【覇権国】アメリカ文学総合スレpart2【チアガール】at BOOK
【覇権国】アメリカ文学総合スレpart2【チアガール】 - 暇つぶし2ch235:吾輩は名無しである
10/01/09 01:42:12
白痴にだって感情はあるんだよ。頭悪いねえ。

236:吾輩は名無しである
10/01/09 01:54:04
あるのは圧倒的な喪失感で、甘酸っぱさなんてセンチメンタルなものじゃないって言ってるんだよ。
まあそんなレスの返し方する人に何を言っても無駄だろうけど。

237:吾輩は名無しである
10/01/09 02:00:12
センチメントがベンジーにないと何故言いきれる。
所詮お前の見方にすぎんのだよ。

238:吾輩は名無しである
10/01/09 02:03:09
>>235

>>234の言い方はキツいけれど、その論旨には賛成するなあ。
たしかにベンジーには感情も感傷もあるだろう。そしてその断片は
ベンジーの語りから読み取ることができる。

でも、その感情とやらがああいうブッタ切りのかたちで語れれば語られるほど、
むしろその素材の背景にある実体めいたものの行方がわからなくなる。

もっと言えば、共感の対象となるような統一的な人格みたいなものを
あらかじめ拒否するようなかたちで、フォークナーは記憶や表明を扱っている。
もちろん断片を手がかりに「共感」「同化」を試みるのも不可能じゃないけど、
そういう読みはむしろフォークナー以外の作家に向いている気がするんだよね。

239:吾輩は名無しである
10/01/09 02:06:41
>>237

236じゃないけど応答してみるよ。
センチメントはベンジーにはある。そして誤解をおそれずに言えば、
フォークナーはきわめてセンチメンタルな作家だと思う。

しかし。
読者がそうしたセンチメントをばらばらに見出しても、そこにおよそ「共感」できないような、
フォークナー好みの形容をつかえば「うずまき」がグルグルまわっているようなカタマリが、
フォークナーの小説に出てくる人間なんじゃないかな。

センチメントがあることと、それが「共感」や「同化」を許容するかということは別物だと思うんだ。

240:吾輩は名無しである
10/01/09 02:13:58

何を言いたいんだか、よく分からん文章だ。

241:吾輩は名無しである
10/01/09 02:20:07
>>240

それぞれの命題の根拠はさしあたり書かずに、おおまかにまとめよう。

1. ベンジーにたいする読者の態度として、共感ならびに同化はふさわしいだろうか。
2. 共感ならびに同化は、少なくとも読者にとって理解可能な人格の全体像を必要とする。
3. しかしフォークナーは、そのような全体像をむしろ攪乱するような語りを用いる。
4. したがって共感ならびに同化はベンジーの読みとしてふさわしくない。
5. したがって「最終章で圧倒的な感銘に見舞われるだろう」保証もない。

242:吾輩は名無しである
10/01/09 02:20:16
まあ、何をどう共感するかは読者ひとりひとりの自由であり、
その場合、作者の意図がどうかは一切関係ないという
文学観賞の基本を押さえておくべきだな。

243:吾輩は名無しである
10/01/09 02:20:54
感傷の有無が問題というよりは、ベンジーの視点は語り方からも明らかなように
過去を振り返るものではなく、(フォークナーがよく言うように)現在と過去の区別がないというのが重要で、
常につきまとう喪失感も現在のものでしかありえない。だから「子供の頃の兄弟愛を断片的に思い出す、その甘酸っぱさ」なんて
ノスタルジーに還元できるものではない。

244:吾輩は名無しである
10/01/09 02:25:25
あと、統一的人格がないから共感は不可能だというのは同意

245:吾輩は名無しである
10/01/09 02:26:59
>>242

そのとおりで、たとえばベンジーの近親相姦にたいする欲求を見出して
ハァハァすることも読者も自由だ。際限のない相対主義に陥る覚悟があるならそういう
台詞も言っていい。だけど、かりにも読者として「よりよい鑑賞がある」ことを
信じあるいは望むなら、そこで議論を放棄しちゃいけないんじゃないか?

たとえば>>231だって、ひとつの読みが「鍵だ」なんて規範的な言葉を使っているんだから、
そんな自由は振りかざせないはずだよ。

246:吾輩は名無しである
10/01/09 02:32:36
読者のひとりとして、こういう読み方があると他者に教えることは許されていい。

247:吾輩は名無しである
10/01/09 02:37:38
243の現在の喪失感って何だ?過去を振り返ってはじめて喪失感を抱くものだろう。

248:吾輩は名無しである
10/01/09 02:50:37
>>247
ベンジーの嘆きは、時間を前から後ろに流れるものとして捉えられない以上、「あったものがなくなった」ことによるものではなくて、
「あるべきものがない」ことによっている。たとえばベンジーは自分のペニスが「なくなった」ことをいつも知っているわけではなく、
それが「ない」ことに毎回気づいて泣くわけ。

249:247じゃないけど
10/01/09 03:03:00
>>248

それはよくわかるんだけど、ではどうやって「気づき」が可能になるんだろうね。
つねに現在に直面するしかない知覚ならば、すべて肯定してもいいじゃないかな。

気づきや、そこからわいてくる嘆きというのは、やはり空間的なだけでなく時間的な
広がりも必要とするのではないかなと、そう思うわけですが。

250:吾輩は名無しである
10/01/09 03:04:02
243はあくまでベンジーにセンチメントがないと言い張るのかね?

251:吾輩は名無しである
10/01/09 03:06:45
>>250

>>243はセンチメントがあるかないかが問題じゃないって言ってるだけじゃん。
ただしノスタルジックなセンチメントはベンジーの時間感覚上ありえない、と。

>>241はむしろ共感の構造を問題にして、共感されるだけの人格の統一がないって、
フォークナーの語りの特徴に注目してい言っているんでしょ。

252:吾輩は名無しである
10/01/09 03:07:59
なんや難しい話になってきたな

253:吾輩は名無しである
10/01/09 03:08:20
>>247
時間的広がりはあるよ。過去の記憶がないわけじゃないんだから。
だから「ある」という過去の状態も知っている。ただそれをベンジーは過ぎ去ったものとして捉えていない。
過去⇒現在という直線的な広がりではなく、重層的な構造になっている。そういうことじゃないでしょうか。

254:吾輩は名無しである
10/01/09 03:09:35
>>253>>249あてね

255:吾輩は名無しである
10/01/09 03:13:26
統一した人格がなくても共感は可能だよ。
236はセンチメントはないと言ってるな。
243になると問題じゃないと誤魔化している。

256:吾輩は名無しである
10/01/09 03:17:07
>>255
センチメンタル(感傷的)とセンチメント(感傷)は違うものだろう。
それくらいわかってくれ。

257:吾輩は名無しである
10/01/09 03:17:44
>>253

そうですな。直線的な広がりではないが、重層的に広がっている。
たしかにそれはよく分かる。失語症患者や自閉症患者の類比を用いるまでもなくね。

そしてその解釈によれば、重層的構造の下部に属するイメージと、上部に属する
現在の(現在に近い)イメージのズレから「気づき」が生まれることになる。

だけど、その「気づき」は>>248にあるような「嘆き」になるんだろうか。
それを「嘆き」と呼んでいいんだろうか。たとえば「野生の棕櫚」の最終章の
主人公の(かの有名な)「嘆き」とどう違うんだろうか。それとも同じなのか。

愛着のあるイメージと、ないイメージの落差から生まれるものは、たんなる感情の
爆発であっても嘆きではないように、おれは思う。だから、それをあたかも嘆きのように
語るフォークナーは、とってもセンチメンタルではあると考えてしまうんですわ。


258:吾輩は名無しである
10/01/09 03:22:45
>>257
それは確かにそうだね。「嘆き」と呼んではいけないものかもしれない。
その点に関してはクエンティンセクションの主題のひとつであるようにも思う。
クエンティンはコンプソン氏が指摘するように、まさに「なくなった」と言うことで「あった」ことにしようとしている。
いわば嘆こうとする。けれども、実はそれは元からないものだということに気づいて死んでいく、ということだと思う。
フォークナーにセンチメンタルな側面があるのはそうだろうけど、一応自分でも気づいているんじゃないかな。

259:吾輩は名無しである
10/01/09 03:23:07
センチメンタルとセンチメントがどう違うか、説明してくれ。

260:吾輩は名無しである
10/01/09 03:27:50
それから「野生の棕櫚」の最後は、あれはセンチメンタルなんだと思うw

>>259
日本語でセンチメンタルというのが普通どういう意味で使われるか知っているでしょう。
対してセンチメントというのは悲しんだりする心の動き。
もうくだらない揚げ足とりのようなことはやめなさい。

261:吾輩は名無しである
10/01/09 03:28:54
>>258

いや、けっこう納得できました。ちなみにフォークナーをくりかえし感傷主義者よばわり
したのは、感傷をかるがると操ってみせたかのナボコフだったわけですが…ナボコフの記憶
の扱いというのは、重層的「構造」すらとっぱらって、トランプをシャッフルするようで
いかにも小気味よい。この二人の対比はあまり見たことがないが、素人目からすると面白そうだ。

てことで、寝ます。



262:吾輩は名無しである
10/01/09 03:29:31
またも誤魔化している。
都合が悪くなるときちんと説明しない。

263:吾輩は名無しである
10/01/09 03:38:48
くだらない、だと。自分の文章にもっと責任を持て。

264:吾輩は名無しである
10/01/09 03:40:37
ixion時代以来の面白い書き込みを見たなー

265:吾輩は名無しである
10/01/09 03:41:46
そうかい。それはよかったね。

266:傍観者だが
10/01/09 03:43:33
>>262
センチメントを扱ってもセンチメンタルになるわけじゃない
女とやりてーつうセンチメントを語っても、その語りは日本語でいうところの
センチメンタルな、つまりナイーブな内容にはなるわけじゃない

そういうことじゃね

267:吾輩は名無しである
10/01/09 03:45:03
フォークナースレかとオモタ

268:吾輩は名無しである
10/01/09 14:53:40
260は自分の言いたいことだけ言って逃げたな。
フォークナーは難解な手法や錯綜した文体を用いているが、
読者が作品から受け取るものはきわめて原初的な愛だったりする。
それに気づき共感できれば、この作家はアカデミックな評価でなく、
身近な存在になるのではないか。


269:吾輩は名無しである
10/01/09 18:25:23
あいうえお

270:吾輩は名無しである
10/01/09 23:17:36
>>268

きみは共感しなけりゃ作家を身近に感じられないのか
アカデミックとやらでなけりゃ作家の意図にそった読み方ができないのか

271:吾輩は名無しである
10/01/09 23:35:14
もう相手するなよ

272:吾輩は名無しである
10/01/09 23:36:20
268は221に対して言っている。フォークナーを身近に感じるために。
「アカデミックとやらでなけりゃ作家の意図にそった読み方ができないのか」
ほんと頭悪いな。268のどこをどう読めばそんな解釈になるんだ。
あほらし。

273:吾輩は名無しである
10/01/10 05:34:43
まあ、世の中バカが多いので、そうカリカリしなさんな。

274:吾輩は名無しである
10/01/11 01:23:47
フランクリン自伝の翻訳は、どこのがいいですか?

275:吾輩は名無しである
10/01/11 03:19:50
238・239・241・245・249・257・261はixionが書いたものだろう。
さあ答えなさい。

276:吾輩は名無しである
10/01/11 14:33:48
>>274
比較したことないからどこのやつが良いとは言えないけど、
うちにあるやつは中央公論新社のやつ。翻訳はけっこう
読みやすかった。

近くに大きな本屋もしくは図書館があれば、最初の
数ページだけを比較してみて、自分が一番気に入ったものを
読み進めてみたらいかがでしょうか。

277:吾輩は名無しである
10/01/11 15:04:15
>>276
中公クラシックですね。世界の名著の。
読みやすいのなら、それにしてみます。
ありがとうございました。

278:吾輩は名無しである
10/01/16 12:59:50
フラナリー・オコナ―を読んだので、次はカーソン・マッカラーズを読みたい
んですが、どれがいいんですか?

279:吾輩は名無しである
10/01/16 20:51:54
>>278
個人的には、「悲しき酒場の唄」が入っている短篇集が
彼女の世界観をつかむのには一番いいと思う。

280:吾輩は名無しである
10/01/16 23:03:39
入手しにくいが、『心は孤独な狩人』は必読だね。


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