08/07/14 14:53:24.40 r5e4UHrc
>>246
景勝の代理として大坂城に上った際、
伊達政宗が同席の諸大名に「めずらしいものを」と天正大判を回覧した際、素手ではなく扇子で受け、撥ねるようにして表裏を見たという。
政宗は、兼続が陪臣であるために遠慮していると思い「山城、手にとって見るも苦しゅうないぞ」といったところ、
兼続は「冗談召さるな。不肖兼続の右手は戦場にあっては先代・上杉謙信の代よりの采配を預かるもの。左様に不浄なものを触れるわけには参りません」と、
政宗の膝元へ投げて返したという。
後年、江戸城内で伊達政宗とすれ違った時、兼続は知らぬ顔で会釈をしなかった。
政宗が「陪臣の身で大名に会釈せぬとは無礼ではないか」と咎めると
「これはご無礼いたしました。これまで兼続は中納言様(政宗)とは戦場で相まみえる間柄だったゆえ、
(戦に負けて逃げる)後姿しか拝見した事がなく、お顔を存じ上げませんでした」と慇懃に答えたという。
wikipediaより転載