08/09/10 14:01:16
>>651
でもその問題性は鎌田哲哉に露呈してると思う
すがはなんだかんだいっても作品の内実を読み解く批評だし
653:吾輩は名無しである
08/09/10 14:22:38
そういう「取り巻き感」は、『文芸時評というモード』では強く感じるけど、
必ずしも初期単著、近年の著作では感じないな。
大西への依存は鎌田のほうが酷いと思う。いや、スガの方がマシだといってはじめてしょうがないのだが。
654:吾輩は名無しである
08/09/10 14:27:57
モッブとか言って愚民を見下すエリート気取りの鎌田哲哉ではスノビズム批評家たり得ない。
スノビズムは、本来卑賤な俗物が成り上がり根性で教養文化に憧れる上昇志向なのだから。
絓は上昇過程で自分が置き去りにしてきた中卒同級生らに疚しい良心を感じるから、
出自のいやしさに相応しくジャンクに塗れようとしたりするわけだ。
655:吾輩は名無しである
08/09/10 14:43:53
鎌田が無教養な競馬好きなのはバレてるから、
あれはあれですでにシミュラクルだけどね
656:622
08/09/12 22:08:04
いやはやチキが世間でどう思われてるか知らずに書き込んだが2ちゃんスレみて愕然とした
これこそすくつ(なぜか変換できない)だな
スレリンク(sociology板)l50
有志の方はチキ関連のここの議論を丸ごとコピペされてください
どんな応答がかえってくるか興味ある
後学の参考にしたいものだ
さすがに自分がやると自作自演になるので提示しただけですので悪しからず
しかしジジェクとドゥルーズを読み直す作業が全くはかどらない
なんとなく本屋にあった感じよ良さげだった佐藤嘉幸『権力と抵抗』を買ってきてぼちぼち読もうかと考え中
ジジェクスレでは全く評判の悪い長原豊のまとまった文章も読みたい
いま考えてるのは「零度」と「n」と「一」の関係なんだが、
直感的には答えじみたものがあるのだが、
俺の教養と知識ではとても形にはならない
京都造形大学にでも入り直して浅田彰の教えを乞いたいものだが…
そういや蓮實を相手にされてた人も最近はご無沙汰ですね
お互いがんばりましょう
エール交換スマソ
657:吾輩は名無しである
08/09/13 01:21:05
教養主義の歴史的経緯とかどうでもいいよ
今現在の研究者の階層的背景が重要
658:吾輩は名無しである
08/09/13 01:31:07
>今現在の研究者の階層的背景が重要
もしそう思われるのなら>>657の視点からなにか意見欲しい
チラ裏にはまだ白紙はたくさん残ってるぞ
659:656 ◆gzRKmnYdjs
08/09/13 01:32:31
『権力と抵抗』をパラパラ読んでて、
さらにいままで考えてたことを少しだけ整理整頓
0.「零度」(バルト/蓮實?)
1.「n」(ドゥルールズ/ガタリ?)
2.「一」(バタイユの仮想敵)
0.は「天皇制」や「無限」(柄谷)や「無意識」(フロイト)等とパラレル
1.は「他者」や「外部」とパラレル
2.は「形而上学」と「自己」と「署名」と「身体」とパラレル
(注・ラカンの理論はここで語れるほど蓄積がないので触れないが、根底には精神分析への関心がある)
ここで「多」(バタイユ)とはスガ秀美『小説的強度』に倣って言えば、
「雑」ともいえるし、
「JUNK」や「マルチチュード」(ネグリ/ハート?)も併置してもいいかもしれないが、
俺の直感では「n」と抵触するし、
もちろん「零度」であるはずがない
あるいは0.と1.のデュアルコアCPUが「多」「雑」「JUNK」「マルチチュード」なのかもしれないが、
しかし「二」という存在とは何者なのか?
少なくとも「超人」(ニーチェ)は「n」の多様性を生きる存在だが、
ニーチェが「二」を明記した箇所は俺は知らない
あるいは『悲劇の誕生』の「アポロ」と「ディオニュソス」が「二」なのかもしれないし、
「二」的「超人」()による「n」との「闘争」や「逃走」や「社交」が「永劫回帰」だとしても、
果たして「二」的「超人」(人間の脳をご想像ください)の感情やら精神はそれに耐えられるのだろうか…?
660:656 ◆gzRKmnYdjs
08/09/13 01:45:56
その一例の虚構を築いてみるが、その前提となる貴重な示唆を長文で引用。
スレリンク(book板:640-641番)
「二」的「超人」と俺なりに仮構してみたが、
要は「n+1」からの俺なりのコミュニケーション哲学(適当に受け取ってもらって結構)なのだが、
「n」に「介入する」「1」は、
常に「n」から表象される運命にあり、
「1」ではなく「赤いn」だったり「青いn」だったり表象される
もっとジジェク的にこじつけていえば、
「1」ではなく「重いn」「エラそうなn」「ウザいn」「キモいn」…
この時「1」は果たして耐えられるのか?病んでしまわないのか?
「二」的「超人」で果たして耐えうるのか?
あるいはcpuのように感情を情報処理してしまえれば救われるのか?
とはいえcpuにも速かったり遅かったりするものがあり(「遅延」はスガの主題のひとつ)壊れるたり捨てられたりするのを覚悟で感情を捨てて動作するしかないのか…
もしかしたら「二」的「超人」のよりどころが3.だとしたら、
ギリシャ哲学から2000年も少しすぎてイエスの復活も寡聞にして知らないわれわれは出口なしの「この世界」からユートピア
(超自我?!参考文献に柄谷のユーモア論と、それを批判する芳川泰久の主に『漱石論-鏡あるいは夢の書法』)
を夢見て「死に至る病」を甘んじるほかないのか…
(当時のユダヤ人はもちろん使徒すら知らなかっただろうが。
たぶんイエスに助けてもらった無名の「n」の記憶にのみ「GOD」ではなく「Yhoshuah」は存在したのだろうが、
果たしてどんな発音で発声されていたか判るはずもなく、現代日本人なら「ヨッシャー」とでも記憶するのか…)
661:656 ◆gzRKmnYdjs
08/09/13 02:13:33
これ以上議論を膨らます容量が足りない。
最後に引用する。
スレリンク(sociology板:71番)
ドゥルーズに敵対して「赤」に誘惑されるならn個の色(n個の表象)もあるのではないかと誘う蓮實的存在と、
それをオィディプスと退けるドゥールズ+1
それとも…
(補足/>>659-660も参照)
662:656 ◆pMC.4Mizqg
08/09/13 02:32:07
>>659に保留事項あり
>0.「零度」(バルト/蓮實?)
1.「n」(ドゥルールズ/ガタリ?)
2.「一」(バタイユの仮想敵)
0.は「天皇制」や「無限」(柄谷)や「無意識」(フロイト)等とパラレル
1.は「他者」や「外部」とパラレル
2.は「形而上学」と「自己」と「署名」と「身体」とパラレル
むしろこう?
0.は「天皇制」や「無限」(柄谷)や「無意識」(フロイト)等とパラレル
1.は「自己」や「署名」や「身体」や「他者」とパラレル
2.は「形而上学」とパラレル
「外部」はあいまいなので外してみた。
むしろいくら構築してもあらわれるのが「外部」への衝動かもしれないが柄谷読者の俺でもよくわからん
長池講義行かれてる中でもの好きな方、
柄谷に直接この656 ◆gzRKmnYdjs の議論設定が正しいか教えてください
もちろん、それ以前にわかる方いれば訂正、批判、修正、その他レスお願いします
ってそんな人いないでしょうが…
663:吾輩は名無しである
08/09/13 02:35:10
ここは絓秀実スレッドだ。お前のノート代りのチラシの裏ではない。
664:656 ◆gzRKmnYdjs
08/09/13 02:50:54
>>663
この議論への656 ◆pMC.4Mizqgからの応答はしません。
このコテハンも一回限りで死にます。
スレ汚し失礼しました。
665:吾輩は名無しである
08/09/13 09:36:22
まるで哲学板のkyrie並みの厚顔無恥だな。
読書メモのためにスレを占拠しないでほしい。
666:吾輩は名無しである
08/09/13 12:59:11
匿名で偉そうに批判してる奴はほんと見苦しいな。
せんすとかほんと糞だ。
匿名で正しいこと言うより実名で暴言吐く方がまし。
667:吾輩は名無しである
08/09/13 13:26:44
ではどうぞ、実名で書き込みしてください。
668:吾輩は名無しである
08/09/13 13:31:11
そうなるよね論理的に(笑
っつーか匿名だろうが名乗った上でではあろうが、
グデグデと他人に粘着している奴らは皆、見苦しいよ。
669:吾輩は名無しである
08/09/13 13:41:00
故意か否かにかかわらず、荒らしが出てきたとき、
荒らしに構うのも荒らしの同類
656のボケはほっとけ
670:proudhon
08/09/13 16:46:13
バルトの意味を保留する(零度)テクストではなく、ドゥルーズの連結していくテクスト観(n+1)をスガ氏は取っている。
その際バタイユ的なヘーゲルの裏返し(否定神学)になる危険もあるが、あえてフェティシズムの中にその反転の可能性を探ろうとしているのだろう。
ラカンほど、記号表現を信じていないし、柄谷ほど禁欲的ではないが。
政治主義的な態度は、やはり1848年と1968年の悪しき反覆だと個人的には思う。
ただし、ブルジョアジーを相対化するのはこうした自覚的で「享楽的」態度かもしれない、、、。
671:吾輩は名無しである
08/09/13 17:47:14
絓 - 「絓」(半角英数字・カギ括弧なし)と書いて投稿する。
やってみた
672:吾輩は名無しである
08/09/13 20:04:34
フェティシズムとは愛かも
だだしフィロソフィアではなく性愛
ここがスガと柄谷を一番分つところ
愛は地球を救うが性愛はどこかにendがある(なぜなら連結点の父/夫は必ず死ぬから)
それでもくりかえされる諸行無常よみがえる性的衝動