09/10/31 02:24:01 ewiaOXkG
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過去をかみしめながら、トラビス=ヒューズ(31)は「横浜 ヒューズ」の声を聞いた。
横浜時代の2008年、横浜から戦力外通告を受けて1年。ようやく夢が実現した
「大変うれしく、光栄に思います」。言葉は平凡だが、どんな選手よりも重みがあった。
横浜のユニホームを着ることが、二年前のころからの夢だった。
湘南時代、日記にそう記したという。「テレビでは一軍の試合しかやっていなかった。二軍の時からのあこがれでした」。
米・独立リーグ時代は「苦しかった。再契約は無理かなと思ったこともありました」というが
最後は「自分で決めたことは最後までやりたい」と、横浜への愛を貫き通した。
その思いに、横浜が応えた。今年10月、横浜・加地社長が早々と再契約を確約。
再契約後には、横浜・中区の本社から大矢監督が駆けつけ、背番号「42」のユニホームを手渡した。