08/03/17 01:38:27.26 D9jC0JW7
前スレ>>773
>攘夷というのならなんで明治で開国してるの?
世の中の為といっておきながら実は自分達が実権を握りたかっただけではないか
と思う。幕府を倒す為に邪魔な人たちが次々謎の死を遂げているのも気持ち悪い。
だから嫌だなと感じるんです。
忘れちゃいけないのは、時代は「幕末」だってこと。
江戸時代末期に生きてた人間たちが江戸時代(まで)のヒエラルキーに
支配されていた。
徳川家だってかつては、どこの馬の骨ともしれん輩だったのが、
たまたま時の権力者と接点を持ち、ケンカに勝ち、実権を握っただけ。
いったん握った実権は封建社会ではそう簡単に手放したくないだろう。
薩摩はそれこそ一外様大名家に過ぎず、将軍家につながる譜代大名家とは違い冷遇されてきた。
(幕府の命により強制で江戸城城郭や木曽川治水工事を強いられたり、
いくら江戸から遠く離れていても財政難でも強制で参勤交代や江戸詰めは当たり前)
それと忘れてはいけないのが関が原の戦い。薩摩は徳川軍につきたかったが、
信用ならぬと門前払いをくらい豊臣側につくしかなく、敗走の際は多くの兵の命を落とした。
(敗走:合戦に参加はしたが攻撃はせず、敵の真ん中を突っ切って敗走したらしい)
「関が原の恨みを晴らしたい」という野望があっても無理もないかもしれない。
そのように徳川家とその縁戚が実権を握ってきた中で、外様大名家は
ひたすらヒエラルキーの下部で忍従を強いられてきた。
幕府を倒さない限りは実権を握れず冷遇されたままなのは変わらない。
そうなると、いったん実権を握れば、その実権を守るためには陰で手を汚す
こともあったかもしれない。かつての幕府がそうしてきたように。
※島津斉彬は一貫して幕府存続派だったのだが、強硬な倒幕派の長州が途中から
薩摩の財力武力目当てに接近し、同盟を結んでしまい、倒幕に移行してしまった。
薩摩は当初から倒幕派だったのではない。