04/05/17 22:14 CCuU9Jxp
>>88、>>89
血液型性格判断の支持者に見られる、典型的な主観的現実と客観的現実との混同。
このあたりも、すでに心理学者たちによって研究され尽くしているんだけどね。
最初から血液型性格判断に囚われていない人なら、
嫌な相手は単に「嫌な奴」とするだけで、いちいち血液型まで考えないし、
「×型に嫌いな奴が多かった」などと考える余地もない。
仮に、嫌な人に×型が多かったと気づいても、
「そんなものはただの偶然で意味はない」と気にとめずに流すでしょう。
これが健全な発想と態度というもの。
嫌な×型の体験が多い人というのは、要するに、
血液型別に性格や相性があるという「思い込み」を前提にものを見ているから。
だからいちいち相手の血液型をチェックするし、
たまたまその相手の血液型に偏りがあれば、偶然として流すこともなく
「×型が多かった」などと言い出すことになる。
さらに言えば、人間というのは、自分の持っている枠組みに合致したケースを強く記憶に残す傾向があるので、
「やはり嫌な奴には×型が多い」という思い込みはますます強化される。
つまり、
そういった自分の側のフィルタを通して構成された主観的事実を、
客観的事実と混同しているわけだ。特に>>89とかはね。
そこをきちんと区別すべき、とこちらは言い続けているわけだ。
「嫌な奴には×型が多い」というのは、あくまで主観的事実。
より慎重に言うなら、主観的にしか意味を持たない客観的現実なんだよ。
それを最後まで主観的事実として扱ってくれるなら、
こちらだってあまりものは言わない。