゃったけど
211:無名草子さん
06/12/29 09:09:45
>>24-100の文章は何なんですか?
もう読んじゃったけど
212:無名草子さん
06/12/30 19:53:18
東京 図書館
アニメ、邦楽(mp3、動画 mpeg2 avi DVDVOB)
は一週間程度でいなくなることもある
URLリンク(www.tokyotosho.com)
torrent box
URLリンク(www.torrentbox.com)
torrent reactor
URLリンク(www.torrentreactor.net)
213:無名草子さん
06/12/30 19:58:48
図書館で探して、無かった\
オラバウト
高画質無臭はここだけで十分。た\
URLリンク(www.genie.x0.com)
WK
オラバウトに無いものがここにある
URLリンク(98.to)
プロバの規制情報
非公開規制の情報はここから仕入れる
URLリンク(isp.oshietekun.net)
214:無名草子さん
07/01/02 17:11:44
(その92)
不運に泣き、幸運に笑うと人は言います。
予想外の悲劇との遭遇は不運であり、予想外の幸福に触れることは幸運です。
また、禍福は糾える縄のごとしという言葉があります。
好事魔多しという言葉もあります
人生は予想通りには運びません。
これからお話しする一件を、私はどう理解したらよいのか今でもよく分かりません。
この出来事は今でも恐ろしい夢のように私を苦しめるのです。
春ならではの暖かく、素晴らしく晴れた日でした。
この日、私はY宅を訪ねる前に一度彼女の家の場所を確認しておくべく家を出たのです。
受験生が大学の下見に行くのと同じようなもので、少し引き締まった神経と、まだ試験日ではないという
余裕とが入り混じっていました。
私の場合、まだ受験生でない分、ほんのり甘い気分が漂っていて、この日の晴れた空と暖かい空気に見事に
調和していました。
Yの家を確認する一番いい方法は、Yが下車するバス停の真ん前にある酒店で尋ねることでした。
そして、多分胸をときめかせながら彼女の家を目指して歩くのです。
どんな家なのか、気持ちは次第に高鳴っていきました。
バスで市内まで出ると、私は母校周辺をのんびり散歩し、そのまま城山公園に赴き、公園駅前のバス停から
乗り込むこととしたのです。
城山公園は正式な名称ではありませんが、私たちは普段そう呼んでいました。
歴史的になかなか由緒のある公園です。
Yの家は、このバス停からは一駅、その間大きな峠を一つ乗り越えることになります。
私は黄色いカラーシャツに、お気に入りの緑のセーターという服装でした。
215:無名草子さん
07/01/02 17:28:25
(その93)
「〇〇渓谷」行きのバスが、乗車客私一人を見つけて停車しました。
私は空いている車内の、中間よりやや後ろの右側座席に腰掛けました。
発車して1分もたたなかったと思います、左側最前列の一人座席にいた若い女性が急に立ち上がり、何ごとか
運転手に一言、二言話しかけたのです。
ポニーテールの髪型のその女性の横顔を見たとたん、私は驚きというより、大変激しいショックに似た感覚に
陥り、身体が動かなくなってしまいました。
Yだったのです。
私にとって、この春はまさしくYに会うためにのみに存在していたのですが、全く予測不能のこの状況に、
私はただ腰砕けになって彼女の後姿を見ているのでした。
彼女は俺の存在に今気付いている、何とかしなければいけない、ここをやり過ごしたら二度とチャンスはない。
そういうことは一瞬のうちに判断できました、要は何か行動を起こすこと、つまり声をかけることでした。
座席に凍りついたまま私は迷いに迷っていました。
そしてバスは停車し、彼女は後ろを振り向くことなく下車しました。
バスは再び動き出しました。
いけない!
これじゃいけない!
私は立ち上がって運転手席に走り、「降ります!」と告げたのです。
バスから降り、Yの姿を探すと、彼女は酒店前を左折し、脱いだカーディガンを片手に風になびかせながら、
猛スピードで走り去るところでした。
216:無名草子さん
07/01/02 17:32:16
(その94)
それはほとんど絶望的な光景でした。
Yがゆるい坂道を下って走り去った後、私はなすことなくただ道路に突っ立っていました。
私はこの悪意に満ちた神の業を怨み、またYに対しては「チェッ、逃げて行くにも演技がいるのか」と
憎まれ口を叩いたのでした。
カーディガンを風になびかせて走るYの姿はそれほど絵になり過ぎていたのです。
どうすればいいのか、私は途方にくれながらトボトボと酒店前まで歩き、言い様のない脱力感と現実味の
希薄さにまみれ、また心の奥底から湧きかけようとしている失恋の恐怖を感覚し始めていました。
このまま帰ってしまえば全ては終わる、それはよく分かっていました。
しかし、私から逃げ去った以上、彼女の家を訪ねることも出来ない。
私は酒店前を彼女が走り去った方向と正反対に方向を取ってあてもなく歩き始めました。
少し冷静になると、ある疑問が浮かび上がってきました。
それは彼女が立ち上がって運転手に話しかけた行為のことでした。
あれはもしかして私に自分の存在を知らせるためにやったことではないのか?
最前列に座っていたのですから、いやでもたった一人公園前のバス停にいた私の姿は敏感な彼女の眼に
最初から捕らえられていたはずです。
彼女としては逃げるほど嫌っているのなら、むしろ自分の存在は隠そうとするのが本当なのではないか?
そうだ、あれは敢えて私に自分の存在を知らせるためにやったことなのだと私は思い始めました。
逃げたこととの整合性はないものの、私は今少しでも自分に有利な状況を見出さねばならなかったのです。
実際、彼女が立ち上がって運転手に話しかけたりしなかったら、私が彼女の存在に気付かなかった可能性は
大なのです。
あんまり愚図愚図とここで時間を経過させてはまずいと私は思いました。
私はYの家の電話番号を調べ、ともかく彼女に連絡を取ることにしたのです。
217:無名草子さん
07/01/02 17:33:54
(その95)
一旦こうと決めると事の後先も考えず、性急に行動に移さないと気がすまない私の悪癖はこんな場面でも
表れました。
気が付いた時、私は農道にいたのですが、折り良く目の前に一軒の農家があったのです。
私は何の躊躇もなくその家の敷地に足を踏み入れ、開け広げになっている玄関をくぐったのでした。
中に入ると、中三か高一かと思えるぐらいの少女が炬燵に入って勉強していました。
土地柄でもあるのですが、少女は突然の侵入者にも何の警戒も示さず黙って勉強を続けていました。
「すみません」と断って、私はYの名をあげ、電話番号を教えてほしいことと、電話を貸してほしい旨を
伝えたのです。
するとすぐにその家の奥さんが隣部屋から顔を出し、電話なんかしなくてもYさんの家ならすぐ近くですよと、
丹念にYの家までの道順を教えてくれたのです。
Yの家に行く気持ちは全くなかったのですから、内心大いに失望したのでしたが、私はその親切に応えるべく
一所懸命聞く振りを通しました。
こうなるとあの酒店しかないなと私は思い、農家を出ると急ぎ足に来た道を引き返しました。
もう一時の猶予もないという感じでありながら、また一方ではやはり時々臆病風も吹いて、この難事のような
状況から逃げ出したくもなるのでした。
これ以上はないというほど胸の鼓動を高鳴らせ、私は緊張いっぱいに酒店に入りました。
店内には五十半ばぐらいの店の奥さんと、三十前後に見える息子さんが二人で仕事をしていました。
私はおずおずと奥さんの側に足を運んだのです。
「すみません、Y・Yさん宅の電話番号をご存知でしょうか?」
この時息子さんの視線が急にこっちを向いたため、私はますます緊張を強いられました。
「ご存知でしたら、教えていただいて、ちょっと電話を貸してほしいんですが」
「Yさん宅なら、ここから歩いてすぐですよ」
先程の農家の奥さんと同じ返事でした。
「いえ、電話で用件を告げたいので……」
奥さんは怪訝な顔で私を見つめるのですが、私はもうさっきのことを繰り返すわけにはいきませんでした。
218:無名草子さん
07/01/02 17:35:23
(その96)
好奇の視線をまともに浴びながらYと電話で話すのには正直かなりの抵抗があったのですが、もはやそんなことを
気にかけている場合ではなく、私は奥さんから教えられた通りの番号でYの家の電話を鳴らしたのです。
呼び出し音がするとすぐに「はい」と返答がありました。
まるで電話機の前で待機していたかのような素早い反応で、私はこれはYだと直感しました。
「あ、あの、Yさん……」
「私です」
押し殺したような声でした。
「ああ、僕だけど、さっきバスの中にいたんだけど……気付かなかった?」
「あ、気付いたような気もしたけど……」
滑稽な答え方でしたが、それだけYにも多少動揺があったのでしょう。
「今、バス停前の酒店にいるんだけど、ちょっと出て来れない?」
Yはしばらく沈黙した後「少し待ってください」と言って電話機の前から離れたようでした。
母親に相談に行ったなと私は思いました。
どうか来てほしい、必ず来てくれ……待たされる間、私は必死に祈っていました。
「もしもし」
Yが戻って来ました。
「ちょっと用がありますので」
なんだよ!と私は叫びたくなりました。
219:無名草子さん
07/01/02 17:36:24
(その97)
「じゃ、帰る!」
私はすねたように言いました。
そして事実すねるしか能のない無力の自分を感じたのです。
Yは落ち着いた声で「〇〇さん、大学はどこに行かれたんでしたっけ?」と尋ねました。
私もまた少し落ち着き「〇〇大学の法学部」と答えました。
「頑張ってください」
私は再度呼びかけました。
「ねえ、出て来てくれない?」
Yはまたしばらく沈黙し、「用がありますので」と答えるだけでした。
私は一気に自分を支える力が抜けたのが分かりました。
「じゃ、さよなら」
私は弱々しく受話器を置き、フラフラと酒店を出ようとしました。
その時背後から奥さんの声がしたのです。
「すみません、電話代いただいていいですか?」
「あ」と私は自分を取り戻し、ここで惨めな様は見せられないぞと自分に言い聞かせました。
息子さんが「母さん、いいんだよ電話代なんか」と諌めるような口調で言ったのですが、私は今の一切を知られた
恥ずかしさを感じました。
しかし私は気を強くして「いえいえ、すみません。お代は払います」とあえて笑顔を作りながら電話代を奥さんに
渡したのです。
220:無名草子さん
07/01/02 17:38:37
(その98)
酒店を出ると、光がいやに眩しく、痛く感じられました。
家を出るときは素晴らしく私の心に調和していた青空も暖かな陽気も、今は一遍に不似合いで皮肉な様を
演出しているだけでした。
帰るよりほかはなく、私はバス停までトボトボと歩いたのです。
バス停は目と鼻の先でしたが、そこに着くか着かないうちに急に物凄い寒さが私を襲ってきました。
私はブルブル震える身体を必死にさすりながら、それでも今しがたYが走り去った坂道の方向に時々視線を
向け、ひょっとすると彼女の姿が再び現れはしないかと淡い期待を寄せたものでした。
辛い、お迎えのようなバスが到着して乗り込むと、私はもう既に立っているだけの気力すら使い果たしていた
ようで、後方の空いている座席を見つけると崩れるように仰向けに倒れ込みました。
一向にやまぬ寒気に身体を縮込ませ、頭上の窓から外を覗くとどこまでも青空が続くばかりでした。
と、今度は奇妙な可笑しさが急襲し、私は身体全体をブルブル震わせながら、またヘラヘラと笑ってもいたの
のです。
あの青空は、今思い出しても凍り付くような寒い色でした。
家に戻ると、私はただちにY宛てに手紙を書き始めました。
何か意図あってのことではなく、純粋にそうする以外私の呼吸する方法がなかったのです。
便箋を用意した途端、ほとんど自分の意志とは関係なく爆発的にペンが走り始め、一字の訂正もなく一気に
7、8枚の手紙が書きあがったのです。
221:無名草子さん
07/01/02 17:40:00
(その99)
Yは地元国立大学の教育学部に合格していました。
もちろんそれが私の念頭にあったものらしく、手紙の内容はほとんど全部教育に関する話になりました。
一体、いつのまに私自身がこれほど教育の知識や情報を得、教育論とも言えるような考え方を身につけていた
のか、全く自分でも信じられないような思いでした。
最後には彼女が必ず立派な教師となって子供を社会に送り出してくれるだろうことを信頼しながらペンを
置いたのです。
何の未練も執着もない、大仰に言えば潔いほどの手紙だったと思います。
しかしこの手紙を投函することはありませんでした。
書き終えた時には、非常に感情も落ち着きを取り戻しており、なんだか心も澄み切って一種の覚悟が芽生えて
いたのです。
地元では国立大学を卒業した人間はそれで一定の評価を得ることが出来るのでした。
私のようなMARCH程度の人間が相手では、Yも物足りなく感じても仕方ないだろうという腐った気分も
ないではなかったのですが、しかしそんなこと以前に私は自分の現況を思えば、そもそも彼女のような優れた
女性と交際出来る資格も力量もないのだとすぐに覚ることが出来たのです。
しかし、神はもう一度とんでもない企みを私たちに施したのでした。
222:無名草子さん
07/01/03 23:49:34
人間失格今さっき読み終わって泣きましたw
私的にはすごくhitした作品。ありきたりな感想ですが本当に自分のようだと思いました。
あと途中で罪の対義語は罰なのでは?ってとこがありますよね?
私にはなぜ罪の対義語が罰なのか、わからないのですが…。
誰かわかるかたがいたら教えて下さい。
223:無名草子さん
07/01/04 00:43:59
北朝鮮の例で言うと、罪(偽札作り)で利益を得て、罰(経済制裁)で不利益をこうむるからかと。
224:無名草子さん
07/01/04 01:04:53
>>223
そういうコトなんですか!!ありがとうございました♪
225:無名草子さん
07/01/04 17:28:28
大宰は「同級生が見ていて辛くなるほど、食い意地が張っていた」ってホント?
別に他意は無いんだが・・・。
226:無名草子さん
07/01/05 01:10:02
太宰治っていう人は作品やその他一般に抱かれるイメージと違って
非常に男気のある骨太な男だったという指摘をどこかの評論家が
していた記憶がある
227:無名草子さん
07/01/05 01:32:56
太宰さんが「漢」だったからこそ自分を擦りきらすまで己の恥部や
弱さをさらけ出せたんじゃない?そして読者はそこに「自分」を見
つけるんだ…。
228:無名草子さん
07/01/05 15:33:50
漢は弱い所を見せないよ
同情してくれと言ってるようなものだよ
でもそれが自分と重なってしまうから読むんだ
恐らく最近の女が読んだら ケッ甘えるなって感じだろうね
229:無名草子さん
07/01/07 01:51:54
太宰治の著書(なんでもいい)で感想文を書くんです!
手伝って下さい、お願いします(´・ω・`)
230:無名草子さん
07/01/07 02:18:46
まかせろ
人間失格を読んで。主人公の奥さんが編集者にレイプされるとこで鬱勃起しました。
231:無名草子さん
07/01/07 16:12:19
こんなんでどうだ
・令嬢アユ
「あとで食べておこうと思ったのに、損をした」
-僕もこんな経験をするのだろうか。ああ、彼女は処女であってほしい!
・12月8日
「銭湯に行ったときは明るかったのに、帰ってきたときは真っ暗だった」
-銭湯と戦闘をかけてるんですね。当時の異常な状況の中でも、太宰は立派に抵抗をしている。偉い。
232:無名草子さん
07/01/07 16:18:26
長兄って、太宰の人気のおかげで衆議院選挙に当選したんだよね。
仕送りも無駄にならなくて、良かったなあ。
233:無名草子さん
07/01/21 11:19:48
水仙読みました。いろいろ考えさせられるね。なんか悲しかった。
234:無名草子さん
07/01/22 14:36:53
お願いです。猿面冠者のオチがよくわかりません。教えて下さい。
235:無名草子さん
07/01/22 16:00:35
太宰読んで何人死んだんだろ。死後まで他人に悪影響及ぼすロクデナシ。
236:無名草子さん
07/01/22 16:41:00
「なんにも、いい事が無えじゃねえか。僕たちには、なんにもいい事が無えじゃねえか」
237:無名草子さん
07/01/25 16:32:34
(その100)
私はすぐにも帰京することにしました。
Yがはっきり自分とは無関係な人間になった以上、いつまでも実家にいるのは辛かったのです。
ただ、Yをほとんど自分の運命の女とさえ思っていただけに、私にはこんな別れ方はあまりに唐突過ぎて、頭では
受け入れているものの、なかなか急にこれを身体全体で現実とは捉え切れない感覚も当然のように残っていました。
Yと別れて三日目、帰京の前日、私は弟と二人で市内に衣服の買物へ出かけました。
鶴屋という評判の衣服店で、春物のシャツ類をまとめて購入する予定でした。
弟は二階へ上がり、私は一階を歩き回りました。
店内で、私はふと見覚えのある女性を一瞬目にし、おや、あれは誰だったかなあと思いながらすぐに視線を逸らして
またシャツを探して歩きました。
私は外でさして親しくもない人たちと会うのが大変苦手で、一言の挨拶ですらかなりの勇気を要するため、極力顔を
合わせないようにしたものです。
数分後、私はまた私の正面に先程の女性を一瞬捕らえて目を逸らし、ああ、あれは理髪店の奥さんだと思ったのです。
高校時代は必ずその奥さんのいる理髪店に通っていたのでした。
やがて弟が一足先に買物を済ませてやってき、「外で待ってるよ」と言って店を出ました。
私も程なくシャツ類を籠に入れてレジに並びました。
と、またしても私は真正面、10数メートル先に理髪店の奥さんの姿を捕らえたのです。
奥さんは若干顔を横に向けていて、何だか今にも泣きそうな顔をしていました。
よく会うなあと苦笑しながら、それでもまともに顔を合わせて挨拶するのは嫌なのですぐに私は顔を逸らしました。
勘定を済ませて出口に向かった時でした。
こちら側に背を向けてしゃがみ込み、何か衣服を探している様子のコート姿の女性が突然立ち上がり、私の方を振り
向いたのです。
238:無名草子さん
07/01/25 16:33:42
(その101)
この時の衝撃を表現するには大変難しいものがあります。
そして、この体験は今も私を懊悩させ、後悔、不運の極地として悪夢のようにいつでも蘇るのです。
女性は長い黒髪を肩まで垂らし、薄緑のトレンチコートを上手に着こなしていました。
彼女はまさに私を待ち構えていたかのように私の真ん前に立ち、何ごとか囁きながら頭を下げて挨拶
したのです。
しかし、その眼は深く閉じられていました。
その瞬間、私はほとんど腰が砕けるかのようでした。
Yだ!
Yだ!
それがYだと気付いた時には、私は既に彼女の前を通り過ぎており、また驚愕のあまり彼女の方を振り返る
余裕がありませんでした。
そして一時に店内の出来事が奇麗に理解できたのです。
再三私の視線の先に姿を現したのは、理髪店の奥さんなどではなく、Y自身だったのです!
「何てことだよ!」
混乱しながら店を出ると、弟がすぐに近寄ってきました。
「Yだ!」
私は興奮しながら声を発しました。
「え?」
「Yがいたんだ!」
239:無名草子さん
07/01/25 16:34:53
(その102)
「Yがいたの?」
弟にも多少Yのことは話したことがあったので、彼も名前ぐらいは知っていたのですが、もちろんこの時の私の
動揺の意味など判るわけはなく、場違いな微笑を浮かべていました。
私は当然戻るべきでした。
この神の計らいを受容すべきでした。
「どうしようか」
私は呟きながら立っていました。
まだYは店内にいる、今戻れば先日の別れなど何でもなくなる。
さあ、行け! 戻れ! 会いに行くんだ!
私はさかんにそう自分を叱咤するのでしたが、私の両足は踵を返すことをしなかったのです。
あの時、なぜ戻らなかったのか、長い年月、私は何度も何度も繰り返し考えました。
弟がいなかったら戻っていたのではないかと思うこともあります。
弟というごくごく身近な存在があったために気持ちを集中させることが出来なかったのだと。
また、どこかYに対し先日のお返しをしたかったのだという復讐心も湧いたのではないか?
いや、単純に勇気がなかったためなのかもしれません。
トレンチコートのYは非常に大人びていて、圧倒する美しさで私の真正面に立ったのでした。
ポニーテールのYの残像ばかりが頭にあって、ロングヘアーにコートスタイルのYなど想像もできなかったこと
で、この変化にすっかり打ちのめされ、向き合う勇気が削がれたのだと。
あるいは、先日の一件で、彼女の本心を覚ったという強烈な諦めが既に根付いていたためなのかもしれません。
本当の理由は私にもよく判りません。
ただ、いまだに信じられないようなこの不可思議な現象を思う時、私は人は定められた自分の運命や宿命からは
どうあがいても決して死ぬまで逃れることは出来ないのではないかと感じるのです。
240:無名草子さん
07/01/25 16:37:32
(その103)
ある不気味さをもって、私はあの摩訶不思議な現象を思うのです。
一体、なぜ鶴屋でハッキリと三度もYの姿を視線に捕らえながら、それが彼女自身だと分からなかったのか?
レジに並んでいた時に見た泣きそうな顔のY、何か必死そうな顔のYがなぜ理髪店の奥さんにしか見えなかったのか?
最初からYだと認識していたら、これはもう何の困難もなく私たちはこの神の計らいに感謝しながら一緒になって
街中へ出たことでしょう。
それとなく私の付近に来て、私にその存在を気付かせる、それこそは高校時代から変わらぬYの典型的な行動スタイル
でした。
私はただ声をかければ良かったのです。
その最高のチャンス、どこにもない、この奇跡のような恋愛の実は何とも奇怪な現象ゆえに無惨に?ぎ取られたのでした。
バス中で会った日には逃げて行ったY、けれども私の呼び掛けに拒絶の支持を出したのは明らかに彼女の母親でした。
実はY自身は私と会ってもいいと思っていたのでしょう。
それが鶴屋店内での彼女の必死の行動だったのです。
それでもなお私たちはとうとう一度たりとも寄り添うことはできなかったのでした。
これはもう彼女の守護神が全身全霊を込めて私という悪魔から彼女を救済したのだとでも考えざるを得ません。
激烈な愛情表現をするYでしたから、一度でも寄り添えば彼女は私のようなダメ人間とでもとことん転落するまで一緒
という可能性は充分あったと思います。
彼女の幸福を思えば、それは私などと付き合うなどとんでもないことで、彼女の守護神は立派過ぎるほどに彼女を守った
のです。
241:無名草子さん
07/01/25 16:39:27
(その104)
第三章
大学をやり直そうという気概はふわふわと煙のように消えていき、ただ小説を書こうという曖昧で安易なだけの
意志、というよりそんな気分を抱いたまま私はその日暮らしを続けていました。
ある日神田古書店街で、私は山岸外史の「人間太宰治」という本を見つけました。
檀一雄などと一緒に太宰と深い親交のあった人で、これをパラパラめくったところ、読みやすさもさることながら、
太宰治の気性、生の生活を非常に自然に観察した内容になっていて、私は一遍にこの本の虜になって購入したのです。
小説とはまた違う抜群の面白さがあり、読み進めていくうちに一気に読了するのがもったいないぐらいの感じになり、
私は太宰の小説と合わせて楽しんでいくことにしたのでした。
私は高揚した、けれども実際的には堕落した、親に甘えているだけの生活の中に埋没したのです。
この頃、久しぶりに吉永と会って飲み、なぜか話の最後に私は「大学は中退するよ」と宣言したのでした。
もやもや停滞するばかりの打ち沈んだ日常、腐敗した精神の行き着き先のこの結論はここでやっと決定されたという
ような、そんな感じでした。
吉永は特に驚きもせず、逆にちょっとした皮肉の笑顔を見せ、ひとこと、
「仮面もまた真実」
と偉そうな口調で言ったのでした。
「なんだよ、仮面って?」
私は吉永の言葉の裏にある意地悪な感覚に少し動揺しながら、こいつとはもうこれが最後だなと思ったのでした。
この年の秋、吉永から「学園祭に行こう」という誘いの電話が入り、私は断ったのですが、実際吉永との交際は
これで終わったのです。
242:無名草子さん
07/01/26 03:22:38
職に就いて
243:無名草子さん
07/01/26 17:50:43
>>128
えーそんな事言うなら馬鹿にも分かるように詳しく説明してみてよ。
嫌味言うだけ言って、逃げるなんて卑怯な真似は嫌よー。
244:無名草子さん
07/01/28 15:41:23
来るはずのない電話を待ち
テレビも消さず 眠ってた
目を覚まし 服を脱ぎ シャワーを浴び 出かけよう
ああ ブルージーな朝 いつまで続くのだろう
ああ こんな私を 誰か受け止めてよ
バスが動き出す 見飽きてる景色
フライデーを買ってだらだらめくる
お茶の味がなんか 渋く感じる
なんとなく 探すのは 人の常 不幸な話題
ああ ブルージーな朝 いつまで続くのだろう
ああ こんな私を誰かさらっていってよ
雨が降り出した 傘も持ってきてない
ああ ブルージーな朝 いつまで続くのだろう
ああ こんな私は どこから来たんだろう
ああ ブルージーな朝 びしょ濡れが気持ちいい
ああ こんな私を あの人はどう思う
電話が鳴り出した
神様に祈る
245:無名草子さん
07/01/30 20:47:35
>>244
B'z乙
246:無名草子さん
07/02/01 20:41:19
(その105)
太宰の小説の良さは「弱さ」であると、批評ではなく感覚で知って私はこの弱さや脆さを現実の中で共有
していました。
私は自分の経験として、心や神経の傷の癒しは「自虐的な喜劇」で発憤できると分かっていましたから、
太宰の小説にちょこちょこと、やや大仰に出てくる失敗談が痛快で、またとても慰めにもなるのでした。
高校時代に、教科書で「富嶽百景」が出てき、この時国語教師でもあった担任は太宰治は「反俗の人」と
紹介しました。
間違ってはいないと思いますが、私は弱さ、もろさゆえに反俗になるしかなかったのだろう、反俗に徹して
鬱憤を晴らすしかなかったのだろうと考えるようになりました。
何も太宰を真似るのではなく、無論真似たくもなかったのですが、大学の不登校を続けながら仕送りだけは
当然のように受けるという私の生活は太宰の話によく似ていました。
しかし、太宰にはもしかするとまだどこかに普通の学生に戻ろうという意志があったか、あるいは既に
そのような意志もなく、まさに堕ちていくだけの人生に身を捨ててしまおうという無意志の状況だったかの
ように思えます。
非合法の共産党活動に身を置いた瞬間から、彼はもう自分の人生を捨て鉢にしていたのかもしれませんが。
共産主義という「道」を知った以上、自分を欺けずに非合法活動を支持するこのような性格を私はまた大変
好きでした。
私の場合はハッキリと中退を決意したところが太宰治の事情とは違いました。
あくまでもまだ「小説家となるか、さもなくば何にもなりたくない」という人生への決意が続いていたのです。
247:無名草子さん
07/02/01 20:42:52
(その106)
秋の入り口、早稲田の法学部を出て当時の大蔵省に勤めていた親戚が私を訪ねてきました。
父方の親戚で、私が小学校の頃何度か私の家に遊びにきたことがあります。
清潔を絵に書いたような性格の人でした。
また、この親戚の弟は国立大学の助教授になった人で、父方には非常に真面目で教育分野に就いた人間が多く、
父の故郷からは親戚の校長やら教師が入れ替わりよく来ていました。
ついでですが、母方は全く逆に芸術系の血筋でした。
国立大学の農学部を出ながら著名な画伯の弟子になったあと、一人息子であったために渋々実家の養鶏場を
継いだものの、結局は破産させた人間とか、絵描きを目指し、短歌、俳句を作りながら夫婦で漂流した末に
神主になってしまったのやら、演劇を目指して挫折したのやら、世間でいうところの“ろくでもない”連中が
多いのです。
私も強烈に母方の血を受け継いで“ろくでもない”人間になってしましましたが。
さて、大蔵省のこの親戚は父に依頼されて私の大学中退の意志を撤回させるべく説得に来たのでした。
一所懸命、社会組織のあり方と大学の専門教科の必要性、教養性を説くのですが、私は頑固に未熟な情熱を
ぶつけるのみでした。
彼は新婚で、翌年の冬のまだ寒い頃、非常に優しい奥さんを連れてもう一度私を説得に来ましたが、私の意志は
既に固まっていました。
涙が出るほどに懐かしい思い出です。
彼は後に故郷に帰り、有力銀行に勤務してある経済予測を発表します。
これは現実になってこの地方では相当話題になったのですが、この時彼は既に病死していました。
国立大学の助教授の弟も事故死していますが、父方の血筋は短命血統でもあるのです。
248:無名草子さん
07/02/01 20:44:23
(その107)
山岸外史の「人間太宰治」は、彼独特の山岸流観察眼で書かれており、彼自身のその神経の細かさもまた太宰の
神経の細かさに通じていて、非常に面白いものでした。
多分、普通の人間であれば常識というものを考えて抑制したであろうと思われる些細な日常の、決して秀でている
とはいえない凡俗だったり、あるいは卑小な太宰の精神構造を紹介していて、それが私の交友事情に似通っても
いて、まるで私自身がその本の中で交流しているかのような安心感が生まれ、すっかり孤独も癒されるのでした。
そして太宰の小説のあちらこちらには、心底私が共鳴出来たり、同じ苦しい失敗談、恥辱、怒りが散りばめられ、
かと思えば理想の生活にも思えるような文章があり、私はこれらの文章の脇に夢中で赤い線を引いたものでした。
滑稽というか、無茶な話なのかもしれませんが、私は当面の生活を太宰治の幾つかの小説のメッセージから組立てる
ことにしました。
実態は転落の初歩であるにも関わらず、私は悲惨なほど暢気に人生に臨んでいたのです。
私は親の仕送りを断り、アルバイトを見つけて誰からも干渉されない生活を目指しました。
以前“かつ煮定食屋”のアルバイトでは失敗していましたから、窮屈さを感じない仕事を探しました。
同時にアパートも賃料の安い場所に移り、ここで小説をひとつ書き上げるのだと発奮したのです。
仕事はシフト上、一人勤務もある某乳飲料の駅店舗の店員でした。
朝早い勤務でしたが、その分午後二時頃には帰宅でき、ゆっくり小説も書ければ、好きな勉強も出来るのでした。
私はこれによって理想の生活を送るべく“七つの幸福”なる生活信条を作り上げ、大きく胸を膨らませたのです。
客観的に自分を監視する力は全くなく、この頃はあくまで自分の道を突き進むことが己の運命だ、そしてこの後には
必ず成功がある、いやこの生活を得ない限り成功はないとさえ思っていたのでした。
249:無名草子さん
07/02/01 20:46:03
>>247
まだやるんなら削除依頼+アク禁要請出すよ?
books:一般書籍[スレッド削除]
スレリンク(saku板)
250:無名草子さん
07/02/02 21:10:33
玉川上水ってもうお水が流れていないのね。
251:無名草子さん
07/02/07 22:20:36
今度三鷹近辺中心に太宰ゆかりの場所を探訪しようかと思うのですが、
実際巡ったことある方いますか?
美登里鮨もう閉店してたのね…
252:無名草子さん
07/02/20 15:02:28
はあ。まあ。意味がちょっと・・・・・・
253:無名草子さん
07/02/22 16:08:58
太宰のユーモアセンスは相当なもんだよな
大力とかまじで笑える
254:無名草子さん
07/02/22 16:39:07
>>250
一時期完全に流れなくなったけど、今は多少流れてるよ。
もっとも入水するには全然水量が足りないが。当時は柵のすぐ下まで
満々と水が流れていたそうだ。
>>251
高校が三鷹だったので、自然によく付近を歩いた。高校の正門の前が
太宰の土左衛門が揚がった現場。当時を知る老人の先生がいて、
その時の事を語っていた。
255:無名草子さん
07/02/22 16:58:22
>>253
「畜犬談」の書き出しは神って誰かが書いてたけど私も同感です。内容も笑えるし。
こんな言い方したらおかしいけど、太宰先生「畜犬」にツンデレだったのでは?
「御伽草紙」の「カチカチ山」も最高!
256:無名草子さん
07/02/22 17:44:20
>>255
最初はポチのこと嫌ってたのに最後は一番の味方になっちゃうんですよね(笑)
よく小説の中に「理由はどうあれ、旗色の悪いほうに味方せずんばやまぬ性癖」という言葉が出てきますがここでもそれが働いたのかもしれませんね
257:無名草子さん
07/02/23 15:08:57
>>131
でも何でそれが直治のためになるわけ?
258:無名草子さん
07/02/23 15:19:15
>>250
流れていますよ。でもあれは汚水を処理したもの、つまり元々は下水。
259:無名草子さん
07/02/25 00:28:11
『人間失格』のどのへんについてか解る人?
「代理覗き」とでもいうべき状況だったか。堀木は「自分」の分身を演じつつ完全に演じおおせなかったところが問題だった。
「自分」が自ら一人で覗いたとしたら、分身をそっと立ち去らせて済ませる―自己欺瞞によって封印する―ことができたであろう光景を、
独立個体の堀木によって、俗な動揺込みで知らされてしまったがため、もはや自己欺瞞が不可能になってしまった。
堀木の中に率直な意識が残るかぎり、不完全分身の「自分」は癒されようがない。自己欺瞞のチャンスを奪うほど酷い人権侵害はないのだ。
『のぞき学原論』(三五館)p.59-60
260:無名草子さん
07/02/27 13:58:37
URLリンク(www.ykj.or.jp)
太宰ゆかりの宿。
261:無名草子さん
07/02/28 18:42:21
近代美術館で「第三の手記」のモノホン生原稿見てきた。
字ド下手だた
262:無名草子さん
07/03/01 20:35:20
>>261
アホw
あれだけの作品を残した文筆家が一文字一文字丁寧に書くかいな。
親戚の子供に書いた手紙を見たことがあるが、きれいな字だったよ。
263:無名草子さん
07/03/05 00:14:46
人間失格読んでる途中だけどヨシ子がレイプされた所で
読むのが辛くなってきた。鬱だよ。
264:無名草子さん
07/03/05 00:53:24
今読み終えた。鬱だ、果てしなく鬱になった…。
265:無名草子さん
07/03/05 02:33:32
おチンポ
266:無名草子さん
07/03/11 17:02:40
おキンキン
267:無名草子さん
07/04/03 20:34:04
>>128は博識ぶっといて結局何も答えられない無能
268:無名草子さん
07/04/04 08:33:31
ずいぶん遅レスする子だなぁ
269:無名草子さん
07/04/15 01:42:16
太宰の全作品ってよめる?
あと何文庫で集めれば多くの作品読めます?
270:無名草子さん
07/04/16 01:07:33
笑顔が可愛いすぎだよ
271:無名草子さん
07/04/19 08:27:10
今まで敬遠してたけど、読んでみると結構面白いね。
文体が気持ちいいし、どことなく精神病臭いのも面白い。
272:無名草子さん
07/04/19 11:56:27
正義と微笑が好き
273:無名草子さん
07/04/19 20:17:14
太宰は一人で自殺する勇気のないへタレ男w
274:無名草子さん
07/04/20 01:51:50
/⌒彡:::
/冫、 )::: GWkarudenannttoka...
__| ` /:::
/ 丶' ヽ:::
/ ヽ / /:::
/ /へ ヘ/ /:::
/ \ ヾミ /|:::
(__/| \___ノ/:::
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|\ ヽ:::::
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\ | /:::: ヽ 〈::
\ | i:::::: (__ノ:
__ノ ):::::
(_,,/\
275:無名草子さん
07/04/20 03:21:33
あまり読書をしない私が何度も繰り返し読める『人間失格』。
人間ってこんなになっても生きていけるんだな~
と、感心しながら最後のページを読むのが好きです。
最後の数行は本当にリズム感のある文が続くので
日常、何気ない時に思わず口ずさんでしまいます。
276:無名草子さん
07/04/20 17:15:12
お チ ン ポ
277:無名草子さん
07/04/21 11:08:08
>>269
全作品かどうかは知らんが俺は新潮文庫で集めたよ
278:無名草子さん
07/04/21 15:01:29
>>269
オリは築摩の全集(全12巻)最近読んでる
279:無名草子さん
07/04/26 11:05:08
文庫本の解説の所に、
太宰の自殺はマイナスの十字架
みたいな事が書いてあって、
十字架ってマイナスのイメージだから
マイナスかけるマイナスでプラスになんじゃね?
と突っ込みを入れてしまうのは理系だからでしょうか
280:無名草子さん
07/04/27 01:32:07
理系は関係ないと思いますよ(爆)
281:無名草子さん
07/04/27 03:06:41
>>269
おくればせながら。太宰治全集がでてるじゃまいか。
たしか、ちくま書房。ゼミで使ってた。
282:m
07/04/28 14:53:00
私も今その本読んでます♪かなりおもしろいです。主人公に共感してます。さすが名作ですね♪
283:無名草子さん
07/05/03 02:34:54
人間失格わけからん
284:無名草子さん
07/05/03 02:44:14
>>279
イエスの場合は罪なくして、他方、太宰は自業自得だから
「マイナス」と評したのだろうけど、「十字架」を担う、
という事では同じ。イエスであろうと人であるという「原罪」
からは免れ得ないのではないかと
>>283
考えられるとしたら、作り込み過ぎたかな?
太宰自身の自叙伝という評価が定着しているけど、本当は、
主人公はもっと世慣れた人物も想定していたという創作
の側面って案外、スルーされている
285:無名草子さん
07/05/04 22:44:58
斜陽館行ってみたいな。
行ったことある人どうでしたか?
286:無名草子さん
07/05/12 01:44:45
>>282
そんなウキウキ気分の面白い、で読んでもらいたくないな。
>>283
なにがわからんのじゃ。
287:無名草子さん
07/05/14 17:17:21
太宰は女々しい男だなw
288:無名草子さん
07/05/14 20:16:27
人間失格にて、
人間らしく生きるってどういうことを指しているのか
いまいちわからない。
289:無名草子さん
07/05/16 00:22:01
堕罪が自殺してくれたおかげで青空文庫で読むことができるのだ
290:無名草子さん
07/05/16 00:48:19
初めて人間失格読んだ。
青森県民で良かった。作品一通り読んだら金木町の記念館に行ってきます
291:無名草子さん
07/05/16 10:33:25
>>290
県立図書館&近代文学館通ってるでしょ?
292:無名草子さん
07/05/16 10:52:45
>>288
少なくとも「世間体」に縛られた生き方が自分には出来ない
と云うのは判る。世間がどう思おうが、という処にまでは到ら
なかったのはいじらしいというか何と云うか
293:無名草子さん
07/05/24 03:18:45
太宰が現代に生きていたら
2chで粘着してただろうなと思う
294:無名草子さん
07/05/31 23:15:40
>>293
匿名掲示板では太宰の自己愛は満たされないから、それはない
295:無名草子さん
07/06/05 12:44:06
コテハン
296:無名草子さん
07/06/09 12:43:01
人間失格のキャッチコピー募集してるよ
審査員の人選が笑わすが
URLリンク(www.mangadedokuha.com)
297:無名草子さん
07/06/11 02:52:58
>>264
人間失格って鬱になるような作品かな。
俺は変に感情移入というか、入り込めないまま読み終えてしまった。
あ~そうですか、みたいな。
298:無名草子さん
07/06/14 19:22:42
テンションが鬱の時読むと「人間失格」はピッタリくるよ。
299:無名草子さん
07/06/18 03:40:31
斜陽がいちばんすき
300:無名草子さん
07/06/18 20:20:33
漏れは「晩年」と「津軽」かな。
あ、「トカトントン」も
301:無名草子さん
07/06/19 12:17:01
毎年忘れてたけど
今年はやっとこ思い出した。
桜桃忌age
太宰先生あなたのお陰で私は随分
「死」に寛容になってしまいましたよ。
先日伯母さんが自殺したけれど
開放感に満ちた安らかな死に顔だったそうです。
生きる事はつらい事だけれど
死は解放だと思うけれど
もう少し頑張って生きてみようと思います。
ナムナム。
302:無名草子さん
07/06/19 14:06:02
桜桃忌なのに書き込み全然ないなァ…なんか寂しいぞ。
303:無名草子さん
07/06/19 15:42:01
今日は1909年から98回目の御誕生日、13日に1948年から59回目の命日
304:無名草子さん
07/06/19 18:33:45
桜桃忌
305:無名草子さん
07/06/19 19:38:00
今日は太宰先生の桜桃忌なのでこちらに来てみました。生きるって大変ですね。先生。
私は28ですが、つくづくそう思います。
306:無名草子さん
07/06/20 18:41:07
先生、なかなか周りには俺みたいな変人はいません。
昨今は、病んでいる人が多いみたいに言うけど、電車とかで、まるで見ません。
それから、漫画になってしまうそうです。
大変残念です。
日本人の読書ばなれを解消しようと、なんだか必死です。
つまり、ハヤリの漫画となってしまいました。
彼らは、自己満足です。
ああ、残念残念。
先生、自分は、先生の言葉,文章しか、見ません。
307:無名草子さん
07/06/21 00:37:49
え、読みたい・・・
詳しく教えてくれませんか?
何の雑誌ですか?
308:無名草子さん
07/06/23 03:56:45
俺誕生日が6月19日なんだ
309:無名草子さん
07/06/26 21:32:06
みなさん集英社から新しく出る人間失格の表紙が
デスノートでおなじみの小畑健の書き下ろしになりますよ~
詳しくはナツイチ参照
310:無名草子さん
07/06/28 17:50:55
まじですか!
今の奴売り飛ばして
新しく買おうっと。
311:無名草子さん
07/06/30 15:18:21
今日人間失格買おうと思ったら絵が・・・
正直やめてほしい
312:無名草子さん
07/06/30 21:27:03
亡くなった元総理
富栄さん
共に1919の
大正8年生まれ
313:無名草子さん
07/07/01 01:39:51
∧_∧:::
(l||l´д`)::: hitigatu haa...
/⌒ 丶' ⌒)::: munewarui YUU
/ ヽ / /:::
/ /へ ヘ / /l:::
/ \ ヾミ //:::
(__/| \___ノ/:::
〉 /:::
/ y ):::
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( く::::::::
(\ ヽ:::::
| \ ヽ:::::
| .i:::\ ⌒i::
| /:::: ヽ 〈::
| i:::::: (__ノ:
__ノ ):::::
 ̄(_/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
314:無名草子さん
07/07/01 17:45:24
新潮の買えばよろし
315:無名草子さん
07/07/02 18:04:26
河村隆一が太宰を演じた時を振り返ってる番組をたまたまみて、
本当に鬱になりそうな気分だったと言っていた。
今までこの本の内容は知らずそれ見て興味を持っちゃったんだけど
新潮で読むのが一番いいのかい?
316:無名草子さん
07/07/02 21:00:53
小畑カバー、冒頭の写真を再現しているのかと思ったら、一部違うw
これは仕様?
317:無名草子さん
07/07/03 11:48:37
>315
出版社はなんでもいいけど
とりあえず映画観てみてよ
緒川たまきは絶品の美しさだぞ
318:無名草子さん
07/07/06 19:39:38
|
|(A` )__
/ << )
|
|( 'A`)__ ハ ハ
/ << ) ('A`,,),,)~ ))
| ハ ハ
|( 'A`)_('A`,,)_
/ << ) cuuo)~
| ハ ハ
| ( 'ー`)ノ('A`,,)_
/ ( ヘヘ cuuo)~優
誰か一人でもそばにいてくれたら救われるんだろうな…
319:無名草子さん
07/07/07 20:41:10
太宰はおもしろい。明るい。憎めない。勇気がある。弱い。女性的。
ナルシストではないと思う。むしろその逆の気がする。
320:無名草子さん
07/07/07 22:26:45
その時の自分に直球なところが好き
メロスのときの輝かしいはっちゃけっぷりとか
斜陽とか人間失格のときのああもう俺だめかもしんない感とか
321:無名草子さん
07/07/08 10:08:44
小畑絵の人間失格を嬉々として本屋に探しに行ったが
平積みされているそれを見てはっと我に返った。
こんな売り方いくない・・・。
こういう本は「読ませる」ものじゃなくて
「出会う」ものだ
集英社に憤りを感じつつも
予定通り本は買って帰った。