09/10/12 03:37:43
要するに古代ギリシャ哲学から近代的ポストモダン哲学までを曲がりなりにも闊歩してきた啓一郎が辿り着いた境地が
「分人主義」だった訳だ。この思想は普通に生活を送る凡百の誰もが思いつく画期的とは程遠い思想に思える。
しかしながら誰もが「本当の自分」を探る過程で見つけ出し得た仄かな光を曖昧なままにして、それに明確な形を
与えなかった。「本当の自分なんていない」あるいは「全部自分だし」……。そのように我々は大雑把で曖昧に自己存在の実存を認定しようとした。
平野啓一郎が偉大となりえる可能性は、その仄かな光に「分人主義」という確固たる固有名詞を与えたことである。
与えた、というより投げかけた、と言った方が正当であろう。現代人がこの固有名詞に納得し社会に共有化され得た時、
始めて平野は「分人主義」を他者に与えた、と言うことが出来る。
この思想は「人間失格」で太宰が人類に投げかけた大きな問いの究極的な返答であると私は思う。 KF