10/01/09 03:13:26
統一した人格がなくても共感は可能だよ。
236はセンチメントはないと言ってるな。
243になると問題じゃないと誤魔化している。
256:吾輩は名無しである
10/01/09 03:17:07
>>255
センチメンタル(感傷的)とセンチメント(感傷)は違うものだろう。
それくらいわかってくれ。
257:吾輩は名無しである
10/01/09 03:17:44
>>253
そうですな。直線的な広がりではないが、重層的に広がっている。
たしかにそれはよく分かる。失語症患者や自閉症患者の類比を用いるまでもなくね。
そしてその解釈によれば、重層的構造の下部に属するイメージと、上部に属する
現在の(現在に近い)イメージのズレから「気づき」が生まれることになる。
だけど、その「気づき」は>>248にあるような「嘆き」になるんだろうか。
それを「嘆き」と呼んでいいんだろうか。たとえば「野生の棕櫚」の最終章の
主人公の(かの有名な)「嘆き」とどう違うんだろうか。それとも同じなのか。
愛着のあるイメージと、ないイメージの落差から生まれるものは、たんなる感情の
爆発であっても嘆きではないように、おれは思う。だから、それをあたかも嘆きのように
語るフォークナーは、とってもセンチメンタルではあると考えてしまうんですわ。
258:吾輩は名無しである
10/01/09 03:22:45
>>257
それは確かにそうだね。「嘆き」と呼んではいけないものかもしれない。
その点に関してはクエンティンセクションの主題のひとつであるようにも思う。
クエンティンはコンプソン氏が指摘するように、まさに「なくなった」と言うことで「あった」ことにしようとしている。
いわば嘆こうとする。けれども、実はそれは元からないものだということに気づいて死んでいく、ということだと思う。
フォークナーにセンチメンタルな側面があるのはそうだろうけど、一応自分でも気づいているんじゃないかな。
259:吾輩は名無しである
10/01/09 03:23:07
センチメンタルとセンチメントがどう違うか、説明してくれ。
260:吾輩は名無しである
10/01/09 03:27:50
それから「野生の棕櫚」の最後は、あれはセンチメンタルなんだと思うw
>>259
日本語でセンチメンタルというのが普通どういう意味で使われるか知っているでしょう。
対してセンチメントというのは悲しんだりする心の動き。
もうくだらない揚げ足とりのようなことはやめなさい。
261:吾輩は名無しである
10/01/09 03:28:54
>>258
いや、けっこう納得できました。ちなみにフォークナーをくりかえし感傷主義者よばわり
したのは、感傷をかるがると操ってみせたかのナボコフだったわけですが…ナボコフの記憶
の扱いというのは、重層的「構造」すらとっぱらって、トランプをシャッフルするようで
いかにも小気味よい。この二人の対比はあまり見たことがないが、素人目からすると面白そうだ。
てことで、寝ます。
262:吾輩は名無しである
10/01/09 03:29:31
またも誤魔化している。
都合が悪くなるときちんと説明しない。
263:吾輩は名無しである
10/01/09 03:38:48
くだらない、だと。自分の文章にもっと責任を持て。
264:吾輩は名無しである
10/01/09 03:40:37
ixion時代以来の面白い書き込みを見たなー
265:吾輩は名無しである
10/01/09 03:41:46
そうかい。それはよかったね。
266:傍観者だが
10/01/09 03:43:33
>>262
センチメントを扱ってもセンチメンタルになるわけじゃない
女とやりてーつうセンチメントを語っても、その語りは日本語でいうところの
センチメンタルな、つまりナイーブな内容にはなるわけじゃない
そういうことじゃね
267:吾輩は名無しである
10/01/09 03:45:03
フォークナースレかとオモタ
268:吾輩は名無しである
10/01/09 14:53:40
260は自分の言いたいことだけ言って逃げたな。
フォークナーは難解な手法や錯綜した文体を用いているが、
読者が作品から受け取るものはきわめて原初的な愛だったりする。
それに気づき共感できれば、この作家はアカデミックな評価でなく、
身近な存在になるのではないか。
269:吾輩は名無しである
10/01/09 18:25:23
あいうえお
270:吾輩は名無しである
10/01/09 23:17:36
>>268
きみは共感しなけりゃ作家を身近に感じられないのか
アカデミックとやらでなけりゃ作家の意図にそった読み方ができないのか
271:吾輩は名無しである
10/01/09 23:35:14
もう相手するなよ
272:吾輩は名無しである
10/01/09 23:36:20
268は221に対して言っている。フォークナーを身近に感じるために。
「アカデミックとやらでなけりゃ作家の意図にそった読み方ができないのか」
ほんと頭悪いな。268のどこをどう読めばそんな解釈になるんだ。
あほらし。
273:吾輩は名無しである
10/01/10 05:34:43
まあ、世の中バカが多いので、そうカリカリしなさんな。
274:吾輩は名無しである
10/01/11 01:23:47
フランクリン自伝の翻訳は、どこのがいいですか?
275:吾輩は名無しである
10/01/11 03:19:50
238・239・241・245・249・257・261はixionが書いたものだろう。
さあ答えなさい。
276:吾輩は名無しである
10/01/11 14:33:48
>>274
比較したことないからどこのやつが良いとは言えないけど、
うちにあるやつは中央公論新社のやつ。翻訳はけっこう
読みやすかった。
近くに大きな本屋もしくは図書館があれば、最初の
数ページだけを比較してみて、自分が一番気に入ったものを
読み進めてみたらいかがでしょうか。
277:吾輩は名無しである
10/01/11 15:04:15
>>276
中公クラシックですね。世界の名著の。
読みやすいのなら、それにしてみます。
ありがとうございました。
278:吾輩は名無しである
10/01/16 12:59:50
フラナリー・オコナ―を読んだので、次はカーソン・マッカラーズを読みたい
んですが、どれがいいんですか?
279:吾輩は名無しである
10/01/16 20:51:54
>>278
個人的には、「悲しき酒場の唄」が入っている短篇集が
彼女の世界観をつかむのには一番いいと思う。
280:吾輩は名無しである
10/01/16 23:03:39
入手しにくいが、『心は孤独な狩人』は必読だね。