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鄭大世、W杯ピッチで男泣き 「背負って戦う国は1つ」
試合前の国歌演奏で涙をこらえる北朝鮮の鄭大世=越田省吾撮影
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(W杯15日、ブラジル2―1北朝鮮)
Jリーグでプレーする在日3世の鄭大世(チョン・テセ)(26)が15日、
北朝鮮代表としてワールドカップ(W杯)南アフリカ大会のブラジル戦のピッチを踏んだ。
韓国籍の鄭大世にとって、かなわぬはずの夢が、現実となった瞬間だった。
44年ぶりに出場した「祖国」の国歌が流れた。丸刈りで臨んだ鄭大世は一人、
人目もはばからず大泣きした。
名古屋市生まれ。朝鮮籍の母李貞琴(リ・ジョングム)さん(59)の方針もあり、
小、中、高と朝鮮学校で学ぶ。北朝鮮への愛国心はおのずと育まれていった。
初めて北朝鮮の地を踏んだのは高校3年の夏。サッカー部の「修学旅行」だった。
最終日に平壌の羊角島(ヤンガクド)競技場の駐車場で開かれた焼き肉パーティーであいさつした。
「この競技場に、胸に国旗をつけて必ず戻りたい」
子どものころ、父鄭吉夫(チョン・ギルブ)さん(69)から「日本人の2倍、3倍努力しろ」と言われた。
アピールできるのはサッカーしかなかった。2006年にJ1川崎フロンターレに入団。
代表レベルのストライカーへと成長した彼の前に立ちはだかったのが、国籍だった。
鄭大世は父親と同じ韓国籍。パスポートはなく「宙に浮いている難民の状態」と母は説明する。
在日の複雑な立場により、北朝鮮代表入りは不可能と思われた。
母は代表の試合をテレビで見て、「あそこに大世を出したい」と大泣きした。
それが、周囲の働きかけもあって、本人の強い要望を国際サッカー連盟が受け入れた。
北朝鮮がパスポートの発給を許可したことで特例が認められた。閉ざされていた道が開かれた。
ところが、代表の現実は思い描いていたものとは違った。まず練習着がない。
試合用のユニホームも練習で使いすぎて、背番号がちぎれていた。
遠征ではユニホームを自分で洗う時もある。「なんだ。これが代表なのか」と気持ちは沈んだ。
しかし一緒に戦っていくうちに、仲間の良さが分かってきた。純粋で、だれも人の悪口を言わない。
好奇心も旺盛。試合では精神面の強さを持っていた。
鄭大世は、合宿に韓国ドラマやゲームを持参して溶け込もうと努めた。
W杯予選では羊角島競技場のピッチにも立った。
世界ランク105位のチームが、8強入りした66年以来2度目のW杯切符を手にした。
ただ、まだ他の選手となじめないところも多い。iPodを貸したら返ってこない。
ガムを持っていると全員が「くれ」と言う。「北朝鮮ではだれもが同じものを与えられるから
遠慮がない。腹が立つ」。核問題などで世界で政治的に孤立する「祖国」への思いも複雑だ。
「申し訳ない気持ちがあるし、悪いイメージは仕方がない」
試合で鄭大世は走り回った。2点のリードを許したが後半44分、自身のアシストで一矢を報いた。
「サッカーを始めたときから、この日をずっと想像していた。この大きな場所で世界一のブラジルと
戦えたことをうれしく思う」と試合後に語った。
注目を浴びる日本や韓国の代表のことをうらやましいと思うこともある。それでも胸を張って言える。
「自分が背負って戦える国は、一つしかない」と。(柴田真宏、富山正浩)
朝日新聞 2010年6月16日16時48分
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