08/10/03 14:18:42
8
バタイユにとって盲目の父のまなざし=厳しく罰する神の目、であったと思われます。
拒否すればするほど、両者のまなざしは逃げても逃げても彼を執拗を追いつめる。
彼を日夜苦しめる父のまなざし=神の目にバタイユは無関心ではいられなかった。
そう、真正面から神に対峙しなければならなかったのです。
マンディアルグやクロソウスキーのような遊び心やおちゃらけた笑い、滑稽さ、大仰さは
バタイユの作品には見られません。神に対して揶揄やお遊びという中途半端な姿勢を
自身に彼は決して許しませんでした。
神に対する父の呪詛、父と子の相克、神への徹底拒絶と強迫観念、神⇔父⇔子、
この連鎖はキェルケゴールにも見られます。
キェルケゴールの父もまた貧しさゆえに神を呪いました。
そして、呪った直後から経済的に豊かになったそうです。
キェルケゴールの兄弟はみな早世していますが、これは父が神を呪った罰にちがいないと
彼は信じ込んでいたようです。
バタイユといいキェルケゴールといい、大変に生真面目であり、ふたりは生涯神に
とらわれつづけた人たちですが、両者は結果としてまったく正反対の道を歩みました。
バタイユは父の呪詛を踏襲するかのように徹底して無神論の道を、キェルケゴールは
父の贖罪を父に代わって負うかのように痛ましいほど狂信に近い道を歩みました。
……ふたりとも生涯に渡って父と神の呪縛から逃れることはできませんでした。
幸か不幸か、父の犠牲になったがゆえにふたりは文学、哲学で大きな足跡を残しました。
ひとりは徹底した無神論を、ひとりは実存主義を確立しました。