08/06/27 13:38:59.79 Kp/FJxfB
謙信の分からんところは、養子を二人も取ったこと。
それも景勝を越後守護、景虎を関東管領なんて分け方している。
せめて、後継者を指名しておけばよかったのに、していない。おかげで御館の乱・・・
昔にいい反面教師があったじゃないか。
幕府管領細川政元。応仁の乱の東軍の大将勝元の息子。
彼は、修験道に凝っていて(諸説あり)、女人断ちしていたという。
ある時、近衛家に行ったら、かわいい幼子を目にしたので、
家の当主にお願いして、養子にした。これが細川澄之。
しかし、家臣から養子は、身内の細川家から取ってくれと言われ、
阿波細川家から養子をもらった。これが細川澄元。
またこの後、何でか知らんが、細川高国も養子に。後継者も決めていない。
これで、数年後養子争いが起こり、政元は、澄之派の家臣から殺されてしまう。
澄之派はあっという間に、澄元軍から滅ぼされ、澄之も殺される。この時点で高国は澄元の味方。
しかし、澄元と高国も争うようになり、澄元は阿波に逃げ、畿内は、高国のものになる。
将軍も高国が操る。澄元は阿波で無念の病死。
澄元の子晴元が若者に成長し上洛すると、高国は討たれてしまうが、
もうこの時点で、政元時代の栄華はなくなり、家臣の三好たちがのし上がって来る。
謙信も、歴史を知っていたのは当然だから、気をつけておけばいいのにね。
そこが不思議だ。なぜだ?