07/06/19 00:19:31
読み終えたばかりで、まだ自分の中で整理が成されていない。
この小説についていくつか書かれたものを読んでなるほどと思ったが、読み進んだ後では、違和感の方が強い。
『インストール』を読んでいないが『蹴りたい背中』を読み終えた後に感じたのは、
文体の美しさと状況描写の西洋的な洗練のされかたであり、
しかもそれが日本特有の私小説的な内面の表出と不可分にあることへの驚きだった。
断りをいれれば、僕自身は文学には疎く、きちんと真面目に勉強もしていないので、
ここでいう私小説などの用語が正しい使用かどうかはよくわからない。
ただ、その文字の示すニュアンスくらいはわかるつもりだが。
だから本作において綿谷がそこかしこに上記に連なるきらめくように鮮やかな描写をしたことにはさほど驚かず、
むしろそれを発見しては拠とするかのように読み進むのだが、
全編にみなぎる不協和音と稚拙ともみえる荒々しい文体とのせめぎあいの中で、
読む者は疲弊し、細部と全体が単純なナラティブのみで
接続されていくまさにその流れの中に身を任すことしか許されなくなってしまう。
おそらくそこにこの獰猛な作品の賭金はあるのであって、
美しく繊細な綿谷を期待する自分には大きな裏切りであるという気分と、
通俗的なまでにありがちな小説スタイルであるこの作品から
果たして小説と呼んでいいのだろうかぐらいの動揺を感じさせられた。
そしてその裏切られたという思いと動揺こそが、
世界に従いながら世界についに入ることを許されなかった主人公その者の実感だとしたら、
作者はかなりの策士なのだと思う。