08/11/20 00:42:39
おれが翻訳物で一番好きなのは、ゲラシム・リュカだ。
1990年、思潮社発行の「現代詩手帖」特集版、
『[総展望]フランスの現代詩』に3篇訳出されている。
とても気に入って何かの折りに探して見るのだが、他には見つからない。
いま調べてわかったが、翻訳の小沼純一はデュラスの『廊下で座っているおとこ』を
訳した人だな。ちょっと引いてみるか、
「うごきまわっている夢」
うつくしいきみのほほえみきみのほほえみ
は結晶になってビロードの結晶
ビロードのきみの声きみの声そして
きみの沈黙きみの沈黙はあふれ
あふれて雪みたい雪
あつくまたゆっくりとゆっくりそれは
きみの足取りきみの足取りななめになって
ななめになった渇きかたわれ化繊それからうかんでる
うかんでる呻き声みたい植木
があるきみの皮膚のなかきみの皮膚はそういうの
ぐしゃぐしゃにするそれぐしゃぐしゃにするきみのかおりを
きみのかおりはきみのくちのなかにあってきみのくち
はかたっぽの腿かたっぽの腿とびたって
ほらとびたってぼくの歯の方ぼくの歯
がきみをむさぼっちゃうぼくきみの不在をむさぼって
きみの不在はかたっぽの腿腿もしくは
短靴短靴にぼくはキスをする
詩にとっての翻訳という問題については、とりあえずまだ語らないほうがいいだろうなw