08/10/03 14:17:42
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バタイユの生涯とこころの軌跡を少し振り返ってみましょう。
司祭になることを放棄した17歳のバタイユは、それまでは信仰心の篤い敬虔な
青年だったことが伺えます。
彼がいかなる理由で司祭になることを断念したのか、、、
勝手な憶測をさせてもらうならば放蕩の限りを尽くし、果ては盲目になった彼の父親の
存在が放棄の最たる理由ではないでしょうか?
バタイユの父は自業自得とはいえ、梅毒になり、挙句、己を失明させ、下半身不随にさせた
神に対して生涯呪詛の言葉を吐き続けたことは想像に難くないです。
高い理想に燃えていた十代のバタイユはそんな父を目の当たりにして、罰を与える神の
容赦のない厳しさに震え上がると同時にある種の疑問を抱いたことでしょう。
なぜ、神は許さないのか? なぜ、こんなにも父や家族は苦しまなければならないのか?
そして、いつしか疑問は反感へ、ついに否定へと、無神論を提唱するまでになりました。。。
盲目の父を母とともに置き去りにし、捨てたこと、良心の呵責からバタイユは
生涯逃れられませんでした。
いつどこにいても盲いた父のまなざしは彼を追ってきて、執拗に責め続けた筈です。
彼を責める父のまなざしの背後には厳然たる神のまなざしが必ずありました。