04/10/20 16:52:30
①や②の付けたしとしては、ヘーゲル弁証法を絡めた場合、昨今のヘーゲル弁証法は全体性
に還元し得るものではない、というコジェーヴ-ラカン経由ジジェクのヘーゲル読解を
椎名に当てはめれば、椎名のテクスト=全体性・現前性の物語、という批評側の批判を
覆せるかもしれない、などと偉そうに考えてます(笑)。例えば『邂逅』において安志=溝
ではないか、とか『自由の彼方で』における「私」という主体の問題(こいつは死者なのか
生者なのか)などなど。
以上、長々と妄想にお付き合いさせてすいませんw