【人間失格】●●●●太宰治●●●●【入水自殺】at BOOKS
【人間失格】●●●●太宰治●●●●【入水自殺】 - 暇つぶし2ch2:無名草子さん
06/08/16 18:32:31
2

3:無名草子さん
06/08/16 20:17:20
走れエロス

4:無名草子さん
06/08/17 19:10:46
富嶽百景
佳日
古典風
新釈諸国話
竹青
水仙

眉上
メリイクリスマス
フォスフォレッセンス

5:無名草子さん
06/08/17 19:11:55
ベスト20を思いつくままに書いてみる。(順不同)

富嶽百景
トカトントン
女生徒
満願
思ひ出
おしゃれ童子
新樹の言葉
道化の華
東京八景
走れメロス
グッド・バイ
魚服記
猿面冠者
駆け込み訴え
逆行
皮膚と心
きりぎりす

二十世紀旗手
薄暮

短編集では、新潮文庫の「きりぎりす」「グッド・バイ」「走れメロス」がおすすめ。
そして、随筆はやっぱり「もの思う葦」如是我聞は絶品。太宰の大傑作のうちの一つ。

6:無名草子さん
06/08/17 19:13:24
皮膚と心
待つ
駆け込み訴え

がインパクトあった。
駆け込み訴え多少長いんだ? 
めちゃ短い印象を持っていたので驚いたが、
いわれてみればページ的にはあったかもしれない。
一気に読ませるので、短く感じるんだろう。
体感における超短/超高速作品。

7:無名草子さん
06/08/17 19:14:43
織田君の死

死ぬ気でものを書きとばしている男。それは、いまのこの時代に、
もっともっとたくさんあって当然のように私には感ぜられるのだが、
しかし、案外、見当たらない。いよいよ、くだらない世の中である。

 世のおとなたちは、織田君の死に就いて、自重が足りなかったとか
何とか、したり顔の批判を与えるかも知れないが、そんな恥知らずの
事はもう言うな!

「生を棄てて逃げ去るのは罪悪だと人は言う。しかし、僕に死を
禁ずるその同じ詭弁家(きべんか)が時には僕を死の前にさらしたり、
死に赴かせたりするのだ。彼等の考え出すいろいろな革新は僕の周囲
に死の機会を増し、彼等の説くところは僕を死に導き、または彼等の
定める法律は僕に死を与えるのだ。」

 織田君を殺したのは、お前じゃないか。
 彼のこのたびの急逝(きゅうせい)は、彼の哀しい最後の抗議の詩であった。
 織田君! 君は、よくやった。

8:無名草子さん
06/08/17 19:15:39
チャンス という短編最高。ワロタよ。これお薦め。
太宰の恋愛論が読めるよ。

一部抜粋
「きれいなお月さまだわねえ。」なんて言って手を握り合い、夜の公園など
を散歩している若い男女は、何もあれは「愛し」合っているのではない。
胸中にあるものは、ただ「一体になろうとする特殊な性的煩悶(はんもん)」
だけである。

それで、私がもし辞苑の編纂者(へんさんしゃ)だったならば、次のように
定義するであろう。

「恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしもの。すなわち、性慾衝
動に基づく男女間の激情。具体的には、一個または数個の異性と一体になろ
うとあがく特殊なる性的煩悶。色慾の Warming-up とでも称すべきか。」

9:無名草子さん
06/08/17 19:16:33
ここに一個または数個と記したのは、同時に二人あるいは三人の
異性を恋い慕い得るという剛の者の存在をも私は聞き及んでいるから
である。俗に、三角だの四角だのいう馬鹿らしい形容の恋の状態をも
考慮にいれて、そのように記したのである。江戸の小咄にある、
あの、「誰でもよい」と乳母(うば)に打ち明ける恋いわずらいの
令嬢も、この数個のほうの部類にいれて差(さ)し支(つか)えなかろう。

太宰もイヤにげびて来たな、と高尚な読者は怒ったかも知れないが、
私だってこんな事を平気で書いているのではない。甚だ不愉快な気持
で、それでも我慢してこうして書いているのである。

だから私は、はじめから言ってある。
恋愛とは何か。
曰(いわ)く、「それは非常に恥かしいものである」と。
その実態が、かくの如きものである以上、とてもそれは恥かしくて、
口に出しては言えない言葉であるべき筈なのに、「恋愛」と臆すると
ころ無くはっきりと発音して、きょとんとしている文化女史がその辺
にもいたようであった。ましてや「恋愛至上主義」など、まあなんと
いう破天荒(はてんこう)、なんというグロテスク。
「恋愛は神聖なり」なんて飛んでも無い事を言い出して居直ろうとし
て、まあ、なんという図々(ずうずう)しさ。「神聖」だなんて、
もったいない。口が腐りますよ。まあ、どこを押せばそんな音が出る
のでしょう。色気違いじゃないかしら。

10:無名草子さん
06/08/17 19:17:11
 いつか電車で、急停車のために私は隣りに立っている若い女性の
ほうによろめいた事があった。するとその女性は、けがらわしいとで
もいうようなひどい嫌悪(けんお)と侮蔑(ぶべつ)の眼つきで、
いつまでも私を睨(にら)んでいた。

たまりかねて私は、その女性の方に向き直り、まじめに、低い声で
言ってやった。

「僕が何かあなたに猥褻(わいせつ)な事でもしたのですか?
 自惚(うぬぼ)れてはいけません。誰があなたみたいな女に、
わざとしなだれかかるものですか。あなたご自身、性慾が強いから、
そんなへんな気のまわし方をするのだと思います。」

 その女性は、私の話がはじまるやいなや、ぐいとそっぽを向いて
しまって、全然聞えない振りをした。馬鹿野郎! と叫んで、
ぴしゃんと頬を一つぶん殴ってやりたい気がした。

11:無名草子さん
06/08/17 19:18:26
眉山
畜犬談
美男子と煙草
グッドバイ

三鷹生まれ、三鷹育ちの30歳ですが、つい最近太宰を読み始めました。
理由は、3歳頃よく散歩でお気に入りだった三鷹陸橋が、太宰の好きな
場所だったって知って親近感が湧きまして。
太宰の通っていた伊勢元酒店さんで買ったウイスキーをちびちび飲みながら
読んでいます。
余談すみません。

斜陽
桜桃
ヴィヨンの妻

ナンバーワンは人間失格

12:無名草子さん
06/08/17 19:21:39
濃い太宰ファンは皆「走れメロス」嫌いだよなw
「人間失格」「斜陽」なんかは濃いファンの中にも、やっぱり一番好きって人もかなり多いんだが、
メロスだけは太宰好きであればあるほどアンチが顕著に現れてくる。

13:無名草子さん
06/08/17 19:23:13
俺の教科書は「清貧譚」だった。
これで「太宰の本他にも読んでみたい!」って思うようになった。
それがきっかけで、後になって様々な太宰の作品を知っていくに連れて、
「教科書向き」と「太宰っぽさ」のバランスが両立した見事なチョイスだったんだなあ
と感心したよ。

走れメロス以外にも、教科書向きの太宰作品たくさんあるやん。
特に中期の作品には。
走れメロスも、太宰っぽさを十分表した作品だと思うけどなあ。

14:無名草子さん
06/08/17 19:26:11
太宰は女性の優しさや健気に頑張る姿を書かせたら天下一品。元来彼の持つ優しさを、そのまま出そうとすると自意識過剰から余計なアレコレが派生するけど、作中の女性にはそれを無添加で託すことが出来るからかな。

15:無名草子さん
06/08/17 19:30:46
「走れメロス」が好き。あの小説は一見健康的で、見る人によっては物足りない印象を受けるかもしれない。
しかし、太宰のバックボーンを知ると、メロスは単なる健康的な小説ではないことが分かる。
太宰治の根幹にあるのは、原罪意識と死への執着である(と僕は勝手に考えている)。しかしその一方で、家庭の幸福とか、全うな生活者への憧れについても記述していることも事実だ。
そういった真人間に対する憧れは、ポーズではなく、おそらく太宰の本心ではないかと思う。その気持ちが一番に表現されているのが、「走れメロス」だ。
つまり、メロスのような正直で情に厚い人物は、太宰治が目指していた「純粋なる芸術家」とは別の、もうひとつの目標だったのではないか。
「走れメロス」の熱い文章からは、目標に辿り着こうとする強い思いと、一向に追いつきそうにないことに対する深い苦悩を読み取ることが出来る。

16:無名草子さん
06/08/17 19:45:30
なにしろ村から十里を走り続けたメロスは
途中、山賊に襲われるなどして、血と汗にまみれていたはずだ。
おまけに、刑場に着いた時、疲労困憊したメロスは真っ裸。
その上で彼らは「私の頬を殴れ」と殴りあい、「ひしと抱き合う」のだ。

ここに何かしら妖しげな空気を認めずしてなんと言おうか。
(なにしろギリシャ=ローマ時代のシラクーザが舞台だ。
同性愛なんてごく普通だったに違いないのだ。)

それを見た王様は二人の友情に感動し、「仲間に入れてくれ」と言う、
なんて短絡的な発想をしていた自分が恥ずかしい。

違うのだ。
さっき王様はサディストである、と結論付けた。
そう、実は暴君は、そちら方面の趣味をいたく刺激されて
 「ぐひひひひ、ワシも仲間に入れてくれよ。うひひひひ」
と筆舌に尽くし難い妄想を頭に描いているに違いないのだ。

17:無名草子さん
06/08/17 19:50:22
「トカトントン」は笑ったね。
なんか、「また、トカトントンという音が聞こえてくるのです」
みたいなくだりがツボにきた。
でもね、後になってこの小説を再読し、この意味を反芻してみたら、この主人公の
置かれた境遇の悲惨さに同情したよ。
たぶん、太宰自身も駄目人間を脱却しようと思っていたのに、それが出来なかった
んだろうね。

あと、「待つ」なんかは太宰にしては前向きな感じがして、目新しさがあり、
好感を持つね。

18:無名草子さん
06/08/17 19:52:27
太宰はなかなか視点が違うからおもしろい。
グッド・バイについては確かに未完としての面白さも味わえるよね。
いつもニヤリとしてしまう。
新ハムレットなんて、ああ、そうくるか、みたいな。
ただの悲劇に終わらせないね。

19:無名草子さん
06/08/17 20:16:06
なぜ日本人はもやもやネチネチぐじゅぐじゅしたのを好むの?
ユーモアと遊び心のないネガティブな人間は小説なんて書いちゃだめでしょ?

芥川、最悪の根暗な雑学フェチ。すべてが感情を欠いた作り話。
川端、物語をつむぐ力がさっぱり。短編だけ書いてれば良かったんじゃね?
夏目、「猫」のサーカズムはなんか冷然としすぎていて後味悪いよね。
   後年のしみったれた私小説は語るに及ばず。
三島、くどい。暑苦しい。ベトーワグナー型のオナルで高慢な誇大妄想系。
太宰、人間失格他じめじめした鬱状態の作品も多いんだけど、
   基本的にはお茶目でエレガント。文章には心地よいリズム感があり、
   自虐ネタすら時にかわゆい。
谷崎、英国的に知的でドライな稀代のエンタテイナー、つまり
   読者を楽しませようというアダルトな他者愛がいっぱいで、はあと。
鴎外、あれこれ言うほど読んでませんの。

20:無名草子さん
06/08/22 22:04:17
17歳で太宰にハマって、とにかく図書館で借りまくった。

ちなみに好きな話ベスト10挙げると


ダス・ゲマイネ
I can speak
HUMAN LOST
春の枯葉
思ひ出
座興に非ず
六月十九日
乞食学生
老ハイデルベルヒ

かな…中学生で始めて人間失格よんだときは、何かイヤーな作家だなーって思った。
気取ってるし暗いし、酔ってるなーって。

今では、そんな所がかえって読者向けの面白さなんだろうと勝手に解釈してる。



21:無名草子さん
06/08/22 22:16:39
ハマったのは
太宰に夢中になる自分にジャネ?

22:無名草子さん
06/08/25 14:23:31
今日人間失格読み終えた高校生だけど
何か後味悪いわ

23:無名草子さん
06/08/25 14:55:28
私も10代のころは「人間失格」好きじゃなかった。
しかし20代になりふと読むと面白さがわかった。

24:無名草子さん
06/08/25 21:49:28
明るさと暗さが極端なんだよね。

『走れメロス』も書いてるわけで。あれも読み方によっては辛い読み物だけど。

『人間失格』なんかはあれで救われたり希望を持てた人間って

凄く多いと思う。あれ、最後の最後で

こんな俺でも生きててよかったんだばかやろう

って言ってる小説だもんな。しかもそれを女の人に代弁させるという(笑

常に、希望を書いているんだよね太宰は。それが読めない奴には

「女々しい」ってことになるんだろうけど。

25:無名草子さん
06/08/26 01:33:04

【盗作3バカ】のスレに

田口ランディ本人後輪中?! 盗作犯人同士がバトル?!




26:無名草子さん
06/08/27 20:14:36
太宰治の斜陽の最後のセリフが良くわからないのですが。
直治が関係を持った女は画家の妻のはずですよね?
上原さんは作家なのになぜ?
あの描写からいったら、直治が関係を持っていた女は上原さんの妻
だったように見えますよね。
誰か教えてください

27:無名草子さん
06/08/27 22:26:21
>>26
私も全くおなじこと思ったよ。
スガちゃんっていうのが上原さんの妻なら話がつながるんだけどね。


28:無名草子さん
06/08/28 19:27:38
引っ込み思案の怠け者。
それでも小、中学時代は優秀だったのです。
高校時代のヘルマン・ヘッセで目覚めた文学熱、実際はこれが人生躓きの一歩
だったかもしれません。
引っ込み思案の怠け者に、進学校の高校の授業は辛かった。
一年の秋、当時の高校生雑誌の文学賞を入賞して、私は早くも中退を決意して
家出し、一週間をほっつき歩いたものです。
あの「車輪の下」のハンスの友人の影響をもろに受けてしまったのでした。

29:無名草子さん
06/08/28 19:29:07
(その3)
文学少年と呼ばれたものですが、ほとんど一日中誰とも口をきかない少年でした。
いえ、人と話のできない性格だったのです。
中退したい本当の理由は、対人関係のストレスから逃れ、都会に出てどこか工場に
でも勤めながら、ひっそりと小説でも書いて暮らしたいという思いでした。
しかし、その踏ん切りがつかないまま、再び私は高校へ戻りました。
その日、担任教師は泣かんばかりに喜んでくれたものでした。

30:無名草子さん
06/08/28 19:29:58
(その4)
学校に戻った日、担任と学年主任は私を校長室に案内し、私は校長から
励まされると同時に亀井勝一郎評論集を頂きました。
その中には、ゲーテが自分の弟子たちに施した修行話などが載っていて、
校長が私の立ち直りのヒントを示してくれているのが分かりました。
一年の終わり、私は旺文社主催、文部省後援の文藝コンクールで小説の入賞を
果たし、終業式の日に全校生徒の前で校長から表彰状を授与されたのです。
思えば最高にはれがましい日でした。

31:無名草子さん
06/08/28 19:31:01
(その5)
二年に進級した直後の新鮮な気分も、また次第に翳り、少し辛いとすぐ無断欠席という
有様で、夏休みに入ると、もうダメだろうという一種の覚悟も自覚していました。
一つには性的な遅れも理由であったかもしれません。
私は女生徒に全く興味がなく、反対に凄く拒否感を抱いていました。
一言で言えば「軽蔑」です。
女子の行動の軽さ、意識の低さ、田舎娘の視野の狭さが嫌で嫌でならないのでした。
私には、女子の肉体すら軽蔑の対象でした。
「ブクブク太りやがって」「でかい尻向けるな」「大根足が」「ちやほやされて気取るな」
「田舎女が」「胸ゆらすな、気持ちわりー」等々、今では信じられないほどの女性蔑視が
あったのです。
もっと、女子に憧れられるような心があれば、このような危機は最初から避け得たのでは
ないかと、今でもふと思うのです。

32:無名草子さん
06/08/28 19:31:59
(その6)
二学期早々の実力テストの日、私は登校せず映画館にいました。
もちろん例によって無断欠席です。
「我慢しいしい登校するから疲れ、倒れるのだ。嫌なら拒否すればいい」
それが当時の私の持論でした。
そうはいいながらも、もう教師からも見放されたような状況になっていて、
私は再び退学が現実になろうとしているのを、どうする力もなく弱々しく
認識するばかりでした。
ところが、状況は一変したのです。
守護霊というものが本当に存在するのなら、まさにこのようなことを言うのでは
ないでしょうか。
突然、一人の女生徒が目の前に現れたのです。
ヘッセの「デミアン」では、退廃する主人公を蘇らせる不思議な少女が登場しますが、
丁度そのような感覚でした。

33:無名草子さん
06/08/28 19:33:19
英語の授業は成績別のクラス編成になり、隣のクラスとの合同でA,B二つに
別れて行われていました。
私は、まだ中学時代の実力の余力で成績上位のAクラスにいたのですが、Bの
生徒は隣に移動し、逆にAクラスの生徒は私のクラスにやって来るのです。
休憩で教室を出ようとしたとき、たまたま私は隣からこちらに入ろうとした少女と
激しくぶつかってしまいました。
「おや、この子はYという名の女子では?」
半年も同じAクラスで授業を学びながら、私は隣のクラスの子の名前すら覚える
ことがなかったのでした。
この「おや、この子はYという名の女子では?」の心の呟きこそが、私を救った
のです。
彼女は「ごめんなさい」と謝って一歩下がり、じっと俯いていました。

34:無名草子さん
06/08/28 19:33:52
まるで後ろから何者かに押されるように私はこの面長の子に引かれていきました。
しかし、すぐに酷な現実が来ました。
二年後期のクラス編成で、ついに私はBクラスに落ちてしまったのです。
彼女、Yとは別のクラスとなり、悲しさもさることながら、Bクラス移動の屈辱
はもっとつらいことでした。
自業自得とはいえ、私はやっと自分の至らなさに気付き、また彼女には自分の
存在を知ってほしいという強い気持ちも芽生えて立ち直っていきました。
Yによって初めて女生徒に興味を持つようになると、どれもこれも同じ田舎の芋
ばかりと思っていた女子たちにもそれぞれに個性や美があるのが分かるように
なり、急激に学校の生活は楽しいものへと変化していきました。

35:無名草子さん
06/08/28 19:35:02
(その7)
丁度Yのクラスには、中学時代の愚友‥とはいってもこの先も交友は続いたのですが‥
がいて、詳しい番地までは知らなくても彼女の住む地区を知っていました。
実は、私は私の入賞した小説が高校生雑誌に掲載された時、高校宛にファンレターが
数通届いたこともあり(いずれも女子からのものでした)、私自身は少し自分を誇る
気持ちはあったのです。また女子からは何度か声もかけられてもいたし、真実はただ
他人と口がきけないだけなのに、孤高の少年のように見られてもいたのです。
それで私の方ではこれまでYを知らなかったが、Yは私を知っているだろうという自惚れ
からラブレターを出すことを決意したのでした。
Yは知れば知るほど美少女で、また非常に明るい性格をしており、その時まだ気づいては
いませんでしたが、所謂女王的な存在なのでした。

36:無名草子さん
06/08/28 19:36:15
(その8)
「今の自分にとっては、あなたとの交際が最高の支えとなる」

ラブレターの内容を一言で表せばそういうことでしたが、今の自分がどういう状況なのか、
どんな交際を望むのかについては全く触れない、実に一方的なものでした。
ラブレターが届いたと思える翌日であったか、翌々日であったか、私は彼女が彼女の友人と
一緒に手をつないで歩いているところに偶然出くわしました。
彼女の友人が、彼女を軽く突っつき、二人は微笑して足早に去っていきました。
この時、私は心が爆発するような嬉しさを感じ、「やった!」と思ったのです。

話が逸れますが、この直後に起きた超常現象としか考えられない摩訶不思議な
話を紹介します。
午後の体育の授業のことです。
鉄棒の「片手懸垂」をご存知でしょうか?
まずは両手で鉄棒に飛びついて、首から上を棒の上に上げておき、次に片手を
外し、片手だけで垂直に自分の体を支える技です。
無論、片手でぶら下がるのではなく、腕を脇にギュッと密着させたまま垂直に
体を浮かせるわけです。
なんとそれを私は完璧にこなしたのです。
私以外の男子は全て10数秒と持たず鉄棒から脱落したのに、非力な私だけは
平気で空に浮いており、何の苦もなかったのでした。
教師が皆を集めて私を指し「これが見本だ」と言っていました。
私は、続けようと思えば何十分でもその状態でいられたと思いますが、元々が
シャイな性格なので自ら降りたのですが、いかにも不思議な現象でした。
他の生徒たちも皆首を傾げていましたが、この日は体が異常に軽く、通常は
大の苦手の飛び箱ですらスイスイ成功させたのです。
人間の精神と身体の潜在能力は、果てしがないように思えます。
この奇跡をもたらしたのは、紛れもなく彼女のあの微笑だったのです。

37:無名草子さん
06/08/28 19:39:08
(その9)
さて、すぐにもYからは返事が来るだろうと確信したものの、二日経っても、三日経っても
返信はありませんでした。
母親に似て、短気、せっかち、その上悲観的といういかにも不幸な性格の私には既に焦りと
敗北感が生じていました。
そのくせ校内では彼女と面と向かい合う勇気はなく、こそこそと隠れ回っていたのですから、
幼いといえば幼い、何のためにラブレター書いたのか意味のない行為でした。
私は、女生徒の盛り上がった乳房や、大きな臀部を見るとすっかり大人びた女性を前にして
いるようで圧倒され、彼女たちとの会話もままならないところがありました。
ファンレターが届き、そこに今後も文通したいという少女もいたのですが、私のやったことは
その手紙を母親に見せて相談するという、ともかくお話にならない遅れようだったのです。
だから、結局交際を始めたにしてもすぐそのような正体は見抜かれ、私は屈辱の中でただもがき
苦しむだけの結果だったろうと思うのです。
もう来ないのかと諦めた彼女の返事は一週間後に届けられました。

38:無名草子さん
06/08/28 19:40:19
(その10)
郵便受けに入っていた、一通の白い封筒……。
私は読むまでもなく、それが断りの返事であることを理解していましたので、
嬉しさより、それでも読まなければならない苦痛を先に感じてしまったものです。
良い返事なら、すぐに届いていたはずなのです。
内容は、思った通り、「残念ながら期待に応えられない」、ただ、「小説を書かれた
あなたのことは知っている」という、ごく短い文章でした。

ただ、今、私は思っているのです。
この後、私をとことん悩ませ、翻弄し続けた信じがたいYの行動などを振り返ると、
実はあの私にとって長かった一週間、彼女は彼女なりに真剣に私との交際を考えて
いたのではなかったのかと。
あの時、こそこそ逃げ回らず、むしろ積極的に話しかけていたら、彼女も応じたの
ではないかと。
例え、交際の結果は私の極端な無口、そして見かけと違った幼稚さ、優柔不断などで
失敗に終わったにせよ。

39:無名草子さん
06/08/28 19:41:53
(その11)
Yとの交際は実りませんでしたが、それでも私はそれまで経験したことのない活気や
日々の楽しさを得ることが出来たのでした。
やっと、青春という言葉の実感を知らされたような気分でした。
私はほとんど毎日、日記に彼女のことを書き、夜中の1時、2時に就寝という生活に
なっていました。
見向きもしなかった教科書にも向かうようになり、退学して放浪に出るしかなさそう
だった二学期始めの荒廃した気持ちからはすっかり抜け出せていたのです。
Yは、なぜか毎日私の側に姿を見せては私の心を益々高鳴らせるのでした。
ほとんど用もないのに私のクラスに入ってきて、ある時は私の前に立ち、ある時は
廊下の私の視線の先にいて美しい顔を見せる。
ある日、それは芸術の授業でしたが、私の選択していた美術室前で入室を待っていた
ところ、私の右腕がなにか柔らかい感触を覚えたのです。
ふと横を見ると、なんとそれは彼女の胸だったのです。
彼女は気づかない間に私の横に来て、私の肘に胸を寄せたのでした。
唖然とする私を置いて、彼女はサッと姿を消しました。
これは特別な例ではありましたが、こんな感じで私と彼女は「会話のない対話」を長く
続けていくことになったのです。

40:無名草子さん
06/08/28 19:42:57
(その12)
ラブレターで、私との交際を断ったはずのYの理解しがたい行動……。
しかし、それも今思えば、あの頃まだ彼女自身も成長の真っ只中にあって、例え自分が振った
男子であれ、自分に恋を告白した特別な異性がいるという現実に揺れ、またときめく複雑な
感情をうまく制御できなかったのではないかと考えるのです。
彼女は何かを語りかけてほしかったのか?
第二章のようなものがあってもいいと感じていたのか?
とはいえ、交際に限らず、断られた以上は潔く身を引くというのが私の、それは今でも変わら
ない信条であって、私には彼女に再び想いを告げる選択はなかったのです。
彼女の行為はエスカレートし、私の真ん前で他の男子とのあからさまな談笑を見せつけたり、
肩をくっつけてヒソヒソ話をしたりして苦しめたのです。
その度に逆にますます私の恋愛感情は募り、熱く、そして悲しい日々は続いたのでした。
つらくて、悲しい日々、けれども正直にいうと甘い心の張りもあった、それが私の体験した
初めての恋だったのです。

41:無名草子さん
06/08/28 19:55:25
(その13)
県でも有数の歴史と伝統のある高校でしたので、今でもやってるのではないかと思うのですが、
私の高校では三学期の一番寒い時期に、学校林作業というのがありました。
いうなればボランティア精神とレクレーション活動を一体化させたような行事で、学校から
遠く離れた学校所有の林の手入れに歩いて行くのです。
この日の、ある記憶は終生忘れることのないものとなりました。
作業が終わり、作業担当の教師の講評が続いている時、愚友が私の側に来て「おい、Yが君を
見ているよ」と囁きました。
Yが私を誘うように私に視線を送ったり、意味もなく私の前に立ったりするのは既に普通のことに
なっていましたので、嬉しくはあっても、特段それが交際できる保証でもなかったのですから、
それは本当に黙ってやりすごすしかなかったのです。
私は彼女に年賀状を出し、彼女からは毛筆の奇麗なそのお返し年賀状も届いていました。
けれども、私にはもう一度踏み込むことは出来なかったのです。
作業の帰りは愚友と一緒に歩いたのですが、この途中にYの出身中学がありました。
私は愚友と二人で校門をくぐりました。

42:無名草子さん
06/08/28 19:56:52
(その14)
校門をくぐり両脇の植栽に挟まれた道を少し歩くとすぐグランドになっており、
正面には小山を背景にした二階建ての校舎がありました。
田舎の小学校かと思うぐらい狭い、小さな中学校でした。
ここから峠を一つ越えれば市街地なのですが、この辺りはまだ集落の分散した
場所で、人口も少なかったのでしょう。
私は一人で校舎の裏に回り、ゆっくりと教室を窓越しに見て歩きました。
学校林作業のこの日は、土曜だったのか、日曜であったのか、ともかく
教室には誰一人おらず、物音一つ聞こえてこないのでした。
教室は小山の影を受けて暗く見えていました。
枯れた花壇を後ろにしながら、この時、私は突然激しい感動を覚えたのです。
それは、一言で言い表せば荘厳なとでも呼びたいほど重く、強い衝撃でした。
ここでYは3年間学び、ここから巣立っていった。
この校舎の隅々に、まだYの命が息づいている。
俺は、あいつの心の中にある思い出の場所をこうやって同じく共有するのだと、
私はまるで彼女を愛撫するかのように校舎の一隅に両手を這わせ、頭をくっつけ
ながら、どうしようもない愛情の深さを思い知るしかなかったのでした。

帰り道、私は予期せぬ、あまりの感動のせいで黙りこくっていました。
愚友も私の性分をよく知っていて、あれこれと話しかけることもありませんでした。

43:無名草子さん
06/08/28 19:58:48
(その15)
半年前には、高校中退という脱落の道しか考えられなかった幼い、怠惰な文学少年が、
今はたった一人の少女の出現で激しい愛に取り憑かれている……。
意地悪しながらも、華やかで、蠱惑的なY……しかし、このような少女なればこそ、
ともすれば最初の大きな人生の躓きとなりかねなかった私の青春を救済してくれたのです。
その意味でも、私には今でもYは女神以外の存在ではないのです。

三年になると進学別に文系、理系のクラス分けとなりました。
そして私はついにYと同じクラスになったのでした。
では飛び上がるほどに嬉しかったかといえば、実はそうでもなく、この時の感情もまた
自分ではよく分からないのです。
ああ、とうとう一緒になっちまったのか……みたいな、どちらかといえばそれはニヒルな
感じでした。
裏を返せば歓喜の照れ隠しだったのか、あるいは同じクラスになることによって、これまでは
覚られなかった実際の自分の偏屈さや、気弱さ、間抜けさが見抜かれるのではないかという
恐れを抱いたのかもしれません。
まだ春休みの途中で、午後、私は蓄膿の手術で入院していた愚友Nを病院に訪ね、私がYと同じ
クラスになったことを報告しました。
私はむしろこのNと一緒になれた方が嬉しく感じただろうと思うのですが、それはNも同じで、
3年続いて隣のクラスになってしまった不運に、Nはこれは学校の陰謀だなどと叫んでいたものです。

44:無名草子さん
06/08/28 19:59:54
(その16)
私とYが文系の同じクラスとなって、忘れられない出来事がすぐ起こりました。
一つはクラス委員選挙です。
男子は男子のみに、女子は女子のみをこの人をと決めて2名記名投票するのですが、驚いたのは
私に5人の投票があったことでした。
後にその一人が誰であったかは判明したのですが、残りの4人については今も不明です。
ただ、このことでいかに私がYの前で救われたか。
Yにもかなり支持票がありましたが、正副委員にはなれませんでした。
もう一つはホームルームの討議による「恋」というテーマでした。
初恋やら、失恋やらの子供じみた討論の最中、突然Yが立ち上がり「片想いについても語りたいです」と
発言したのです。
それは、明らかに私を標的にしたものでした。
私は、間髪を入れず「片想いこそ本当の恋なんだ」と返しました。
この時、なぜかクラスはどっと沸き、笑いとため息、歓声がしばらく絶えませんでした。
私は、Yの意地悪を小憎らしく感じながらも、このような間接的な会話を必ずしも不愉快と思ったわけでは
ありませんでした。

45:無名草子さん
06/08/28 20:01:34
(その17)
Yと同じクラスになったことが良かったのか悪かったのか、今でも判断は出来ません。
Yが罪作りだったのは、常に私を意識した素振りを匂わせ、実は彼女自身もいつか私のことを
好きになってしまったのではないかという思いに導いてしまうことでした。
私は膠着した恋心に何か変化をもたらしたいのと、本気で愛していることを告白したい衝動に
勝てず、丁度私の心のように湿って、鬱屈した梅雨の到来に合わせ、150枚からなる「梅雨の心」という
タイトルの創作を送ったのです。
およそ100枚の「男奮戦記」というユーモア小説と、徹底した美文調の随筆数篇でした。
毎日、ともかくもペンを持って原稿用紙に何かを書き込まないでは生きていられなかったあの頃、
150枚の原稿などは3日もあれば出来上がったのです。
「男奮戦記」は、ぶざまな主人公のとんでもないお笑い話なのですが、自分を自虐的に叩きのめし、
それを愉快に表すことには痛快な解放感がありました。
随筆は、あくまで甘く、キザに徹しました。
といって、これで彼女の心を掴もうという気はほとんどなく、むしろこれで自分は突き放される
だろうという思いを持っていました。
私にはもういいかげんYから自由になりたがっていた面もあったのです。
そして随筆には、そういう気持ちも綴ってはいたのです。
ですが、文章が届いたであろうその翌日、私がクラスに入るなり、Yはなんとも大胆に私の目の前に
来てお出迎えするのでした。
私の真ん前で、友人でもない女子に猛烈な明るさを持って話しかけ、私はいつものようにその美しさに
圧倒されながらYに釘付けとなってしまったのです。
「梅雨の心」は、一時の解放感に終わり、私たちには何の進展もありませんでした。
周囲は、いよいよ受験対策に本腰を入れ始めていましたが、私はいつまでもまだこのようにグズグズと
埒のあかない日々を送っていたのです。

46:無名草子さん
06/08/28 20:20:34
(その19)
実りのない、喘ぐようなYへの想いとは別に、私の交友関係は急な広がりを見せ始めていました。
N以外に話せる友のなかった私に、K、Sという新たな友人ができ、さらにSを通して数人の知り合いを
得たのです。
Kとは、単に名簿順に当たる日直を一緒にやったことが縁で付き合うようになりました。
Kはがっちりとした体格をしていましたが、非常に大人しい性格で、全く存在感のない男でした。
このKが初めて私の家を訪ね、泊まっていった日、両親は心底安心し、喜んでいました。
両親には、この新しい友人の出現は、やっと私の心の安定の証拠に思えたのです。
さて、KをNに紹介するにあたっては、思いもかけず滑稽な場面が展開されました。
私は自転車通学していたKを自転車置場に待たせ、Nを連れていって紹介したのです。
この時、二人は物凄く白けた表情をし「なんだ、君か」とお互いにソッポを向き合い、数分後には
なにやら皮肉合戦を始めていました。
Nには姉が二人いたのですが、Kは「どんな姉さん? ま、君を見てれば大概見当はつくけどね」と
笑い飛ばすと、NはNで執拗に私の知らない体育授業での出来事でKを笑い返していました。
実は二人は、1、2年とも体育の授業を一緒に受けていた顔見知りで、共に運動神経の鈍さと、長距離の
遅さを争っていたようなのです。

47:無名草子さん
06/08/28 20:22:26
その(20)
Sは小柄でしたが、学校の行事の一つである校内長距離大会(1、2年の男女全員参加、男子12キロ、女子7.5キロ)
で1年の時に優勝したことがあり、陸上では中学時代から少し知られた存在だったようです。
が、繊細で、どこか学校を含めて、世間に反抗的な性格をしており、彼が言うのには、私の書いた反抗的な小説が
雑誌に掲載された時から私に憧れていたらしいのです。
クラス委員の選挙で私に入った5票のうちの1票は彼の投票によるものだったことも分かりました。
私たち4人はよく遅くまでクラスに残って政治的な話題、芸術的な話題で花を咲かせたものです。
話についていけないKが途中で孤立して消えたりなど、最初は多少のゴタゴタもありましたが、そのうち皆どこか反抗
的な性質をしており、また似たような母親を持っていることに驚いたものでした。
さらにもう一つ共通することがあったのです。
2年の時、私のクラスにいたFという男子が自殺し、私のクラスの生徒たちは学校が手配したバスで葬儀に向かったので
すが、この時に私のクラス以外から数人、バイクなり、自転車でF家を訪ねてきた者がありました。
その時は気付きませんでしたが、その数人の中にK、Sがいたのです。
KとSは直接の面識はなかったのですが、共にFの友人だったわけです。
こういう偶然性が、なんとなく私には私たちの運命かとも思えてなりませんでした。
そして、私が頻繁に出会うようになったYによく似た少女のことを、なんとKは知っていたのです。

48:無名草子さん
06/08/28 20:23:52
(その21)
人は誰でも恋をし、誰もが同じような苦しみを味わうことでしょう。
たとえ成就する恋でも、その過程には複雑な悩みがつきまとうものです。
だからこそ人は、人の恋の苦しみを理解できる。
ただし、理解はできても、決して人の心の痛みや傷までを共に味わうわけではありません。

私はNにもKにもYへの恋心を正直に告白してはいましたが、どれだけそれが深い愛情に満ち、
その分深い苦しみが伴っているかまでを話したことはありませんでした。
話しても通じるものでないことがよく分かっていましたし、本心を本気でさらすまでの勇気が
なかったのです。
同時に、全てを打ち明けることが恋の次元を貶め、Yに対しても裏切りを働くかのような気持ちが
あったのです。
ただ、一度だけこういうことがありました。
下校中のことです、私と自転車に乗ったKが並んで歩いている前をちょうどYが一人で歩いていました。
そのうち私たちに気付いたYは、急に立ち止まり、歩道脇の低いコンクリート塀の上にカバンを置き、
なにやらソワソワと中を調べ始めたのです。
いかにも何か忘れ物を調べているという様子でしたが、このようなことは常に私が体験してきている
ことなので、ただ嬉しく私はその彼女の姿を見ていました。
この時、ふとKが呟いたのです。
「彼女、すっかり君を信頼しているね」
この言葉が、どれだけ私を喜ばせ、また明日を含む未来に向かって希望を抱かせたことだったか。
Yは私たちがほとんど彼女の位置に近づいた時にバタバタとカバンを閉じ、早足で去っていきました。
Kは、私とYの関係ともいえない妙な関係を知ってはいたのです。

49:無名草子さん
06/08/28 20:27:39
(その22)
関係ともいえない妙な関係……どうにも切り開きのできない不自由で、もどかしい恋心。
その苛立ちが極まった感情の末に書き上げたのが「梅雨の心」で、私はYへの想いを自ら破壊
にかかり、Yからの破壊にもまたある種期待したのです。
Yよ、もう俺に構わないでくれ、愛嬌を見せないでくれ、嫌って、軽蔑して踏みつけてくれ!
それは苦しさに耐えられない私の別の本音でもあったのです。
その頃に現れたYによく似た女生徒、彼女は一体誰なのか?
ある日、私はKに全く何気なくその女生徒の話をし、機会があれば交際を申し込もうと思ってる
のだと話しました。
Kはそれほどの少女ならぜひ一度自分も会ってみたいものだと応じていたのですが、意外に早く
その機会は訪れたのです。
Kはその少女を一目見るなり、凍ったように動かず、懸命に何かを思い出そうとしていました。
「おい、俺はあの子、知ってるよ」
私は驚き、焦ったような顔でなお記憶を辿ろうとしているKを見つめました。
「あれは、Mだ、MTっていうんだ、小学校で同級生だった」
「ホントか?」
私は、さあ俺はやるぞ、あの子に交際を申し込む、振られても構わない、俺はやる、
私はMTにYとの辛い想いからの脱出を賭けるつもりでした。

50:無名草子さん
06/08/28 20:28:52
(その23)
MTは理系クラスの女生徒であることが分かりました。
また彼女はクラス委員を務めていました。
私の高校では「週番制度」というものがあって、これはいわば風紀、秩序の取り締まりを
行うもので、各クラス委員がローテーションを組んで校内を巡回するのです。
週番は腕に赤い腕章を巻いていましたので、すぐに識別できました。
私は以前、MTがその腕章を巻いているのを見たことがあったのです。
理系クラスのクラス委員といえば、普通には臆するところではないのかと思うのですが、
私にはほとんど気になりませんでした。
Yに対してはどこまでも意気地がなく、ただの打ちしおれた弱気男が、他の女子には勇気を
持って声をかける……このような二面性の発露も、やはり恋の状況下ならではのことだった
のだと思います。
しかし、私に本当にMTとの交際が現実になったとして、その先をどう考えていたのかは全く
記憶がないのです。
きっかけそのもがYによく似ていたこと、恋の苦痛からの逃避でしたから、冷静に振り返れば
ただの自己中心的発想でしかないのですが、MTへの好奇心はかなり働いていました。
どんな声をしていて、どんな表情で応対してくれるのだろうか、あるいは応対をしないのか?
ただYと違って、MTの場合はKと同じ小学校の出身で、しかもハッキリとはしないが何回か
Kの家に遊びに来たこともあったという点で、どこか安心できるところがありました。

51:無名草子さん
06/08/28 20:32:10
(その24)
無謀といえば、今にして思えばかなり無謀だったというべきかもしれません。
私がMTに声をかけ、交際の申し込みをしたのは彼女の週番の時でした。
私は週番の巡回ルートを知っていたわけではないのですが、以前昼食後の休憩時間にMTが腕章を
巻いて物理室の前を歩いていたのを見ていましたから、その近辺で待っていればおおよそ会える
だろうという見当をつけ、前日には遠くからKと一緒にMTがそこを通るのを確認してもいました。
楽しみよりは不安の方が募っていったのですが、Kの手前もあって逃げるわけにはいかない立場に
なったのです。
ただひとつ嫌な感じがしたのは、私がどうか別の場所に行っててくれとお願いしたにも拘わらず、
Kがしきりと私の周辺をうろついていることでした。
神経質で小心な私は、やたらと周りの目が気にかかるほうで、昔から肝心なところで力を発揮
できずに失敗することが多かったのです。
私は物理室裏の花壇の前で話ができたらといいと思いながら胸を高鳴らせてMTを待ちました。
この日、思いもよらず、MTは別の女子と二人で私の前に姿を現しました。
一瞬ひるんだ私の目に、なぜかこの二人の背後を身体を折り曲げてどこかへ走りだすKの姿が
印象深く入り込んできました。
私はMTら二人の前に歩み寄り、MTに向かって声をかけました。
「すみません、ちょっといいでしょうか?」
「はい」
私にはすごく意外だったのですが、MTには微塵の驚きも動揺も感じられず、自然体そのものでした。
MTがもう一人の大柄な女子の顔を見ると、大柄な子は「うんうん」と頷きながら今来た方向へ消えて
いきました。

52:無名草子さん
06/08/28 20:34:41
私は花壇に向かって歩き始めました。
なにげなく振り返ると、MTはやや俯きかげんに視線を落としながらも、落ち着いた様子で
私の後ろを着いてきていました。
その時には考えもしなかったことですが、あの落ち着き方を思うと、MTはそれまでも何度か
これと同じような経験をしていたのかもしれません。
渡り廊下からまさに花壇の庭に出ようとした時でした、運の悪いことに、ちょうど花壇の
手入れを終えた各クラスの花壇委員の女生徒たちがゾロゾロと引き上げる場面に遭遇して
しまったのです。
私たちは彼女たちを避けるために、仕方なく物理室前廊下に上る踏み段に上って並びました。
手袋した手に如雨露や小スコップを持った彼女たちはすぐに私たちに気付き、それまでの
笑顔や大きな話し声を止め、ある者は好奇あふれる眼で私たちを交互に見つめ、ある者は
気を利かしたように先を行く生徒の背を突付いて急ぐよう促していました。
その中には、私のよく知った顔もあって、なぜか意味もなく強い視線を交わしたりもしたのです。
この、こうるさい一団が去って急激な静けさが私たちを覆った時、私はいきなりその場で
MTに話しかけました。
「僕と付き合ってくれませんか?」
私自身、これは全く予定外の行動でした。
花壇の前で自己紹介とともに交際を申し込むという、元々ぼんやりした計画ではあったものの、
それすら端折ってしまったのです。
MTは、異国人のような薄い茶色の瞳でただじっと私の顔を見ていました。
何かを訴えかける寸前のような、あるいは一瞬で私の言葉の意味の全てを理解してしまおうと
するかのようなような強い視線でした。
彼女はどこかで私を疑っていたのかもしれません。
自分はバカにされかけているのではないか、笑い話の種にされかかっているのではないのか、と。

53:無名草子さん
06/08/28 20:36:09
(その26)
私は、なぜあんな中途半端な場所で、しかも突然無粋な申し込みをしてしまったのか……。
結局のところ、相変わらず私は性急で小心な内気者以外のなにものでもなかったとしかいいようが
ありません。
思いもよらず、花壇委員たちがザワザワと目の前に現れて、見た目の冷静さとは裏腹に慌てて
しまったのだろうと思うのです。
MTは返答に窮していました。
断じて拒否という表情ではなく、私の心を量りかねつつ、また断るにせよなんにせよ、やはり初めて
会った男に突然「付き合ってくれませんか?」と言われてもそれにはそれなりの時間は必要だったでしょう。
しかし、私はさらに馬鹿げた追い討ちをかけたのです。
「付き合う気持ち……、ない?」
私たちはこの時一所懸命見つめ合っていたのです。
MTは初めて言葉を発しました。
「ないっていえば……、ないね」
サラッとして嫌味のない、むしろ爽やかな空気を想起させるような口調でした。
私は長い間、この「ないっていえば……、ないね」というMTの言葉を何度も何度も繰り返し思い出しては
「あるっていえば……、ある?」と、実際は発しなかった自分の言葉を密かに被せてみたのでした。
私は生まれつき人一倍消極的な人間であり、弱気な性質をしていました。
このような大事な時ですら、いや大事であれば大事な時ほど私はいつも自棄気味に自ら敗北を選択して
しまうのです。
わざわざ相手を容易に拒否させる方向に誘導し、諦めも早い。
一体、どこまで自分が本気なのか、我ながら呆れるほどの煮え切らなさなのでした。
このような未熟さは、この先もずっとずっと青春について回ることとなります。
「じゃあ。どうも、すみません」
私は実にあっさりMTと別れ、教室に引き返しました。
異様な興奮は、この後にドッと押し寄せてきたのでした。

54:無名草子さん
06/08/28 20:37:37
(その27)
あっさりMTから引き下がった割りには、教室に戻ったあたりから私の感情は急激に
昂揚していきました。
それは一種、達成感に似た高ぶりでした。
不思議な魅力で、私の胸を好奇心いっぱいに覆っていた少女と、情けないほど短い
時間ではあったが、ともかくも話ができた、正面から見つめ合い、ややハスキーな
声も聞いた。
私という存在に、あの少女は僅かながらでも触れ、知ってはくれた。
そして、本当に行動できるのかという自分自身の迷いを見事に自分は振り切った。
それらの感情が、断られたという現実など吹き飛ばすほどに強烈に沸き踊ったのです。

さて、偶然だったのですが、その日の午後一番の授業が物理でした。
私はたった今MTに話しかけるために出向き、そして戻った通路をまた辿ったのです。
既に結果の出た通路を、また辿ったのです。
物理の授業では男女が同じ机に並びました。
男女とも名簿順に前の席から縦に着席するので、私のすぐ前にはいつもKの大きな
背中がありました。
どこでどうしていたのか、既にKは着席していました。
授業が始まるや私はすぐにノートを開き、今の私とMTのやりとりや私自身の感情を
一心不乱に書き始めました。
当時、私には書くことは呼吸することと同じで、連日どこからともなく沸いてくる
青春や人生のへ様々な想い、苦しみや疑問の数々を書き並べていたものです。
並外れて内面的な私には、自分のとった行動でもペンで書き込んで初めて現実味を
持って受け入れられるみたいなところがあり、MTのことも勿論そうだったのです。
一気に書き終えた私はそっとKの背を突付いてそのノートを渡しました。

55:無名草子さん
06/08/28 20:39:06
(その28)
私はよく人の運命について考えることがあります。
人は必ずしも自分の意思で行動するのでなく、逆に意思に反した行動もとるのです。
そしてこの予定外の行為が、ある物ごとを、延いては人生を決したりもするのです。
本来は起こり得ないはずのことが、まるで泥酔した挙句の信じがたい事故や失敗の
ごとく、ごく自然に起こってしまう。
ある一瞬の無自覚の中に、人の人生を左右する運命が、まるで神の裁きか、あるいは
神のご加護であるかのように働くことがあるのです。

私が手渡したノートを読み終えたKは、授業中のせいであったのでしょうが、何も言わず
すぐに返してきました。
何か書いてないか見たのですが、Kの記述は何もありませんでした。
この時私は何とも信じられないことに、私の隣の女生徒にこのノートを差し出し、読む
ように促したのです。
これが結果的には私のある種の充足感を完全に打ち砕くこととなってしまいました。
その女生徒はWといって、顔色の悪いオカッパ頭の、まるで「おばさん」のように老けた
顔をしていました。
私は迂闊なことに、このWがYと大変親しい友人の一人であることを完全に失念していました。
よりによってWとは……しかし、それでもこの失態には授業中いっぱい気付くことはあり
ませんでした。

56:無名草子さん
06/08/28 20:40:33
(その29)
「どうだった?」
授業が終わるなり、私はすぐに立ち上がってWに声をかけました。
まだ周囲は生徒が座ったまま椅子を後ろに引いたり、立ち上がって椅子をしまう
ガタガタとした音が落ち着かず耳に入っていました。
Wも立ち上がり私を正面から見て言いました。
「もう、みんなね、今、そんな場合じゃないのよ。みんな受験のことで頭いっぱいだし、
付き合うとか付き合わないとか、そんな余裕のある子、いないと思うよ」
それは、いきなり平手で頬を叩かれたかのような激しいショックの瞬間でした。
予想もしない厳しい返事に、私はその後の言葉を完全に失ってしまい、ただ二、三度
頷いて教科書とノートを小脇にはさみました。
出口直前でなにげなく自分の席を振り返ると、どうやら私とWの会話を目ざとく見つけた
らしいYと、他に数人の女子が興味津々の顔でWに近寄っているところでした。
滅多なことでは女子と会話を交わすことのない私でしたから、Yのみならず気にした生徒も
他にいたのかもしれません。
ここでやっと私はWとYの親密に近い交友ぶりに思い至ったのです。
なんということだ、俺はなにやらかしてしまったんだ……!
Wの突き放したような説教調の言葉と、Wから耳にするだろうYの心の動きを考えると、私は
どこかへ消え入りたくてなりませんでした。
きっとYはわざと俺がWにそれを読ませたと感じ、また当然Wもそう感じるだろう。
俺はそんな姑息な人間だと思われ、厭らしいヤツだと誤解されてしまうだろう。
もうやがて一学期も終わろうかというこんな時期に、まだ恋やら愛にこだわる好色男、俺は
そんなふうに思われるのだ。
たった今しがたのMTとの抑えきれない感動は、あっというまにはかない空想ででもあったかの
ように雲散霧消していました。
もしこの時Kが話しかけてこなかったら、私は本当にこの神のいたずらのような不運に頭を抱えて
地団駄踏みながら悔し泣きしていたかもしれません。

57:無名草子さん
06/08/28 20:42:04
(その30)
後ろから小走りする音が聞こえたかと思うと、すぐに肩を叩かれる感触がありました。
Kでした。
「いやあ、ホントにやったんだねえ」
勿論私がMTに声をかけたことを指して言ったわけですが、私はもう何も話したくない心境でした。
「君は、どこにいたんだ?」
おざなりに私は訊きました。
Kは笑いながら「君らのすぐ後ろにいたんだけどね」と答えました。
呆れたことに、彼は私とMTが立って並んでいた踏み段と廊下を仕切る引き戸の裏に屈んでいたとい
うのでした。
「でも、なに喋ってるかまでは分からなかったよ」
私は既にMTから断られたことはノートに書いていたわけですから、当然Kはそれを知っていたのですが、
そのことには一言も触れませんでした。
あまりに当然のことだと思っていたのでしょう。

その日を限りに、私はYのことをキッパリ諦め、日記を書くのもやめてしまいました。
もっとも、Yのことを諦めてしまえば、自然日記に書くことはなにもなかったのですが。
Yを諦めるという面で、その時点ではある意味MTへの接触は功を奏したわけです。
遅ればせながら私は受験勉強にも真面目に取り組み始め、やがて一学期は終了しました。

夏休みに入っても課外授業は7月いっぱい続いたのですが、Yと顔を会わせるのが嫌で私はそれには参加
せず自宅にいました。
常に寂しさ、侘しさがつきまとう毎日で、そうすると今度は私をしっかり見つめるあのMTの顔が何度も
思い出されては自分の馬鹿さかげんを後悔するという繰り返しでした。

58:無名草子さん
06/08/28 20:43:23
(その31)
8月のある日、私はNと一緒にKの家を訪ねて一泊したことがありました。
Kが集めていた映画音楽を聴きながらスイカを食べたり、近くの山の墓地で肝だめしをしたりと、
とてもリラックスした一日で、今でもこの日のことをよく思い出します。
とりわけ忘れられないのがKが見せてくれた小学校の卒業アルバムでした。
「小学校の写真、ないか?」となにげに呟いた私の言葉に応えて、Kが探し出してきてくれたのです。
KはMTのクラスの顔写真のページと、MTが写っているジャングルジムでの集合写真を教えてくれました。
KとNが映画の話で盛り上がるなか、私はMTの写真に見入りながら心を熱くしていました。
まだいくぶん幼い顔ながら、すぐに彼女と分かる利発そうな表情をしていました。
アルバムの最後には卒業名簿とともに各人の住所が掲載されており、私はMTの住所を書き取りました。
特になにか目的があったわけではないのですが、Yに対した時と同じように、ここに彼女は住んでいると
いう想いだけでどこか心が癒されるのでした。

59:無名草子さん
06/08/28 20:44:46
(その32)
創作欲は突然湧き、いったん机に向かうと時間を忘れて原稿書きに没頭する。
空腹すら邪魔で、面倒がりながらパンを牛乳で胃に流し込む。
指がしびれて痛くなり、疲労からさすがに頭が働かなくなってやっとペンを置く。
布団にもぐりこんでも興奮で眠れない。
そのせいで学校は遅刻。
ひどい時は午後からの登校ということもありました。
最初に小説を書いたのは高一の夏休みの最後の二日間でした。
心の隅に無意識のうちに「小説募集」のお知らせが引っかかっていたようです。
8月30日の朝突然「書こう」と思い立ち、翌朝を待たずに書き終えたと思います。
ほとんど原稿の修正もせず郵送しました。
それが入賞を果たし、小説は別冊で他の入賞作とともに写真入りで掲載されたのです。
自信を抱いて次に書いた小説も別のコンクールで入賞し、全校生徒の前で校長から
表彰を受けたことは既に書いた通りです。
プロットもなにもなく、ただ手にペンを持てばスラスラと文字が書けた、それが当時の
私でした。

Kの家に泊まった日から何日を経過していたのか思い出せませんが、同じ夏休みのある朝、
私は急にMTあてに原稿を書きたくなりました。
思い立つとすぐ行動に移さないではいられない性急な性格で、原稿用紙を探したのですが、
あいにく残っていたのはだいぶ前に購入した古いものばかりでした。
しわがあったり、埃を被っていたりで、しわは伸ばし、埃も除いたのですが、やはり見た目は
奇麗ではありませんでした。
といって文具店に行く時間も惜しくてならず、私は机に向かいました。

60:無名草子さん
06/08/28 20:46:10
(その33)
その日のうちに「肉欲について」という随想を書き上げ、詩数編と一緒に翌日MT宛てに送りました。
「肉欲」という言葉はいかにも抵抗のありそうな感じすが、内容はいたって真面目な恋愛論で、
苦しい青春をどう生きたらよいか、恋愛観を通してその考察を試みたものでした。
詩はそれまで書き留めていた何十編のなかから、MTを想って書いたものだけを選びました。
町中で頻繁にMTを見かけるようになった頃の自分の不思議な心情を綴った詩で、もちろんMTの名には
一言も触れておらず、またMTへの何かの呼びかけというものでもありませんでした。

詩も当時の私にはなくてはならない存在のもので、家出をしたり、高校中退を志向して悶々としていた
日々の重要な心の拠り所だったのです。
ともかく暗い詩が多かったのですが、一年の時には校内の文化祭に出品した何編かの詩が現国の教師の
目にとまり、その教師の手によって県の教育誌に掲載されました。

MTに送稿した後、私には少し後悔することがありました。
最後までわだかまりのあった古びた原稿が、やはり彼女を侮辱してしまったように思えてきたのです。
すぐに判断できたのは、相手がYであったなら決してこのようなことはしなかっただろうということでした。
伸ばしてもきちんと復元しなかった原稿のしわや、原稿裏の一部日焼けした箇所などを思うたび、それこそ
MTにおける自分自身の穢れの象徴のようにも感じられてくるのでした。

夏休みの後半からは再び入賞を目指して小説に取り組み始めました。
Yをモデルにしたもので、この時私は初めて構成の真似事を経験し、夏休みの終わりに出版社に郵送しました。
この10日間、私はいつもYと二人でいるような甘い時間に浸れることが出来たのです。

61:無名草子さん
06/08/28 20:47:44
(その34)
虚構とはいえ、Yをモデルに書いた小説のおかげで、私はまたYに強い愛着を覚え、二学期の始まりを
楽しみにしているところがありました。
小説は以下のような内容でした。

『美術部員の僕は、秋恒例の某芸術祭参加作品が指導教師により“風景画”と指定されたにも拘わらず
独りだけ肖像画を描き始める。モデルは校内の女王的存在であるYで、僕はYを独占した喜びとYとの交流
のなかで絵が素晴らしく進展していくのを確信する。最初否定的に見ていた教師もその出来に関心を抱く
ようになり、いよいよ作品は最後のつめにかかる。そんなある朝、いつものように美術室に入ると、
誰かの仕業で肖像画のカンバスはズタズタに引き裂かれて放り出されていた。この時、放心状態の僕の耳に
Yが今朝も美術室に向かってくる足音が聞こえた。Yは無残な光景を目にすると声にならない声を上げ、顔を
覆って走り去っていった』

二学期はいきなりMTとの遭遇で始まりました。
購買部に買い物に行ったところ、なんと丁度そこにMTがおり、私たちは思いがけずも顔を会わすはめになって
なってしまったのです。
MTは慌てたように一瞬目をそらし、私は私で逃げ隠れも出来ず、まさにMTの真横で買い物をしたのです。
このような場合に、いつも私は他人からは冷静に見えるらしいのですが、実は単に表情が表にでない性格
なだけで、余裕などはないのです。
気の利いた一言の言えるわけもなく、この時もただ内心狼狽しながら買い物をすませると私は黙ってその場を
離れました。
ところが「おつり! おつり!」という店員の声がすぐ聞こえてき、私は“ウワッ”と思いました。
きまりわるく振り返ると、MTが店員からおつりを受け取り、とても元気のある声で「はい」と言ってそれを
私に渡してくれました。
お礼だけ言って、私は恥ずかしい気持ちと暖かい気持ち、それに何かほかに言えないものかという少し
はがゆい気持ちの入り混じった混乱状態で引き上げました。

62:無名草子さん
06/08/28 20:49:09
(その35)
Yに対しては相変わらず強く惹かれながらも、Wにノートを見せたあの一件以来、私はほとんど
諦めていて、顔もまともに見られない状態でした。
そして以前と違い、そのことで私がYを避けようとする様子はY自身も気付いていたのでは
ないかと思っています。
私は小説でYをモデルに書いたことで、せいぜい「Yよ、俺はお前を小説にしたぞ、お前は
何も知らないが」と、密かに心の隅で呟いて憂さを晴らす程度のことでした。
ところが状況はまた一変したのです。
やはり二学期早々、校内で防災訓練が行われた日のことです。
授業の終わり近くに警報が鳴り、避難放送を聞いたら全校生徒は決められたコースを通って
グラウンドに集合することになっていました。
警報が鳴ると生徒たちは一斉に立ち上がり、ワアワア騒ぎながら教室の出口を目指しました。
私はこのような時、いつも悠然と最後から行くのが常で、喧騒のなか椅子に座り、教室が数人
になったところで後方出口に向かったのでした。
そして数歩歩いた時、私の視線はYを真正面に捕らえたのです。
Yは少し顔を傾け気味に、真っ直ぐに私を見ていました。
それは紛れもなく私だけを対象にした視線であり、彼女は明らかに何かを訴えているのでした。
私は急にヨロヨロとした自分の足取りを感じながらYのいる出口に向かいました。
皆が出ていって、とうとうYと私だけになった時、Yはゆっくりと私から視線を外して階段を下りて
いきました。
それまで冷え冷えと私の心の奥底で凍り付いていたワインが、突然沸騰し始め、熱く熱く泡ぶくを
たぎらせているような、そんな歓喜が一気に私を包みました。
Yよ! やはりお前は俺の女神だ、天使なのだ!
俺はお前から離れることは出来ない!
どこをどうやってグラウンドまで辿ったのか、全く記憶がないほど私は有頂天になり、改めて
Yへの感謝の気持ちと、幸福感が込み上げてくるのでした。

63:無名草子さん
06/08/28 20:51:06
(その36)
受験勉強の合間に、私はまた日記を付け始めました。
Yはもう明白に私を意識した視線を隠さず、私たちも時には「さようなら」ぐらいの挨拶なら
交わすこともありました。
この頃から、私は卒業後のことを考え始めました。
私は東京の私大文系を目指しており、Yがどこを受験するのかは知りませんでしたが、このまま
卒業して終わりというのではなく、少なくとも文通でもいいから絆を保っていたいという希望を
抱いていました。
さすがに自分の不器用さは身に沁みていましたし、Wの言葉の傷も癒えてない状態で、この時期に
交際とかなんとかを口にすべきではないと思っていたのです。
今のいい感じを卒業まで保っていればいいという考えでした。
事実、私とYの関係は二学期に最高潮を迎えたかと思えるような出来事が用意されていたのです。

校内体育祭は例年10月に行われました。
その練習時間は日に日に増えていき、体育の授業のみならず合同練習も始まっていました。
私たち男子は組み体操に多くの時間を割き、女子は華やかなダンスに時間をかけることになります。
また男女が一緒に練習するのがフォークダンスで、これもまたかなりの時間がかけられました。
体育教師はクラスマッチのほか、毎年この大行事を成功させるべく熱心に務めるのです。
その熱心さは私たちにもよく伝わり、少し不良がかった生徒でも本当に真面目に取り組んでいたものです。

64:無名草子さん
06/08/28 20:52:35
(その37)
体育祭練習の続くさなかの、ある日のことでした。
私とKは放課後も話し込んだりして、だいたい下校時間の遅れることが多かったのですが、
その日もまた何の用だったか、遅くまで校内にいて教室へ戻ったのでした。
既に教室には誰もおらず、私たちはカバンを手に取ると前の出口に向かいました。
と、私の目はYの机を向き、そこに無造作に突っ込まれている体操着を発見したのです。
「お?」と私は唸り、そっと近づきました。
半袖の白の上着と紺のブルマーがクシャクシャになって押し込まれていました。
しかもそのどちらにも砂粒がザクザクした感じで付着しているのです。
「なに、これ?」と私は思わず声を出しました。
はっきり確かめようとさらに近づいた時、Kが「ウワー」と声を漏らしました。
Kは私がそれを取り出すものと思ったのです。
そしてその後のことも想像したのです。
私は確かにその時、出来るなら鷲づかみしてそれを手に取り、思う存分顔をうずめたい
欲求を覚えました。
Kがいなかったら、実行していたかもしれません。
今、私は後悔しています。
例えKがいたにせよ、自分は思い切り顔をうずめておくべきだった。
彼女の湿った汗や体臭を思い切り味わっておくべきだった。
Kの軽蔑や悪寒など無視してでも、彼女の肉体の微かな匂いを記憶にとどめておくべき
だった。
私が何もせず外に出たとたん、Kは安堵した様子で「ああ、てっきり君はあれを取り出す
のかと思ったよ」と言いました。
私は半分悔しい思いを残しながら「なんだろうね、あれは、だらしないね、Yって」と話を
そらしました。
Yは気品に満ちた美少女でしたが、極めて明るい性格も含めて、気取りがなく、また確かに反面で
子供っぽい行儀の悪さもあって、それも彼女の愛嬌の一つというところがあったのです。
にしても、あのだらしなさは常に美化してYを見ていた私に強烈な現実感を抱かせたものでした。

65:無名草子さん
06/08/28 20:54:36
(その38)
フォークダンスの練習は最初は二クラス合同の体育の授業から始まりました。
ダンスはおなじみの「オクラホマミキサー」と、もうひとつ、「マイムマイム」。
そしてあの出来事は二度目の練習でのことだったと思います。
練習は体育館で行われました。
ざっとオクラホマミキサーのおさらいだか、指導が終わるとすぐに曲が流れ出しました。
男子は内側に、女子は外側に円を作り、一回ごとにパートナーを変えるダンスですが、
私の位置から5、6人先にYの姿があり、私たちは確実に一緒にダンスを踊れるわけでした。
Yはそれを相当意識しているらしく、何度も何度も私の方を振向くのです。
私は内心「おいおい、それじゃ相手の男が可哀そうだろ」と、嬉しさを押し殺しながら
見ていたものです。
パートナーが代わる度にYはあと何人かと確認するよう必ずこちらを見るので、私も少し
緊張を覚えていきました。
この時、私はふとある予感を覚えたのです。
もしその予感が的中したら、自分はどうする?
Yの手に触れるまでの、もういくらもない時間の中で、私は急な結論を出す必要に迫られた
のでした。
予感が的中してほしいという気持ちと、外れてほしいという気持ちが交錯したまま、
とうとうYの姿は目の前に迫っていました。
隣に来たときには、Yももう私を見ることはなく淡々と踊っていました。
そしてついにYとのダンスの順番となりました。
Yは右手を肩に上げ、私の右手がそれを掴むのを待っていました。

66:無名草子さん
06/08/28 20:55:15
(その39)
私はYの右肩を抱くように腕を回し、彼女の手を握りました。
ほとんどその瞬間でした、Yは私の掌をギュッと力強く握り締めたのです。
本当に想いのこもった力強さでした。
彼女の手のぬくもりが、彼女の心を示すように激しく私に伝わってきました。
予感は的中したのです。
では、当然私も力強く握り返すべきだったでしょう。
力を込めて、いや心を込めて握り返せば、本当にお互いの愛情は確認し合えた。
しかし、私は何の反応も示してあげることが出来なかったのです。
無表情に、Yも誰も、自分にはみな同じ……と、そんな顔で、そんな風にしか
踊れなかったのです。
それが私という男であり、私という人間の限界だったのです。
所詮、私は恋愛など出来得る人間ではなかったのです。
一度、チラッとYは私の顔を見上げ、やがてパートナーはまた代わりました。
Yとの距離がまた離れるにつれ、私たちの心の距離も同じように離れていく
ように思えました。

思えば、私は最初から相手がどんな少女であれ、恋愛などというしろものを
成功させる能力などなかったのです。
女を愛するということは、女と語り合い、女と共に考え合わなければなりません。
最終的には女を抱きしめなければなりません。
何万語の愛を語る文字があろうと、女と向き合い、抱く勇気なしに恋愛が成就
することなどありません。
「片想いこそ恋愛なんだ」と、いつかホームルームで間接的にYに答えたように、
結局私には片想いという芸当しかできなかったのです。

67:無名草子さん
06/08/28 20:56:26
(その40)
フォークダンスの練習は、やがてグラウンドでの三年全体練習となりました。
オクラホマミキサーではもうYと踊る機会はありませんでしたが、運がいいのか悪いのか今度は
「マイムマイム」のダンスで隣り合わせになり、なんとお互いの手を握り合う羽目となったのです。
三年全体のダンスで大勢が踊りますので、あちこちで二重の円が出来ました。
最初、女子が内の円、男子が外の円を作り、それが男女一人ずつ入れ替わって円は男女の両手が
繋ぎ合った形になるのです。
この時、Yは私のすぐ斜め前にいたため、私たちが手を繋ぐことは容易に分かったのでしたが、
Yはもうオクラホマミキサーの時のような強烈な感情を見せることはありませんでした。
それどころか、少し怖がっているかのように私には感じられたのです。
男女が交互に入れ替わる時、Yの方が動いて私の隣になるような順になったのですが、Yは妙に
グズグズして落ち着かず立ち止まっていました。
それが私にはいかにも私の隣になるのを避けているかのように思えたのでした。
誰かが「Yちゃーん、あなた後ろ、後ろよ」と笑いながら指摘したため、Yも照れ笑いを浮かべ
ながら動いたのでしたが、私には先日の一件が彼女を失望させてしまったのだとしか感じられ
ませんでした。
マイムマイムでは最後まで同じ円で踊りますから、オクラホマミキサーのような密着した動作は
ないものの、常に隣り合わせです。
しかし、私の右手とYの左手は、最初に握り合った時から、既によそよそしい感触しかなかった
なかったのでした。
ダンスは、途中拍手しては両手を開く場面があるのですが、私の右手とYの左手は強くぶつかり、
その度にYはチラチラこっちに視線をよこしました。
それまでと違って、私にはそれは決して嬉しいものではなく、彼女から疎まれているような気がして
ならないのでした。

68:無名草子さん
06/08/28 21:00:52
(その41)
運動能力に秀でた生徒たちにとっては、体育祭は最高の晴れ舞台となります。
体育委員は、100メートル走、200メートル走、さらには花形といわれた1500メートル走、その他
砲丸投げなどの地味な競技まで、クラスの代表選手を一人ずつ選ぶことになっていました。
1500メートル走は文句なしにSが選出されたのですが、なかに冗談で私の名前を挙げた者がおり、
それでも体育委員は候補者名簿に私の名前を記したものです。
私は中学一年の時は進んで柔道部に入部するなど、割合そういう能力は良かったのですが(もっとも、
体質的なものでサッパリ筋肉がつかないので一年で退部しましたが)、陸上や水泳は下手な方でした。
NやKほどではないにせよ、特に長距離は全くダメで、一年でSが優勝した12キロを走る校内長距離大会
では、かなり後方の順位でした。
それで2年の時は、Yの前で恥をかきたくない一心から、日が暮れて小学校から人の姿が消えると自転車で
小学校のグラウンドに行って毎日練習したものです。
どんなに北風が吹こうが粉雪が舞おうが、私は一日も欠かさず出かけました。
小学校のグラウンドが一周何メートルあったかは分かりませんが、毎日最低20周は走りました。
そして走り終えると必ず砂場に寄り、その砂の上にYの名前を刻むのが楽しみでした。
すっかり温まった身体には北風も心地よく、よく冴えた月や星を眺めてはYを想ったものです。
何度も何度もYの名前を、大きく、深く、刻んでは消し、ただ最後に刻んだ名前だけはいつも残して
帰りました。
その甲斐あって2年の大会では大きく順位を上げて体育教師から誉められたのでした。

69:無名草子さん
06/08/28 21:02:19
(その42)
あまり関係のない話になりますが、この大会でNは体育教師から棄権を言い渡されていました。
大会では市民にも協力を依頼するため、あまり遅い生徒がいると道路状況に悪影響を及ぼすからです。
つまり、それほどNは遅かった模様なのですが、頑固者のNは頭に来てそれを聞き入れませんでした。
大会当日は、私はNの要望でしばらくの間は彼と併走することにしていました。
ところが神社前からスタートして直線を400メートルも行かないうちに、早々とNは脱落し始めたのです。
私もまさかこれほど遅いとは思わず、Nが必死に「おい、おい」と私の腕を掴むのを振り切って先を行きました。
Nの話によると、彼が棄権もせず走り抜いて校内に戻った時には校門付近には既に誰一人おらず、走り終えた
生徒たちはとうに着替えを済ませてクラスでくつろいでいたそうです。
実は校門をくぐったところがゴールで、付近には記録ノートや名簿表、その他大会関係の色々なものが積まれたり
置かれたりした長テーブルや椅子が設営されるのですが、それらも全て片付けられていたとのことです。
ゴールすると、大勢の見物人であふれるなかを順位札を持った陸上部の女生徒が一人一人に駆け寄って首からそれを
掛けてくれるのですが、Nには順位すらなかったのです。
それにしても、途中のあらゆる事故に備えてランナーの最後尾辺りには必ず車が付いているはずですが、車さえ
気づかない遥か後方をNは走っていたわけです。
コースの途中2箇所には近回りなどの不正のないようチェック地点が設けられ、生徒たちはそこでチェック紐を受け取る
のですが、たぶん最初のチェック地点でそこの担当者たちがNの存在に気づかないまま引き上げてしまったことが、
Nの不幸の全ての原因になったものだと思われます。
誰も知らない伝説です。

70:無名草子さん
06/08/28 21:03:47
(その43)
体育祭のクラス選抜選手が決定すると、競技名と1年生から3年生全員のその出場者の名簿が
配られ、一枚は教室の裏に張られました。
見るとNが砲丸投げの選手に選ばれていて、それにはなんとなく新鮮な嬉しさがありました。
私は1500M走の名簿に1年のYの弟の名を見つけました。
Y自身も例の長距離大会では20数番の上位に入るぐらいでしたから、やはり同じような血を
ひいていたのでしょう。
Yの弟は入学したての頃にちょくちょく姉を訪ねて来ていました。
女王の弟というので、その度興味ありげによく男子たちが近辺に集まってジロジロ観察して
いたものです。
弟はスポーツマンタイプに日焼けした美男でしたが、姉とは違って凄くおっとりとした雰囲気
を持っていました。
さて、選抜の選手でない並み、並み以下の生徒たちには変化に富んだ障害物競技などが用意されます。
私の出場競技は、確か”レインボー作戦”とか、そういう名の競技で、男子ペアで七つの技を
順番にクリアーして争うというものでした。
私はクラス委員のTと組んで、体育での練習、さらには予行練習でも常にトップか、負けても2位
なので、体育祭では断然の自信を抱いていました。
思えば義務教育の9年、高校2年までのスポーツ関係で賞状を手にしたことなど一度もなかっただけに、
最後の最後の舞台で優勝か、悪くても2位の賞状を受け取れることは大きな喜びでした。
ところが、この大きな期待こそが当日のあの大変な事態を引き起こすこととなってしまったのです。

71:無名草子さん
06/08/28 21:17:27
(その44)
体育祭と聞くと、私は今でもあの時期のダンスの練習を思い出し、オクラホマミキサーの
メロディーを口ずさむことがあります。
同時に私の耳には必ずザザーッ、ザザーッと男女で地面を引いて前進する足音が聞こえて
くるのです。

青々と晴れ渡った日でした。
この時ほど体育祭というものを心待ちにしたことはありません。
“レインボー作戦”で1位になり、余裕綽綽に体育祭を締めるハイライト、1500M走を見学
するというのが私の当日の思惑でした。
SとYの弟の対決がなにより一番の期待ではありましたが、のみならず勢揃いした長距離
自慢の選手たちの優勝争いは考えただけでもワクワクしたものです。
私は大のマラソン好きで、42・195キロを駆ける中で起こる二転三転のドラマにはいつも
釘付けとなるのです。
1500Mといえば長距離走の範囲ではないでしょうが、一般に中学、高校ではそのように
認識されていたように思います。
そして長距離ランナーへの憧れが私にはありました。

何事にも緊張する性格の私も、こと“レインボー作戦”に限っては全く硬くなることが
なく、一時も早く出場したがっていたのですから、自信というものは凄いものだとつくづく
思います。
身体もそんな自信を反映して非常に軽く、スタートラインに着いたときでもゴールはすぐ
目の前にあるかのように感じられものです。
しかし、私の思惑はまんまと外れたのです。

72:無名草子さん
06/08/28 21:18:42
(その45)
緊張していたのは私ではなく、パートナーのTだったのです。
スタートするといつもの練習のように私たちは中間までトップにおり、私は充分な手応えを
感じていました。
ところが丁度中間地点でTが技の順番を間違えてしまったのです。
一瞬私は眩暈に似た、意識の消えかけたような感覚を覚えましたが、すぐにTの間違いに
気付き、大声で「違う!違う!」とTに呼びかけました。
それでも夢中になっているTは全く気付かずひたすら私の動作を待っているのです。
「違う! 順番が違う!」
忘我状態のTが覚醒したような顔つきに変化した時は既に遅く、猛烈に追い上げたものの
結果は後方着順、3位入賞すらならなかったのです。
ゴールするとTは「畜生!」と言いながら競技に使用したバスケットボールを思い切り足で
蹴っ飛ばしました。
常々上品さが売りのようなクラス委員のこのTの行為が、私には非常に穢れたもののように
見えたのでした。
私に対しても「すまない」の一言もなく人ごみに消えてしまい、私はこの腹立たしさと期待
の外れたショックとでムラムラとしたある感情が沸いて来るのを覚えたのです。
例えていえば、それは復讐欲のようなものでした。

73:無名草子さん
06/08/28 21:20:03
(その46)
私は自分の応援席には戻らず、グラウンドの片隅で一人ジッと競技を見つめていました。
白熱した競技に喚声をあげる生徒たちの後ろで、まだ組み体操やダンスの出番があったにも拘わらず、もう
一切が終了したような無気力感と、また逆にTのミスで逃してしまった優勝の悔しさが招き寄せる複雑な
エネルギーを内包しながら視線は熱くグラウンド上を徘徊していたのです。
これが自分の最後の体育祭なのだという幼い感慨もありました。
これで終わるのだ……、と、この気持ちが突然突拍子もないアイデアを生みました。
いや、終わらさない。
これで終わらさない。
私は急いでKを探しました。
そしてKにそのアイデアを持ちかけたのです。
「一緒に1500M走に出ないか?」
最後の俺たちの思い出として出場しないか、ビリはビリでも併走すれば恥ずかしいことはない。
熱く思いを語るうちに、私にはこの飛び入り参加がとても美しいもののようにすら感じられてきました。
最初は尻込みしていたKも次第に私の熱意に感染し、ついに参加を決意しました。
Kは私よりは自分の方がまだ速いと思っているらしく、最後の一周は競争にしないかとまで言ってきました。
望むところだと、私は私で答えました。
一気に高揚した私は今度はSを探してこの話を伝えたのです。
Sは大変に喜び、「僕は君のような人がこんな1500Mなどに興味を持ってくれていることがホントに嬉しい」と
言ってくれました。
ただひとつ懸念はあり、私はそれをSに話しました。
「でも、飛び入りだから集合した時点で排除されるかもしれないよね」
「いやあ、そんなの分かりゃしないよ」
Sは余裕いっぱいに答えたのでした。

74:無名草子さん
06/08/28 21:21:11
(その47)
昼食後、Kたちと屋上で休憩しているとよそのクラスのDがふいに現れ「1500に出るんだってな?」と
妙に真剣な眼差しで私に声をかけてきました。
私は頷き「飛び入りだけどね」と答え、「Kも出るんだよ」と付け加えました。
しかしDは私だけを見つめ、一言「頑張れよ」と言って去っていきました。
Dは私と同じクラスになったこともなければ、ほとんど会話したこともない人間で、不思議な気がしま
したが、おそらくSから話を聞き彼なりに何か思うところがあったのでしょう。
こうして注目している人間もいると知らされると、これは遊びごとじゃないぞという緊張感が一遍に
私たちを包みました。
「おいおい」と、Kが微妙に弱気な表情を顔に浮かべて私の腕を突付きました。
午後の部に入ると、Kのその弱気は次第に恐怖へと膨らんでいったようで、「少し考えなおさないか?」と
相談してきたのです。
私は「一度決めたことだ」と即座に拒否し、二人一緒だから問題ないと改めて説得したのですが、Kは
「もう一度考えさせてくれ」と言ってどこへともなく行ってしまいました。
この時、私はKはきっと参加をやめるだろうとほぼ感じ取っていました。
一度怖気付いた気持ちを再び奮い立たせるには、よほど何かのモチベーションなり、元々多少の自信が
ない限り無理なのです。
私の場合は元より一人で飛び入りする覚悟だったので、Kの脱落は正直多少の痛手ではありましたが、
決意を翻させるまでの影響はなかったのです。
ダンスも組み体操も終わり、体育祭はいよいよ締めくくりに向かっていました。

75:無名草子さん
06/08/28 21:22:19
(その48)
それは本当に何かの魔術にでもかかっているかのようでした。
客観的に自分を見つめる目というものが完全に欠落しており、ひたすら「走らねばならないのだ」
という条理のない観念に取り付かれていたのです。
むしろ怖気づいたKこそ正常だったというべきでしょう。
いよいよマイクの放送が「1500M走に参加の選手は集合地点にお集まりください」と告げました。
全くの孤独で隅っこに座っていた私もゆっくり立ち上がって集合地点を目指して歩き始めました。
途中、どうやら私の姿を待っていたらしいKが急に寄ってき、「取りやめるなら今しかないよ!」と
声を強めて忠告しました。
私は「決めたことはやるんだ」とキッパリ言ってKを置き去りにしたのでした。
集合地点に行くと、名うての長距離ランナーが揃っていました。
Sが笑顔で私を迎えて「緊張するねえ」と言い、また他に一人だけ「君、速いんだろ?」と私に
話しかけた生徒がいましたが、もう皆他人のことより自分の世界に集中しているという様子でした。
点呼が始まり、一人私だけ名前がなかったため、点呼係が不審げに「君は?」と尋ねる場面が
ありましたが、そこはSが「彼は飛び入りで走ります」と妙に決め事のような口調で助け舟を出した
ため、点呼係は不思議そうな顔を崩さないままなんとなく納得したのでした。
もはやYの弟がどこにいるのか、自分がどうなってしまうのかなど考えもせず、私もまるで代表選手に
なったかのような感覚で出番を待ったのです。

76:無名草子さん
06/08/28 21:23:38
(その49)
ざわめきが大きくなっていくのが分かりました。
ほとんどの生徒たちは既に自分の種目を終えて緊張感から解放され、今度は自分とは離れた別の緊張感を
グラウンド上に作り上げていったのです。
本来であれば、私も心地よい緊張感を持って体育祭を締めくくる最後の3種目に注目していたはずなのです。
今思い起こしても信じられない気がします。
1500M走、女子対抗リレー、男子対抗リレーと続く競技開始までの間、盛り上げるためなのか、わざわざ
小休止が入りました。
私たち1500M走組の後ろにも、既にリレーの代表選手たちが帽子に各組の色の鉢巻をして待機していました。
そしてざわめきの中、オッフェンバックの「天国と地獄」の音楽が流れ出すと、それに合わせて女子放送係が
「1500走選手入場」を告げました。
私たちが小走りにスタート地点に向かい出すと一斉に拍手と喚声が沸き起こりました。

この後の私の記憶は非常に断片的なものでしかありません。
まるで病の高熱の中で見た夢か何かのようにしか思い出せないのです。
私の意志があえて記憶を掘り起こさないのか、それとも走りに没頭していたために本当に記憶がないのか。
たぶん、それは両方を含んでいるように思えます。
私は完全に周回遅れとなってしまったのですが、私をスッと追い抜いていった5、6人の中にSがおり、彼が
私を振り向きながら笑顔で「頑張って」と言ったことだけは鮮明に覚えています。
1500M走は6周と半分ぐらい走ったと思うのですが、それが何周目だったのかは不明です。
どんなレースになっていて、自分がどのへんにいるかなど全く判断がつきませんでした。
ただ時々、なぜか私の名を呼んだ下級生の女生徒たちの声援がひどく印象に残っています。
風景は揺れながら見え、身体の疲労感は感じないままでした。
私のちょうど半周前でゴールインしようとしている一人の選手が目に入った時、私はようやくレースの結末を
理解したのです。

77:無名草子さん
06/08/28 21:24:58
(その50)
最後の半周は私一人だけが走っていたことになります。
「健闘のご声援をお願いします」という放送係の声を微かに覚えています。
度々運動会、体育祭で見た記憶のある、あの無様な最下位の走者。
大きく離されながら最後まで走りぬく走者への哀れみと、優越から送られる大拍手。
しかし、心の込められた拍手。
今、私があの哀れみの走者でした。
四方で大拍手が沸き起こり始めたことは分かったのですが、この後ゴールするまでの記憶はありません。
音も、風景も消えてしまいました。
たぶんこのあまりもの醜態を覚った私の全神経が一切の感覚を麻痺させたのでしょう。
ゴールした時、それでもどこか神経は解放されたのか、再び大拍手が遠くから耳元に寄せてきました。
私は走りながら適当に応援席の裏に姿を隠し、そのまま速足でしばらく歩いて気の向くまま下級生の席に
紛れ込んで座りました。
今起きたことの実感はありませんでした。
走った満足感もなければ、後悔もない。
初めから何もなかったことと同じような感覚でした。
といってそれは虚無感でもなかったのです。
生徒たちの興味は既にリレーへと移っていました。
この時、これも運命というべきか、皮肉と呼ぶべきか、私は本当に驚くべき場所に座っていたことに
気づきました。
「僕、速かっただろ?」
そういう会話が急に耳に入って隣を見ると、一人おいたその横になんとYの弟が座っていたのです。
落ち着いて、上品な微笑を浮かべた横顔。
彼が私という人間のことを知っていて話し始めたとは到底考えられませんが、私は、よし、最後まで
ここにいようと決めました。

78:無名草子さん
06/08/28 21:26:36
(その51)
リレーが始まった途端ウォーッ!という凄まじい喚声がグラウンドを包み込み、それは終わるまで
続きました。
私は、この熱狂で一時でも早く皆の脳裏から私の哀れな姿が消えてくれるよう祈る思いでした。
ただ、このとき私はYの弟のすぐ傍にいてどこか癒されてるところもあったのです。
ただ彼の傍にいるだけで冷静でいられ、何も考えないでいられたのです。
リレーが終了すると、整理体操のために生徒たちは学年別、クラスごとに集合しなければなりません。
それは必死に隠れていた場所から引っ張り出されるような、大変恐ろしい時間でした。
私を見つけるなりすぐに近寄ってきた小柄の生徒がいました。
「君はやっぱり出たんだね?」
彼は1500M走のクラスの代表選手を選ぶとき、冗談で私の名を挙げた生徒でした。
なにやら深刻な顔をして私を見つめるのでしたが、私は返事をしませんでした。
答えようがなかったのです。
誰とも顔を合わせたくなく、話したくもなく、私は教室に入るのをためらってグズグズと校舎周辺を
歩き、またあてもなくあちこちと廊下をさまよいました。
既にひっそりとし始めた一階の廊下を歩いているとき、突然マットを運ぶ二人の女生徒に出くわしました。
前にいたのはMTでした。
MTはややためらいながら軽く頭を下げて通り過ぎました。

79:無名草子さん
06/08/28 21:30:08
(その52)
下校の途中のことでした。
私はバス通学したり、自転車で通学したりしていたのですが、このときは自転車でした。
R川の橋にさしかかったとき、誰かが明らかに私を待っているのが分かりました。
Kでした。
「よ」と言って私は自転車を止め、Kの言葉を待ちました。
「君は偉い」
Kは力のない声でそう言い、ジッと私を見つめました。
その表情で、私には彼が直前になって飛び入りから逃げ出したことを相当気にしていることが理解
できました。
私にはKを恨んだり、蔑んだりする気持ちはほとんどなかったように思います。
元々誘い込んだのは私でしたし、むしろ「偉い」と言ってくれるだけありがたいものでした。
ところがKが次に語った言葉が私を急に嫌な気分にさせたのです。
「Eが随分ひどいこと言ってたよ。あんなヤツ出したのは誰だ、三年の恥さらしじゃねえか、って」
「別にいいよ、恥さらしに間違いはない」
その程度のことなら、私には覚悟の上のことでしたから。
それだけ言うとKは私から去っていきました。
なんだ、あいつ、何のために待ってやがったんだと、私は別れてから後に急に腹立たしさを覚え、
不愉快でなりませんでした。

後に、それはもう相当の年を経てからの話になりますが、Kが私に打ち明けたことがあります。
「俺が君を尊敬し始めたのは、あの飛び入り行為を目の当たりにしたときだ。こういう人間が本当に
いるんだという衝撃を受けた。俺はグラウンドの四方に立って君の名を呼んで応援したんだ」
そして、R川の橋で待っていたときにもそういうことを話したかったのだが、勇気がなくてあの時も
逃げてしまったのだということでした。

80:無名草子さん
06/08/28 21:31:49
(その53)
人の防衛本能は潜在意識的にも大いに働いているようで、無残な記憶は完全にとまではいかないまでも、
最低限心が平衡を保っていられる程度までは消してくれるもののようです。
もし、私の記憶が鮮明にあの体育祭の醜態を残していたら、決してこんなふうに懐かしさまじりに
振り返ることなど出来ないだろうと思います。
実はぼんやりとながら、私には最下位のゴールが迫った付近で、私の足元に誰かが投げたか蹴ったかした
バスケットボールが飛んできたのを見た意識があるのです。
例の“レインボー作戦”でパートナーだったTが蹴ったバスケットボールの印象と非常に重なっている
ので、これはきっと夢の断片なのだろうと思い込んではいますが、もしあの時それを事実と認識していたら
その侮辱行為に、私は立ち上がれないほどのショックを受けていたことでしょう。
しかし例え出来心で起きたこととはいえ、自らが招いた醜態だけに後悔も出来ない、また、したくもない
厳しい現実ではあったのです。
またもう一つ、弟が出場している以上Yもまた弟を応援すべくこの競技を注目していたことは間違い
ないことでした。
そんななか私という場違いな人間を発見して、さぞかし幻滅を覚えただろうことは容易に想像のつくことでした。
そもそもオクラホマミクサーの練習で彼女の意志に応えられなかった一件以来、私はYからは遠ざかるを得ない
状況になってはいたのですが、これでますます私はYの顔を見られない心境に陥ってしまったわけです。

この頃になると受験のこともあって、あまり原稿には向かっていなかったと思いますが、ノートの端や日記の
欄外に短歌や俳句を書き込んでおり、そのなかからまた文藝コンクールに応募したりもしていました。
浮かない日が続いた頃、そんな陰鬱な気持ちを吹き飛ばすニュースが飛び込みました。
夏休みにYをモデルに書いた小説が入賞を果たしたのです。

81:無名草子さん
06/08/28 21:33:11
(その54)
鬱屈した日々を送っていただけに小説の入賞の報せは大変な喜びでした。
傾きかけていた自信が再び目覚め、勇気が一気に湧いたものです。
その一月後になるでしょうか、発売日に合わせて出版社から雑誌が送られてきました。
一年の入賞よりも、レベルの高い賞の受賞で、日本文学の著名な文藝評論家が私の小説を単独で
取り上げて解説していました。
一言でいえば「よく書けている、結末はやや安易だが」という評価でした。
著名な評論家が自分の小説を読んでくれた、評価までしてくれた!
何度見つめ返しても信じられないような喜びでした。
めったに教師とは会話しない私でしたが、翌日私は雑誌を持って職員室に行き、担任の国語教師に
この報告をしたのです。
ただ私の場合は一年の時に一度掲載された経緯があって、再度の掲載はされなかったのでこの入賞を
知った生徒はそう多くはなかったかもしれません。
Yがモデルなだけに掲載されていればどんなにかYも私を見直してくれたことだろうとは思うのですが、
それだけが今も残念でなりません。
もっともこの時、私はYに対しては大きな優越を感じ、自分の世界、人生はお前みたいな田舎の小娘など
相手にはしないんだと傲然と思ったものですが。

82:無名草子さん
06/08/28 21:36:52
(その55)
「詩人となるか、さもなくば何にもなりたくない」

このヘルマン・ヘッセの青春時代の心情は、大学受験がいよいよ現実味を帯びてきた時点でも相変わらず
私の胸に潜んでおり、どこの大学、どこの学部に入ろうと私の思いもただ小説を書くということの一点しか
ありませんでした。
「小説家となるか、さもなくば何にもなりたくない」
そういう心境だったわけです。
卒業したら公務員になるとか、大企業を目指すとか、どんな資格を取って、どう地固めするとか、そういう
実際的な発想は微塵もありませんでした。
大学もMARCHならどこでもいいぐらいの考えでしたし、せいぜい法学部を漠然と目指した程度です。
性格的に実社会で成功出来るような器でないことは自分が一番よく判っており、両親もまた子供の頃の
ような過度の期待はとうに捨てていました。
私よりも弟の方に期待が大きかったようです。

さて、二学期の終わり、またも嬉しいニュースが届きました。
文藝コンクールに応募した短歌三篇が佳作入選したのです。
このコンクールは文部省が後援していたため、三学期の終業式の日に全生徒の前で校長から表彰状を受け取る
という名誉に与るのですが、高一の時に小説の入選で一度体験したことは既に書いた通りです。
この入選については誰にも知らせることはありませんでしたが、いつだったかクラスに置いてある受験雑誌を
それとなく見ていましたら、文藝コンクールの入選発表のページに私の名前が記載されており、その箇所に
誰かが赤色で線を引き「文学少年」と書いていました。
ただ、終業式というより私たちの場合はもう卒業式になるわけで、果たして表彰があるのか、また時期的にも
受験で上京している頃になるので、多分その名誉を受ける機会はないだろうと思っていました。

83:無名草子さん
06/08/28 21:39:17
(その56)
上京への希望の膨らみと相反して、一方ではYへの愛情が深すぎて別れの不安、心細さもまた募って
いったのです。
YとMTに年賀状を出したところ、二人からは奇麗なお返し年賀状が届いており、依然Yの私を意識
した態度は消えてはいませんでした。
もう激しい感情を表していた頃のYではありませんでしたが、離れようとすれば寄ってき、寄ろうとすれば
離れるというおなじみの場面を繰り返していたわけです。
彼女がどこを受験するのかは皆目分かりませんでしたが、どこを受験しようと、例え同じく上京するにせよ、
私が黙っていたのではもう本当に終わりだと思っていました。
ぼんやりと考えていたのは、合格したなら上京前に直接彼女に会ってこの先の交際を申し込むことでした。
具体的には文通し、帰郷の際に出会って友好を深め合うこと。
まあ、友好というよりは私にとっては愛情なのですが、愛情を告白するまでの自信、勇気はなかったのです。
お義理でもいいからYにはせめて文通だけでも許してほしい、そうでなければ私は本当に現実感を喪失する
ような恐怖を覚えたのです。
最後の学期は、受験や就職試験などの関係で、二月の初めには自由登校となってしまいます。
そうするとよほどの用でもない限り、登校する三年生はいなくなり、実質二月初旬が別れの季節ということに
なります。
卒業式でも全体が揃うことはありません。
いよいよ私にはYへの決断の時が近づいていたのですが……。

84:無名草子さん
06/08/28 21:41:33
(その57)
時期的なこともあって、なかなかYへの接触も叶わないまま日々は素早く去っていきました。
そして何も起きないまま、ついに最後の登校日を迎えたのです。
Yと会話の出来る機会もないままとうとう放課後になり、私はK、N、Sと四人だけでクラスに居残って
雑談を交わしていました。
その間も終始Yのことが頭から離れず、私の気分は最低で、話も適当に合わせているばかりでした。
校内中を探し回ってでも彼女を見つけるべきだと分かっていながら、身体がいうことをきかないのでした。
この時、室内の前のドアがそっと開き、一人の女生徒が顔だけ出してこっちを見、すぐにまたドアを閉めて
行ってしまったのです。
今の子はもしや……と思いながら、私は「今の、誰?」と訊きました。
するとSがポンと私の肩を叩きながら「Yだよー」と言って笑ったのです。
やはり!
この時こそ私は追いかけるべきでした。
しかし、私の身体は椅子に張り付いたように微塵も動こうとはしないのでした。
何か目に見えない魔物に押さえつけられてでもいるかのようでした。
私には、ドアを開けて顔を覗かせた女生徒がなぜすぐにYと分からなかったのか、今も不思議でなりません。
もし一瞬で彼女と判断し、仮に視線でも合っていたなら私は立ち上がっていたような気がするのです。
なぜなら私たちはいつでも視線で会話できたからです。
私が名残惜しく教室に居残っていたのと同じ理由でYもまた教室を覗いたのであったのなら、それはお互いの
顔を合わせることだけで容易に理解できたはずだと思っているのです。
こうして私は三年最後の登校を終えたのでした。
不本意なYとの別れの日でもあったのですが、それでも私にはまだ本当にYと別れたという意識はありませんでした。

85:無名草子さん
06/08/28 21:44:54
(その58)
慌しく、息苦しい受験が続きました。
ビジネスホテルに宿泊したのですが、最初の二日間は父親も一緒でした。
北海道から来ていた男子受験生と知り合って、少し会話したりもしたのですが、私はこんな場合ですら
Yの話を持ち出したものでした。
私は彼に比べてあまりに幼過ぎる自分を感じざるを得ませんでした。
ただ話し合っているだけで私は打ちのめされるのでした。
話し方、考え方、態度、社交性などのどれをとっても彼は優れており、大学生になるということはせめて
このぐらいの落ち着きを取得していなければならないのではないかという不安すら覚えたものです。
一日だけ同じく上京していたSと行動を共にしたことがあります。
その日はちょうど卒業式の日でした。
新宿で落ち合った私たちは“卒業式に出席しないでいられる”幸運を喜び、また奇妙な快感を分かち
合ったのでした。

威張れた結果ではありませんでしたが、私はMARCHの一校の法学部に合格しました。
KとNは別の大学ながら共に地方都市である隣県の私大に進学を決め、Sは残念なことに失敗して
しまいました。
ある日、バスの中で私はたまたま一年の時に同じクラスだった男子と乗り合わせました。
彼は私を見つけると嬉しそうに寄ってき、卒業式前日の予行演習の話をしてくれたのです。
「その日は、ほら、君が入選した短歌の表彰があってね、君がいないもんだから、A君が代理で
賞状を受け取ったんだ。それが、彼の足がガタガタ揺れて止まらないもんだからあちこちで笑いが
起きてね、ホント、おかしかったよ」
短歌の入賞や表彰のことなどすっかり忘れていたことでもあり、その話は私をとても幸福な気持ちに
させてくれたのでした。
そして、その時YやMTもそれを見ていたのだろうか、もし見ていたのなら少しは自分も栄誉を
もしいたのなら少し感じるのだがなあと思ったのでした。

86:無名草子さん
06/08/28 21:46:45
(その59)
受験もほぼ終了した頃、私は高校に合格の報告をするため担任を訪ねました。
もっとも、目的は一番気にかかっていたYの進学を確認することだったのですが。
臆することなく私はYの合否について質問することができました。
Yは地元の国立とK、Nが進む隣県にある市立を受験したのですがいずれも失敗し、来年も同じ大学を挑戦すべく
予備校に通うという話でした。
これで私の思い描いていた計画はほとんど消えてなくなってしまったのです。
私はYの弟に会って電話番号を訊くなり、または思い切って住所を訊いて直接家を訪問しようかとまで考えて
いたのでした。
そしてあのYの中学校の庭に赴き、二人きりで未来を語り合えたら最高だと思っていました。
しかしまさか失敗した彼女にそのような申し込みを出来るわけがなく、上京までのしばらくの休息の日々もあまり
私には楽しいものではなかったのです。
浮かない顔していることも多かったようで、母親が心配しながら声を掛けてきたものです。

私はもの心のついた頃から、生まれ、育った自分の土地にどうしても愛着が持てず、いくら友達がいようと、
いくら土地の習慣に忠実であろうと、一生をここで暮らすことなどないだろうと確信していました。
それは両親とも同じだったようで、子供たちをこの土地に置いていたいという気持ちはなかったようです。
父親は酪農の発展に相当寄与した人間でしたが、出身が他県の人間であるためそれを快く思わない地元連中の意地悪、
嫌がらせに相当苦しめられていました。
時とともに段々そういうものもなくなっていったとはいえ、子供の頃にそういう場面を見て育った私にはこの土地に
対し、一種の憎悪すらありました。
親しい人たちは後継ぎとしてよく私の名をあげていましたが、両親には後継ぎさせる気などは全くなく、また私の性格
からもこんな土地に住んでいられる人間でないことは充分理解していたのです。
既に小学校時分から上京することは決定されていたのでした。

87:無名草子さん
06/08/28 21:52:54
(その60)
  
  第二章

人は、何気ないある選択……ほんの気紛れや、ちょっとした好奇心から選んだ別れ道の一本が、
実は人生の大きな分岐点となることがあるという現実に、あまりに無頓着でいるような気がします。
若さに潜む油断といっていいかもしれません。
いつでも方向転換は可能だという驕りや、いざとなれば引き返せばいい、やり直せばいいという
時間への甘えがあるのでしょう。
しかし、行き過ぎたと感じたときには戻る時間の余裕はなく、戻ることはまた途方もない無駄にしか
思えないのです。
焦りと苛立ちをひた隠しながら、先細りするだけの自分が選択したこの道を自分はあくまでも切り開く
のだと半ば諦め、この道の始まりに遠い目を向ける。
ふと悲しい思いが寄せてくる。
自分は選択したのではなく、迷い道に入り込んだのではなかったのか……?

大学では何かを学ぶというより、もっと本格的に文学の道を進むのだと私は考えていました。
もっとも本格的な文学の道というのが何を意味するのか、またそういうものがあるのかどうか理解して
いたわけではありません。
ただ漠然と意識していたのは文芸サークルに入って、小説や詩を書く仲間と交じり合い、小説を書くこと
に集中して早く世の中に出たいということでした。
今思えば、なんとも滑稽な妄想にしか思えないのですが、相当な自信を持っていたようです。
高名な文芸評論家に論評されたこと、詩や短歌を含め、何か書けば必ず入賞したこと、また高校生向けの
出版社2社からの原稿依頼の数々がその自信を裏付けていたのです。
もっとも原稿依頼といっても、ほとんど高校時代のことで、依頼と同時に出版社名の印刷のある原稿が
送られてきたのですが、応じたのはほんの数回で、この時はペンネームを使用しました。
視野の狭い田舎の一青年が、たかだか高校時代の淡い栄光を誇る図は、いかにも井戸の中の蛙そのもの
でした。

88:無名草子さん
06/08/28 21:54:38
(その61)
授業のオリエンテーションに向かう途中、ひっきりなしにサークルの勧誘員が声を掛けてきました。
今も強く印象に残り、思い出す記憶があります。
それは髪が長く、ジーンズのよく似合う女子学生で、私に強引にチラシを押し付け、握らせ、
「申込み回答は〇番ボックスに入れておいてね」と呟くように言ったのです。
俯いた面長の顔の半分が垂れた髪に隠れていましたが、瞬間だけ視線を合わせてすぐに俯き、閉じた
ような大きな目が一遍に私を惹きつけました。
チラシには「人生問題研究会」と書かれていました。
彼女は慌しくすぐにどこかへ行ってしまい、話す間もなかったのですが、私は凄く気になり、早速
サークルポストの〇番ボックスを探し回ったのでしたが発見できませんでした。
次に二人の女子学生が私を勧誘したのですが、他のうるさい連中と違って非常に清潔で自然な印象が
好ましく思えました。
彼女たちは「混声合唱団」の団員で、一人はしっかりした姉さんといった感じ、もう一人はひとめで
男たちを惹きつけるだろう愛らしい顔立ちをしていました。
色白の顔に微笑を浮かべた、ひどく内気そうな印象でした。
姉さん肌の子が「オリエンテーションが終わったら迎えにくるから」と言ったのですが、私は特に
拒否もせず、こんな可愛い子と一緒にいられるなら合唱団でもいいなあ……と、文芸研究会に入る
意志がぐらついていました。
オリエンテーションが終了すると、外で待機していた各サークルの勧誘員たちが、これと目星を
つけた新人たちを再度説得するべく室内に入ってきました。
私の背後に「お迎えにあがりました」という囁くような声が聞こえました。
振り向くと、先ほどの可愛らしい子が例の微笑を湛えて一人私を見つめていました。

89:無名草子さん
06/08/28 21:56:09
(その62)
彼女は淡い青、桃、黄の三色混じったセーターを着ていたのですが、それはあまりにおっとりとした雰囲気に
ぴったりした感じでした。
どこか安穏とした眠たさ、堅さを包み込む柔らかさ、冷たさを和らげる暖かさのようなものを伝えてくるのです。
くっきりした二重まぶたの大きな目の、その目じりがやや垂れかげんなため、あくまでも優しく、可愛らしく
心を惹くのです。
彼女と並んでオリエンテーションに使用された教室を出、小ホールにさしかかった時でした、「すみません」と
いう声と同時に横から一人の色黒の男が現れ接触してきました。
「アカデミーといいます。男性合唱団です」と自己紹介し、「あちら、混声でしょ? 混声は大学公認のサークル
だけど、お金の支援のあるぶん、とても不自由ですよ」といろいろ説明し始めたのです。
男は彼女を知っていて、私の乗っ取りにかかったようでした。
彼女は困惑した表情でじっと待っていたのですが、男の話がなかなか終わらないため、しびれを切らしたのか
自分はこれから受付に戻らねばならない、終わったら来てくださいと受付の場所を私に教えて行ってしまいました。
なんだ、俺を守ってくれよと、私はなさけなく心の中で呟き、少し落胆したものです。
男はコンサートの写真を見せながらなおも話を続け、「考えておきます」という私の一言だけ得てやっと消えて
くれたのでした。
さて、解放されて一人きりになると、今度は彼女のいる受付に向かう自分の姿が、私にはがなんだかあさましく思えて
なりませんでした。
文芸をやる気でいたのが、たかが可愛い女の一人ぐらいでぐらつき、といってアカデミーの誘いを毅然と拒否もできない
弱々しい自分。
鬱々しながらも、どこか甘いものを感じながら、私は受付に行ったのです。
ある棟の混声合唱団受付テーブルには彼女が一人だけついていました。
「おかえりなさい」と彼女は言い、私は傍に立ちました。
まもなく他のメンバーが交代に現れると、私は彼女に連れられて部室に向かったのです。
部室に入ったとたん、室内にいた5、6人のメンバーから「おお、確保か?」と歓声のようなものが沸きました。

90:無名草子さん
06/08/29 01:04:25
(その63)
椅子を勧められて座ると、すぐに一人の男子部員が横にやってきて色々話しかけてくれました。
彼は隣県の出身でした。
「バスか、バリトンか。バリトンだな」
私たちの会話を聞きながら別の男子部員が私の声を判断して言いました。
女子部員の誰かが何気なく何かの歌を歌い出すと、例の彼女が短い小節でしたがそれに合わせました。
自然と心のなごむ瞬間でした。
奇麗なハーモニーが、おお、合唱団とはさすがにこういうものかと思わせてくれたものです。
心地よい時間がしばらく続いた後、彼女はまた受付に出ることになったのですが、私も一緒に行くことに
なりました。
私を受付に置くことで入部を既成事実化しようとする作戦だったのか、あるいは可愛い彼女にこのまま
くっつけておこうという、いわば私の本音を見抜いた作戦だったのか、それはよく分かりません。
ともかく私には有難かったのですが、結果はそれが裏目に出てしまったのです。
私も彼女も大変な内気もので、同じ受付に並んで座ったまでは良かったのですが、会話がないのです。
先輩たる彼女からの話しかけを待って、チラチラと彼女の横顔を見るのですが、硬く身体を萎縮させた
まま、彼女はただ私たちの前を行き交う学生たちに目をやっているだけなのです。
私は先程感じた自分のあさましさの感覚をまた膨らませるはめとなったのでした。
黙っていればいるほど、私はこうまでして彼女との接触を欲しているのかという気持ちに絶えられなく
なっていき、そしてまた彼女自身からはそういうあさましさを見破られているのではないのかという
焦慮に取りつかれたのです。
たぶん、一緒にいたのが彼女でなく、さっき話を弾ませた隣県の男子部員であったのなら、私は流れで
混声合唱団に入部していただろうと思うのです。
そうすれば私の運命は全然今とは違ったものになっていたのではないかと考えたりもするのです。





もう入部したかのような空気があり、私自身、

91:無名草子さん
06/08/29 01:05:51
(その64)
私は文芸研究会の人間と会ったことはありませんでしたが、既に部室の場所は掴んでいました。
受付の沈黙との格闘で汗流すより、一度そこを訪ねてみよう、この方が気が楽だと考えました。
私は突然彼女に申し込んだのです。
「あのう、僕、ちょっと文芸研究会に行ってきます」
彼女は、ただ「はい」と答えるのみでした。
心なしその顔が寂しげに記憶されているのは、これ以後二度と彼女と遭うことがなかったからなのかも
しれません。

文芸研究会部室のドアを開けたとたん、私は驚きのあまり「あっ!」と声をあげてしまいました。
なんと目の前に高校で新聞委員をやっていた吉永の顔があったからです。
吉永もまたポカンとして私を見ていました。
吉永と私はまるきり縁のない人間でもありませんでした。
彼はNと同じクラスにいて、一度私たち三人は高校のクラスマッチに反抗して体育教師に絞られた体験が
あったのです。
三年の一学期、バレーボールのクラスマッチに反抗してボイコットを決め込み、着替えもせず教室で机を
くっつけて寝そべっている私を訪ねてきたのがNと、この吉永だったのです。
教師の息子で、甘やかして育てられているせいか、気がきかず、だらしのない所などは私と共通していた
ような気がします。
試合のさなか、私たちはひっそりと教室におり、私は相変わらず机に寝そべり、Nと吉永は読書していました。
と、突然外の廊下をバタバタと数人の走り去る音が聞こえ、その後ろからは何か怒鳴りながら誰かがそれを
追いかけていったようでした。
数秒後、今度は突然教室の前のドアが開き、「タヌキ」と呼ばれていた私たちの受持ちの体育教師が顔を
現しました。

92:無名草子さん
06/08/29 01:07:30
(その65)
やばい……などと思う余裕もなくタヌキはつかつかと私たちに歩み寄ると問答無用でゲンコツで私の頭を
二度殴り、続いてN、吉永の順に一発ずつ殴りました。
自分の殴られる音は分かりませんでしたが、彼らの頭からはパカーンという乾いた音が響きました。
「あれは痛かったなあ」と、今でも苦笑しながらNは言うのですが、私には痛みの記憶はありません。
この後私たち三人はグラウンドに引っ張り出され、体育教師たちの前で正座させられたのです。
私が首謀者ということで前に一人座らされ、二人は私の後ろに並んで頭を垂れていました。
そして私たちとは別に捕まったグループ……多分、廊下を逃げ回っていた連中……はグラウンドの外周を
走らされていました。
この事件以降には、特に吉永と関わったことはないのですが、忘れられない人間のなかの一人ではあったのです。
彼は英文学科に入っていました。
私はザワザワした部室を一旦吉永と出て、今まで混声にいた経緯を話し、まだどこに入部するかは決めていないと
言いました。
それは吉永も同じで、入部するかどうか半々だと言いました。

93:無名草子さん
06/08/29 01:08:58
(その66)
吉永と一旦別れた後、私は尚混声合唱団に後ろ髪引かれながらも再び文芸研究会の部室に戻り、最初の
気持ち通り、このサークルへの入部を決断したのでした。
ひとつには、感触として吉永も入部するだろうという思いもあったのです。
とすれば、混声の受付に戻り、彼女にこの報告をするのが常識だろうとは考えたのですが、その勇気が
なく、結局放置してしまいました。
入部した文芸サークルの部員は、いずれの人間にも混声に感じた暖かさや、親しみやすさはなく、新人
にはむしろ冷淡にすら思えたものでした。
非常な居心地の悪さがあり、なかなか慣れない雰囲気の中で、私は吉永の早い入部を期待したのですが、
彼は入部を拒否したのです。
「あそこのレベルは低いよ」と彼は言うのでした。
「年に一度研究会が選ぶF大賞ってものがあるんだけど、この間、あれ見て俺驚いたよ」
このサークルはF文学という文芸誌を定期的に発行していましたが、F大賞というのは部員に留まらず、
学内一般に小説の投稿を求め、最も優秀な作品を選出するというものでした。
そういう点では必ずしも狭量な活動ではなかったように思います。
このF大賞発表号は年に一度のことで、F文学もこの号だけはまともな装本にして発刊していました。
「龍っていう受賞作読んだんだけど、あれ、ウイリアム・ウイルソンのそっくり盗作だよ」
「え? 盗作って、まさか、ポーの、あれかい?」
私は信じられない思いで早速そのF大賞受賞作を読んだのです。
それは、まさしくポーの「ウイリアム・ウイルソン」の舞台を単に日本に移し変えただけの盗作でした。


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