06/04/05 16:41:16
『名もなき孤児たちの墓』中原昌也
不穏な感じが湧き出す
世の中が、なんだかへんです。
非道な殺人事件とか。無軌道な出来事とか。そういうものが溢(あふ)れているだけじゃなくて、それらを見
聞きしていても、「なんだかこれ、前にも聞いたことがある」などと、平然と思ってしまう自分が、もっとへんです。
中原昌也のこの本を読んでいると、似たような不穏な感情が、じんわりと湧(わ)いてきます。じんわり、の
次には、どばあっと吹き出します。でも間違えないで下さい。不穏な感じが湧くのは、この本が今の世間の妙さ
と同質な「嫌さ」を持っているからではありません。そりゃあ、この本のどの一篇もかなり妙な内容をもつもの
です。冷徹な殺人者である『パソコンタイムズ』編集長平賀吉成のインタビューとその後の顛末(てんまつ)、
とか。すごく卑劣で偽善的でスタイリッシュな作家菱田の心理描写(菱田ものは二篇あって楽しめます)とか。
蛇が自分のしっぽに噛(か)みついて輪になってしまって困惑しているような感じの中篇とか。
確かにどの小説も、人を不安に陥れるような中身です。でも不思議なことに、その不安はわたしを「嫌あな、
いらいらした方向」へは導きませんでした。それどころか、すっきりとさえしたのです。そうそうそうなのよ、
世界のことを見聞きして嫌な気分になるのはこれだからなのよ、と膝(ひざ)を打つ感じでさえありました。
なぜなんでしょう。たとえば「これは『世界が嫌な感じ』なのを、パロディーとして差し出したものだからで
す」などとまことしやかに言うこともできるかもしれません。でも、やっぱり違う。そんなつまらない仕組みの
ものじゃありません。うまくまとめることができないので、かわりにこの本に比較的頻出する単語の数を数えて
みました。「バカ」81回「女」97回「血」25回「コーヒー」13回「セックス」18回「東急ハンズ」2
回(いずれも概算)。意味はありませんが、なにしろ意味をくっつけるとつまらないという本なので、どうぞ許
して下さいね。
評者・川上 弘美(作家)
(2006年3月20日 読売新聞)