【初心者歓迎】篤姫質問スレ1【途中参戦歓迎】at NHKDRAMA
【初心者歓迎】篤姫質問スレ1【途中参戦歓迎】 - 暇つぶし2ch800:日曜8時の名無しさん
08/07/21 21:44:29.57 yBdYJLqW
>>796
少なくとも記録には一切のこってない。それは
原作の宮尾女史の創作。

801:日曜8時の名無しさん
08/07/21 22:14:05.96 EZhj1q3o
>>797,800
宮尾女史の創作でしたか。
ありがとうございました。


802:日曜8時の名無しさん
08/07/21 22:38:51.44 2Lochkma
将軍が亡くなって、御台所が次の将軍の「母君」になるのは何故ですか? 当たり前ですが、天璋院と家茂は、血は繋がってませんよね。
無知ですみません…

803:日曜8時の名無しさん
08/07/21 22:52:58.52 Ommqxzza
>>802
要するに「養子」という形で当主は継承されるものだからなんじゃないかな。
つまり、家茂は家定の養子なのだから、家定の正室の養子でもあるということ。

804:日曜8時の名無しさん
08/07/21 23:40:20.00 2Lochkma
>>803さん
ありがとうございます!
よくわかりました。
そこで次の疑問が…
もし、将軍が亡くなり正室がいなかったとしたら、次の将軍の母君は不在ですか?
過去には「年下の母君」も存在したのですか?
何度もすみません。

805:日曜8時の名無しさん
08/07/21 23:42:27.30 +xtncjJY
>>804

家継→吉宗 の時の例がある。

806:日曜8時の名無しさん
08/07/21 23:48:06.76 Ommqxzza
>>804
一橋家から将軍を継いだ11代家斉は、養父の10代将軍家治より前に
家治の正室が死去しており、継室もいなかったので、養母はいなかったようだ。
「年下の?」はわからんです。すんません。

807:日曜8時の名無しさん
08/07/22 00:16:29.04 21p5d3kX
>>804
年下の母君は、ちょっとわからないけれど、
年下の叔母君なんてのもいたよ。

吉宗が前々将軍の養女、自分の養父(前将軍、
吉宗が将軍になったときは死亡していたが)の妹になる人と
男女の思いを通じて正室にしようとしたなんてのは有名だね。


808:日曜8時の名無しさん
08/07/22 00:32:19.62 cZNv4J12
京の公家の清閑寺大納言家の娘で、綱吉の側室の大典侍の姪、
大典侍との縁で綱吉の養女になった竹姫のことだろ。

一人目、二人目と婚約者が死亡し、吉宗との醜聞も囁かれたりしたが
結局は島津継豊に押し付けるようなかたちで嫁いでいった。
吉宗との関係は色んな小説やドラマなんかの良いネタ元なってるし
島津家と幕府との軋轢も良く語られるところだ。

809:786
08/07/22 01:14:03.31 ZQKKUxj5
>>791 >>793 >>795 >>799
詳しいお話ありがとうございました!

810:日曜8時の名無しさん
08/07/22 08:47:58.86 E/8qqByq
そういえば、これは「義理の?」ではないけれど、
島津斉彬の曾祖父の重豪の息子、すなわち斉彬の大叔父に
福岡藩を継いだ黒田長溥や南部八戸藩主となった南部信順が
いたけど、彼らは斉彬より年下だったそうだよね。
長溥も信順も重豪の影響を受けて開明派で、斉彬が家督を
継ぐときには一族として発言力があって二人とも兄弟同然で
仲のよかった斉彬を推していたらしい。

811:日曜8時の名無しさん
08/07/22 10:35:50.99 8uGj1aLv
>>805さん、>>806さん
>>807さん、>>808さん
>>810さん
詳しく教えていただきありがとうございました。
前レスで「無知ですみません」と書きましたが、本当に「無知」ですね。勉強になりました。
(思い返せば、歴史は苦手でした…)
みなさん、またおかしな質問をするかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします。

812:日曜8時の名無しさん
08/07/22 23:51:20.74 oR6NUCyy
>>789
なるほど、その解釈なら納得です。ありがとう。
>>792
「あれ」とは?2,3行目も残念ながら意味がわかりません。でもレスありがとう。

813:日曜8時の名無しさん
08/07/23 00:19:21.48 SylceibH
>>792>>812
紀州徳川家が吉宗登場以前は蚊帳の外だったかどうかはわからないが、
8代将軍の後継の時に、下馬評では御三家筆頭の尾張からだったのに
紀伊の吉宗になってしまったことは、尾張家は恨んだみたいだね。
また、尾張家は藩祖以来の血統が断絶してるけど、その後に家斉と
その弟(つまり紀伊系の一橋系)の子が4代連続で半ば強制的に養子を
送り込んできた。藩内ではその3代目ぐらいには尾張分家から慶勝を
と願っていた派と将軍家にごますり派との間で内紛が起きてしまい
幕末まで続いてしまったらしい。この4代の後にようやく慶勝が相続した
(慶勝は血筋の上では水戸系=祖父が水戸斉昭の叔父、母が斉昭の妹)。

水戸家は最後まで藩祖以来の血統を残すことが出来たけど、斉昭が
継ぐときには例によって家斉の子が押しつけられそうになって、
その時は家臣たちが猛反対して斉昭に決まったといういきさつもあった。

将軍家(紀伊系の一橋系)の養子戦略に行き過ぎもあって、なにかと
尾張、水戸がおもしろく思っていなかったというのは本当なんじゃないかと思う。

814:日曜8時の名無しさん
08/07/23 01:04:17.18 kTCW2rVV
>ゆえに滝山は倹約な人かと思えば、贅沢をさせてくれないという理由で一橋派を毛嫌いしていた
>本寿院サイドに付いていた。
>滝山の態度は矛盾している気がするのですが、解説おねがいします。

大奥が水戸を嫌ったのは、江守が大奥女中をレイプし、妊娠させるという事件があったから。
そんな話はお茶の間に持ち込めないので、倹約に摩り替えた。



815:日曜8時の名無しさん
08/07/23 02:13:54.41 SylceibH
唐橋事件がきっかけで大奥は水戸を生理的に嫌うようになったと言われている。
斉昭がまだ藩主になる前の頃の話。その他にもレイプまがいのことがあったとも言われている。
藩主になって海防参与として大奥の倹約を主張したのは本当で、国防のために無駄遣いするな
ということなので真っ当な主張だと思うが、相手憎しで必要以上に強く当たったということは
あったかもしれないと思う。

816:日曜8時の名無しさん
08/07/23 02:31:09.90 GMVxQE2u
 質問

将軍がお隠れになったという噂が
大奥で飛び交っていた時
侍女の一人が『しゅが品薄になっておると聞きます』
ってあったけど
『しゅ』とは『朱』のことか『氷』のことか
良くわからん・・・・

教えてたも

817:日曜8時の名無しさん
08/07/23 02:44:14.07 ThE7qAcI
>>816
「朱」、要は水銀。
このスレの、>698を参照されたし。

818:日曜8時の名無しさん
08/07/23 02:52:53.49 GMVxQE2u
>>817
神!!

(教養がないと時代劇も大河も楽しめない時代になってしまったか・・・
 地デジチュナー欲しいよなぁ。。。ああ、格差って辛いっぺよ)

819:日曜8時の名無しさん
08/07/23 06:32:51.67 gI+sBvtt
唐橋事件は、ゆがんだプライドに支配された誇大妄想狂・大谷木醇堂「燈前一睡夢」の捏造です



820:日曜8時の名無しさん
08/07/23 12:28:01.49 G1QsB4nC
唐橋事件の真偽は知らないけれども、大奥への倹約要求は、
水野忠邦の改革のときからすでにやられていて、それに大奥は頑固に
抵抗してたみたいだね。水戸斉昭はそれを継承したわけだ。
忠邦や斉昭の方が道理ではあるわな。
大奥はまさに既得権を死にものぐるいで守ろうとする利権団体
(特殊法人みたいなものか)だったんだろうな。

821:日曜8時の名無しさん
08/07/23 13:04:31.48 oM1i11gn
>>814
実際に倹約をうるさく言ってたよ
そもそも水戸家御三家といっても貧乏で慶喜の母の有栖川宮王女を迎えるときも
財政がきつくて嫁入支度も質素なものだった
幕末水戸家の君主家来ともどもの質素倹約ぶりは
山川菊栄の「武家の女性」に詳しく書いてある
水戸藩主(慶喜兄)が家来の子どもより質素な服だったことなども。

822:日曜8時の名無しさん
08/07/23 16:02:04.48 /pZfwZ2I
家茂さんは性機能が不能だったのでしょうか?

823:日曜8時の名無しさん
08/07/23 16:04:29.49 /pZfwZ2I
それと、不能であれば早くから回りも気付いていたと思うのですが
(夜伽のときも見張りの人がいたため)
将軍が不能でも一応は形ばかりになっても結婚はしないと
いけなかったのでしょうか?

824:日曜8時の名無しさん
08/07/23 23:04:00.71 SylceibH
家茂さんは、ほとんど出張だったからねぇ

825:日曜8時の名無しさん
08/07/24 09:22:27.86 DGSsuvJ7
高杉「イヨッ、性威大将軍!」

826:日曜8時の名無しさん
08/07/24 13:57:30.24 BGIuwwgg
性機能があやしかったのは家定さんじゃ?

827:日曜8時の名無しさん
08/07/24 22:24:37.48 6OVTFr9z
>>788です。
大奥が一橋派を嫌っていた理由や斉昭が好色であった話まで
滝山の倹約の話から広がって興味深い話、意見等を聞かせて頂きました。
皆さんありがとう。


828:日曜8時の名無しさん
08/07/25 14:41:54.46 +Ym7vjnM
中岡は誰がするんだろか?それとも暗殺シーンはカットか?

829:日曜8時の名無しさん
08/07/25 14:58:10.48 WrT52F3Z
>>828

中岡の撮影は始まっているが、見学した人が顔の知らない役者だったようだ。

830:日曜8時の名無しさん
08/07/26 00:32:06.95 Pbwfgob7
>>828
天原まさみちさんって方です。
ご自身のブログにも中岡姿の写真あり。

831:日曜8時の名無しさん
08/07/26 13:15:29.76 u5kyHrco
西郷さんは、島津斉彬が死んだとき自殺を考えたみたいな
ストーリーになっていましたが、ほんとうにそこまで忠誠心のある
人だったんですか?

832:日曜8時の名無しさん
08/07/26 13:20:22.94 2eViBm0Z
>>831
西郷は自らを斉彬の遺臣と定義するほどの愚直な人
これが過ぎたために久光との悲劇的な確執を生みます

倒幕に燃える久光に「あなたは斉彬様にはなれません」と
このドラマで言うかどうかは分かりませんが、
要はそういう関係になっていきます

833:日曜8時の名無しさん
08/07/26 14:51:08.61 u5kyHrco
>>832
わかりやすくまとめて教えてくださって、ありがとうございました。
久光とはそのような関係になるんですね。
斉彬をとても慕っていた事がわかりました。
ドラマの中でも斉彬は、西郷を要職につかせていたし
西郷的には恩を感じていたのかなと思いました。

834:日曜8時の名無しさん
08/07/26 16:14:52.64 2eViBm0Z
>>833
この点、世渡りはむしろ大久保のほうが上手だったと
言えるでしょうね。

自分の父を島流しにした斉興→久光にあえて取り入って
ドラマで言ってたように「力を利用して」
倒幕を成し遂げるわけですから。

これに対して西郷は、「おゆら騒動」以来、
久光を斉彬の仇と見ていた節がありますので、
今回の斉彬変死も西郷的にはどうにも解せないわけです。
だから殉死まで考えることになる、と。

835:833
08/07/26 17:50:26.00 a7TjqGun
>>834
大久保・・・なるほど。
今日の土スタで大久保のことを『冷徹な人』と言っていましたが
そういう所以があるんですね。
ドラマの中でも権力に対して嫌な思いをする場面も描かれて
いましたね。(西郷と行った先で自分だけ席を外される)

西郷さんは斉彬の死にも疑問を抱いていたんですか。
後継問題もあるし、秘薬を使って殺められた疑惑もあったんでしょうか。
西郷さんは恩義を忘れない人なんですね。

解説ありがとうございました!



836:日曜8時の名無しさん
08/07/27 02:05:08.50 c24KnKcO
西郷は実際に史実でも月照と心中してるし斉彬命だったんだね。
大久保のほうが父親が遠島になったり久光に恨みをだいてもいいのに
感情的にならず理性で割り切って藩主を利用するのはすごいと思う。
そういう理性的なところが利権には関心がなく清廉潔白で同郷人優遇をせず
みんなに平等に接したとかいい方面もあるし、佐賀の乱の江藤新平への処分のように
情け容赦ない面もある。

837:772
08/07/27 21:32:31.86 PRJ+IpVR
>>772
きょう観たら、小松は「殿」と呼んでましたね。
まあ、事実上の「殿」には違いないけど…。

838:日曜8時の名無しさん
08/07/27 22:03:20.00 NUEvjDUu
画面に映らない息子・・・

839:日曜8時の名無しさん
08/07/27 23:03:12.68 uKZKfHkV
幾島がとうとう大奥を去ってしまいましが、実際も篤姫の
側をはなれておいとましたのでしょうか?

来週はまた涙の別れがあるのですね・・・。

840:日曜8時の名無しさん
08/07/28 01:01:57.02 XOx6K6nW
史料では江戸開城の頃も幾島はいたみたいだよ

841:日曜8時の名無しさん
08/07/28 01:12:13.03 XOx6K6nW
近衛家老女の星さんが、いまだに「てんしょういんさん」とか軽く呼んでいるのがちと気になったけどいいの?
篤姫は近衛家の娘だし、官位も従三位じゃなかったっけ。

842:日曜8時の名無しさん
08/07/28 01:23:55.22 SE9YOLyC
それは今年になって見つかった資料で分かったこと。
脚本が書かれた頃の常識じゃない。

「~さん」は公家言葉だよ。上位の人でも~宮さん。


843:日曜8時の名無しさん
08/07/28 07:42:58.57 etp25M1D
その割には「西郷っ」と呼捨てにしていたな村岡

844:839
08/07/28 09:59:07.27 1kf1+Yd6
>>840
ありがとうございました。
篤姫にとっては一番心を許せる人でしょうし
最後まで一緒に居られてよかったです。

845:日曜8時の名無しさん
08/07/28 12:59:43.35 Od4vDfgf
1)天璋院と家茂は仲良かったんでしょうか?

2)実際には家茂の生母も大奥に入ったようですが
大奥での地位は、天璋院と家茂生母はどちらが
高かったのでしょうか?

846:日曜8時の名無しさん
08/07/28 17:00:48.01 YrBdthGp
>>843
西郷は身分も下の下のまたまたしたというほどだもん。
村岡からみたら、ふけばとぶような軽いものだよ。

847:日曜8時の名無しさん
08/07/28 17:04:26.46 YrBdthGp
>>845
1)そういう記録があります。最初は、家茂将軍継嗣に反対だったが
実際にあってみると大変に好感をもったらしく、うまくいっていたという記録がある・・
どこまで真実かは???ですが。幕府側の人間の資料だしね。

2)大奥での地位は、テンショウインが上です。現将軍の嫡母(正式の母)だから。
生母は、たとえ正室であったとしても、将軍家の下のひとつの藩の正室にすぎない。さらに
家茂の生母は、側室じゃなかったっけかな。側室なら、将軍家の下の一藩の側室にすぎません。

848:日曜8時の名無しさん
08/07/28 18:24:01.39 Od4vDfgf
>>847
詳しくありがとうございます。
薩摩出身=一ツ橋派ということで、天璋院にも嫌なイメージを
持っていたのかなと思いましたが、ドラマどおり仲良しの
記録もあるんですね。

家茂生母は側室ですね。
なるほど、あくまでも正式の母は前将軍の正室である天璋院で
立場も上となるんですね。

これから家茂が和宮を迎えて、天璋院との絡みがどのようになるのか
楽しみです!

849:日曜8時の名無しさん
08/07/28 18:28:08.59 Od4vDfgf
正室と側室ということで、天璋院と家定母本寿院ですが
天璋院(正室)、本寿院(前将軍の側室)となりますが
この場合は将軍の実の母なので、本寿院のほうが
立場が上だったのでしょうか?

よろしくお願いします。

850:日曜8時の名無しさん
08/07/28 18:32:34.06 Od4vDfgf
>>849です、連投すいません。
補足ですが、ドラマの中では篤姫が大奥に入ったときに本寿院との対面で
「母上様を下座に座らすわけにはいかない」という風に礼儀を重んじて
本寿院を感激させた・・・というシーンがありましたが、ここからみると
生母といえども側室であれば、現将軍の御台所となる者の方が
立場が上となるのが慣例だったんでしょうか。

篤姫は多くの習慣を変えたというふうなナレーションがあったような??


851:日曜8時の名無しさん
08/07/28 18:34:20.64 YrBdthGp
>>849
いいえ、これも、身分という意味では、テンショウインが上。
大御台所たる、前の将軍の正室はすでに死亡していましたので
篤姫には正式な母である嫡義母はいません。
本寿院は、篤姫が、大奥入りしたときは、まだ下の身分で
篤姫の口ぞえで、身分をあげたのです。それでも
上座は篤姫になるはずで、ドラマはそのへん、いい加減になっちゃっているけれど。

ちなみに、篤姫が、実の姑にあたる本寿院の身分をあげるように
将軍にはたらきかけたことを、本寿院は、表向きは涙をながして
喜んで、できた嫁がきたといったけれど、影では、身分の高いものの
かたくるしい生活がいやで、「余分なこと言って!」といったらしいと
原作にはかかれていますね。

852:日曜8時の名無しさん
08/07/28 18:37:11.23 YrBdthGp
>>850
そう、下座に母がすわるのが当然だったのを、篤姫が上座へどうぞといったのは
ドラマの話ではあるが、異例のこと。
御台所が上、たとえ夫の実母でも側室であるから、下の身分でございますよ。
ただし、母を上の身分にしようと、朝廷からわざわざ官位をもらった例は
5代将軍のときにありましたけれどね。あのとき、正室は影がうすかったのかいなくて、
子供産んだ将軍の寵愛の妻たちは全部側室だったから、ドラマのシーンでは
みな、ケイショウイン(綱吉生母)の下座にいますが・・ケイショウインはのちに
朝廷から地位をもらったよ。

853:日曜8時の名無しさん
08/07/28 18:49:21.54 Od4vDfgf
>>851-852
早速のレスありがとうございます。

>表向きは涙をながして喜んで、できた嫁がきたといったけれど、影では・・・
原作ではそのようなくだりもあったのですか。
嫁姑というのは、いつの時代も難しいものの様ですね。

>篤姫の口ぞえで、身分をあげたのです。
驚きました!よく出来た人だなあ・・・天璋院。
義理の母上さまをそこまでしてあげるなんて。
こんな天璋院だったからこそ、和宮が京風を改めない事なども
はがゆい思いもしたんでしょうね。

正室と側室では、身分にかなり差があるんですね。
子をなさない側室はお部屋様になれないから必死になるとか。
代々の将軍の正室の世継ぎが少ないのも怪しい疑惑とか考えちゃいますw

ありがとうございました。



854:日曜8時の名無しさん
08/07/28 19:18:45.61 UOJ9kVP/
>>851
篤姫が大奥入りした時、本寿院は下の身分で、篤姫の口ぞえで身分をあげた
ってのも原作からじゃない?

実際は、家定が元服した文政十一年(1828)にもう老女上座となっている筈。
家定が将軍となった時には正式に将軍の家族扱い(末席の末席ではあるが)
になってるから、今さら篤姫に身分を上げてもらう必要は無いだろう。
ただ本寿院は身分が上がっても厠に人を入れる事は無く、篤姫も月の時は
そうだったらしいから、その辺りを原作は上手く取り入れたって感じかと。

>>853
将軍生母とはいえ側室が現将軍御台所の下座に座るのは当然で、
篤姫が本寿院に上座を譲ったって記録は見た事はない。
まあ、自分が知らないだけかも知れないので、
出典知っている方いらっしゃったら教えてください。

855:日曜8時の名無しさん
08/07/28 22:22:12.80 XOx6K6nW
酒井美意子(旧前田侯爵家娘)の本に書いてあったけど、
明治になってから徳川家の集まりがあり、慶喜が到着して上座に座っていたら、
そこに慶喜のあとに宗家を継いだ家達(田安亀之助)が現れ、
「わしの座る場所がないぞ」といったらしい。
慶喜は遠慮して上座を譲ったところ、
「いや、いや」
とかいって、ともに上座に座ったという。

ほんまかいな?と思うけどね。


856:日曜8時の名無しさん
08/07/29 00:12:39.09 HVlKYm9v
ほのぼのとしたエピソードだな

857:日曜8時の名無しさん
08/07/29 00:41:38.08 PjpFWchh
明治になってから、本寿院が篤姫を慕う手紙を送っていると見た記憶があるから、本寿院と篤姫は最終的にはかなり仲が良かったのでは?
その辺を上手く見据えた(創作だろうけど)篤姫が本寿院を上座に座らせるエピソードだと思う。
なお、名作のほまれ高い原作だけど、個人的にはかなり違和感がある。
宮尾先生最初の歴史小説で、執筆当時は公開史料も少なかったせいもあるけど。
クレオパトラに30年かけた宮尾先生は「天璋院篤姫」は3年で書いたとインタビューで言っておられるが、
クレオパトラや平家のような最後に滅ぶのと違い、しぶとく生き残っていく篤姫を上手く理解しきれていない気がする。

858:日曜8時の名無しさん
08/07/29 01:03:55.31 1SftUFLM
西郷どんと月照さんはどうして海に飛び込んだんですか?
逃げ道が用意されてたんじゃないんでしょうか?

859:日曜8時の名無しさん
08/07/29 01:38:05.46 BJxj4wJq
今さらですが…そもそも、篤姫が一橋派である島津斉彬の養女だったことを
考えれば、御台所になる→上様に慶喜を推挙、なんて流れは容易に想像できた
であろうに、なぜ御台所として迎えることになったんでしょうか?

860:日曜8時の名無しさん
08/07/29 02:03:51.66 49munRwr
>>859
ドラマ・・途中まで薩摩や篤姫が一橋派であることに本寿院や滝山は気づいていない。生前の阿部が根回しをしていた。

歴史上の説・・・そもそも篤姫は工作員としてではなく、体の丈夫さを期待されて幕府の側から望まれたという説

861:859
08/07/29 02:48:14.86 BJxj4wJq
>>860
ありがとうございます。お世継ぎ騒動のさなか、本寿院らが「おのれ!
とうとう正体を現しおったな~(怒)」なんて言ってるの見て、「ヲイヲイ
…嫁に貰うなら身辺調査しっかりやれよ」と思っちゃったもので。

862:日曜8時の名無しさん
08/07/29 06:23:40.78 9I15W+kj
>>858
周囲が逃げ道を用意していたという話がある。
月照がそれにかかわった人や西郷まで巻き込むことを懸念して
自ら水に飛び込んだということになっていますよ。それを西郷が
月照をしたって自分も飛び込んだ。(僧侶なので悟っていた)

当時の人は、敵の手にかかったり罪人として殺されるより
自ら死を選ぶのが名誉だという美学もあったので、日陰者として
逃げて暮らすより、死を選ぶのはそんなに不自然な選択じゃないと思います。

863:日曜8時の名無しさん
08/07/29 08:50:26.62 JGq0iHJ+
>>859
860さんがすでに述べておられますが、元々薩摩藩からの嫁取りは、
12代将軍家慶の時代に大奥の側から薩摩藩に申し入れがあったんです。
家慶の父・家斉は一橋家から将軍家を継いだ人ですが、ご存じの通りの子だくさん。
世嗣は産まなかったけれど家斉の正室が斉彬の曾祖父重豪の娘・広大院だったので、
その子だくさんにあやかりたいということだったようです。


864:日曜8時の名無しさん
08/07/29 09:50:07.81 zz3Y8guA
>>858
あのくだりがいまいち良くわからなかったんだけど、西郷と月照は結局帯刀の
設定した逃げ道で逃げたの?
小松様にまで類が及んではいけないから、早くお帰り下さいというような
ことを言ってたから、気持ちだけ貰って逃げるのは断ったのかと思ってた。
それとも逃げる時(騒ぎが起こる時)には帯刀はここにいないように、と言っただけ?

史実だと、西郷たちが入水したのは日向へ追放される途中の船上らしいけど。

865:日曜8時の名無しさん
08/07/29 10:02:55.51 /BNwBkHx
そのうち騒ぎを起こす→しかしその夜のうちに送られた

866:日曜8時の名無しさん
08/07/29 12:12:35.12 1SftUFLM
858です。
なるほど~
あの舟のシーンがいわゆる「永送り」だったのですね?

そういう視点でもう一度観てみます。
皆様ありがとう!!

867:日曜8時の名無しさん
08/07/29 13:50:33.98 KhZXYvSV
西郷は、心中と見せかけて「永送り」を実行したわけだよね

868:日曜8時の名無しさん
08/07/29 16:02:42.50 hdTGoNeL
>>867
違う!
永送りと見せかけて心中したが結果的に永送りに成功したのだ

869:日曜8時の名無しさん
08/07/29 23:34:51.49 9I15W+kj
永送りとは・・本当は自分の刀で切るわけですが・・・

他人に殺されるのは非常に不名誉で、自殺するのが名誉な時代だから。
(せんす腹といって扇子を腹にさして切腹の真似して首をきられるように
形だけでも自殺にしてもらえるのが罪としては名誉であった。)
月照が、自分で水に飛び込んだことと、西郷に殺されるのではぜんぜん意味が違うよー。



870:日曜8時の名無しさん
08/07/30 01:24:17.50 uvadFVra
西郷の入水は講談めいた話はいくつもあるが、まあ真相は正直わからない

明治くらいの月照の伝記では、福岡に入った西郷達はいったん西郷だけ国入りし
月照保護を藩に頼みに行く
後から友人でもある福岡浪人・平野国臣が付き添って月照が山伏の格好で関所を突破
国入りを果たすものも藩につかまって二人とも旅籠に軟禁(ドラマでは西郷が捕まっていたが)
結局西郷は藩に保護どころか、追ってきている幕吏に渡すため日向に追放せよと命じられる
薩摩の国境の関はとても怖い所らしく、不審者が抜けよとすれば郷士にボコられて殺されちゃうくらい
つまり暗に抹殺(ドラマではストレートに永送り)を意味しており、とにかく船で脱出するよう(多分西郷が)手配
船中、平野の見事な笛を聞きながら、しばし浮世の雑談をするが感極まって二人でいきなりドボン
すぐに助け出されたが、西郷だけ生き返り、平野に「武士なら切りあいで死ね」と諭される
追って西郷の処遇も決まり(ここら辺やっぱ帯刀クラスの力か)死んだことにして罷免、奄美大島へ
平野も筑前へ追放・・・てのが定番


871:日曜8時の名無しさん
08/07/30 02:00:58.88 edD/tAda
げっ。平野国臣の名が出た。
俺んち、平野国臣銅像のすぐ近くなんだよ。
福岡藩で唯一人といってもいい志士だけど、何ほどのこともできなく。


872:日曜8時の名無しさん
08/07/30 12:46:25.85 qpTnwJCq
>>855・866
全然ほのぼのした話じゃないんだよ。

譲り合ったんじゃなくて
慶喜が先に来て上座に座ってたら
家達が来た、当然上座に座ろうとしたら慶喜が先に座ってて
カチンと来た家達が「わしの座る場所がないな」と言ったら
慶喜がピョン!と飛び上がるようにして上座を譲ったそうだよ
周りの人はいたたまれなかったらしい。

↑確か、慶喜の孫の喜久子妃殿下か喜佐子さんが書いた本に載ってた
酒井さんがちょっと控えめに書いたのか
孫がお祖父様が苛められたから家達を悪く思ってそう書いたかは判らないけど。

でも、家達は常々「慶喜は徳川を終わらせた人間、わしは徳川を興した人間」
と言って慶喜を見下してたらしい。
喜久子妃殿下は家達が臨終し病室を見舞ったら
「とてもすごい形相で亡くなってらしたので、怖くて逃げるように病室を出ました」
と書いている

慶喜家の人には家達は嫌われてたみたい



873:日曜8時の名無しさん
08/07/30 14:19:29.75 fSfqAAOO
今更なんですが、スタジオの撮影ってガラス越しとかで
見学できるんですか?

874:日曜8時の名無しさん
08/07/30 17:44:31.34 edD/tAda
>>872
だから、その話自体がどうにも、ほんとかいな?という感じ。
ほんとうなら慶喜は病的な卑屈さだし、家達に至っては精神を病んでるね。
互いにおかしいよ。

だいたい慶喜は先代だよ、いわば親にあたる。
しかも家達は将軍家ですらなかったわけだ。


875:日曜8時の名無しさん
08/07/30 18:36:33.08 RzsEqqK1
結局、家定は篤姫を1回もぶっ挿さなかったんでしょうか?

876:日曜8時の名無しさん
08/07/30 19:31:40.81 +rep0R6m
>>872
慶喜家というより水戸家そのものが勤皇の家柄ということで
徳川一族から忌避されてきたんだけどね
水戸光圀の時代からだから伝統的なものだな
そもそも日本の勤皇思想の本といってもいいくらいだからな
徳川家にとって朝廷は仮想敵国
水戸藩が嫌われていたのは理の当然

877:日曜8時の名無しさん
08/07/30 20:05:45.07 mxZsv0sC
水戸徳川自体が、将軍を出さないかわりに
時期将軍選定に意見ができ、かつ、第三者の立場で
将軍のまつりごとに苦言を呈して政道を正すための家として
設けられたからね。将軍家に迎合したら役目は果たせないので
常に将軍家にとっては煙たいお目付け役と位置づけられていた・・。
だから、天下の副将軍と名乗るし。
その水戸家の慶喜が、一ツ橋の養子になったからといって
御三家紀伊家をおしのけて将軍になること自体が筋が違うといえば違うねえ。

878:日曜8時の名無しさん
08/07/30 20:08:27.56 4qwsBDma
>>875

家定はED

879:日曜8時の名無しさん
08/07/30 20:13:51.73 Jumj1RRu
ID変わったけど872です

上座をどうたらってエピソードはこうやって語り継がれてるから
事実としてはあったんだろうけど目撃した人間の立場によって印象が違うんだろうね

慶喜家は侯爵家になったけど分家で家達家は本家だし
ずっと静岡で隠居生活からいざ侯爵家になって東京に出ても
調度品も揃えられなくて、本家から借りたりしてたみたいだし
自分は徳川を終わらせた人間って引け目もあって
慶喜は本家に頭が上がらなかったんだろうね。
とにかく本家には遠慮してた、って本にも書いてあった。
加えて>876みたいな水戸嫌いがあったならなおさらだよね。

家達家は広大な土地と本家の面目が保てるだけの十分な地位や財力もあり
自分達が一番!って気持ちも強かったんだろうと思う。

家達邸に住んでた篤姫も晩年は質素な生活と言われてるけども
そんな家に居たからそれなりに恵まれた生活だったと思う
(かつての大奥とは比較出来ないし自分の財産はないけれど)


880:日曜8時の名無しさん
08/07/30 20:25:35.91 Jumj1RRu
そういえば家康の遺言だかなんだかうろ覚えなんだけど

水戸家から将軍を出したら徳川は滅亡するから
絶対に水戸家から将軍を出すな、って遺言(予言?)があったらしいよね。

それも、そういう水戸家の立場から出た事なのだろうか・・?

881:日曜8時の名無しさん
08/07/30 21:05:32.71 0SXQb1WT
>>877
たしか葵三代だったかな、家康がまだ幼い尾張義直・紀伊頼宣・水戸頼房を前にして、
義直・頼宣は将軍を助けよ、頼房は目付をせよ、と言いつける場面があったような
記憶があるなあ。頼房は頼宣の同母弟だから、もともと水戸家は紀伊家の分家的な
扱いだったようだしね。

882:日曜8時の名無しさん
08/07/30 21:24:41.66 0SXQb1WT
>>880
うん、そういうのどこかで読んだ気がする。
俺の記憶では家康と言うよりもむしろ尾張義直の話として、義直が非常な勤皇家で、
家訓として徳川と天皇が手切れになったら天皇に付けと言い残したというのだった気がする。
水戸光圀は伯父の尾張義直を大変尊敬していて、その影響もあって水戸学が始まったとも。
幕末の尾張慶勝が早い時期から新政府軍にくわわったのもその家訓のためとも言われているみたい。
尾張の分家から本家を継いだ慶勝は血筋の上では父系・母系ともに水戸家だから
尚更だったのかもしれないね。

883:日曜8時の名無しさん
08/07/30 21:59:25.84 mxZsv0sC
>>881
尾張藩祖の義直は、関が原直前にみごもっていて(御竹の方だったけかな)
関が原のちに生まれたのは、お万の方に二人の男児(紀伊と水戸)
お梶の方に夭逝した姫だったと思う。
あまりにも関が原以前と以後の妻子(側妾と子供)に対する態度が違うこと、
末子の水戸に対する地位が異例だったことから、関が原かその直後で家康は
死亡して影武者になったのではとするような説まであるくらい。
そういう秘密の文書が徳川家には伝わるというような都市伝説も時代劇のテーマになっているし。

それだけ、水戸の立場が異質なものだったのだとは思う。

884:日曜8時の名無しさん
08/07/30 23:14:32.90 edD/tAda
慶喜家が実際に分家というか、別家をたてるよう勅令があったのちは宗家と同格の公爵家だよ。
分家じゃなく別家だろうね。
それまでは自ら謹慎を解いてないから、宗家の先代(隠居・隠居慎み)という位置づけだろうと思う。
それまで宗家から経費が出ていたのはその通り。隠居だから当然だろう。

あと15代将軍にして徳川宗家の当主だった慶喜だよ。
つまり家達の後継指名は慶喜自身がやってるはず。
家達の態度はどう考えてもおかしい。
単なる馬鹿だろうね。
江戸を無血開城して徳川家を守ったのは慶喜の恭順があったればこそ。





885:日曜8時の名無しさん
08/07/30 23:15:10.70 pWhgUFw/
もし、前レスあったらすみません。
一応探したのですが、探し方が悪かったのか、見つかりませんでした。
月照と西郷は、本当に自殺しようとしたのですか?
そして、西郷だけ助かったのも事実ですか?

886:日曜8時の名無しさん
08/07/30 23:37:15.74 2fNLQ4Iu
>>885
↓どぞ。参考になると思います。

URLリンク(garouten.blog.drecom.jp)


887:日曜8時の名無しさん
08/07/31 00:24:27.44 DlAisA1l
>>884
篤姫の幼児亀之助を、徳川を滅ぼしたのは慶喜じゃ~慶喜が家茂を毒殺したのじゃ~
と洗脳したというのは、冗談でなくマジなんだろうね。

家達はふつうに人相悪いんだけど、ドラマでは美少年・家茂の中の人がやるんだってさ。
顔の美醜緯線に、気持ち悪い発想のキャスティングだな。


888:日曜8時の名無しさん
08/07/31 00:57:07.14 DGj0Vx/U
うん、篤姫は慶喜の事が大嫌いだったから
亀之助に慶喜の事を悪く言った可能性は高いと思う

幼児の時から慶喜の悪口を聴かされてたら
いくら先代でも馬鹿にするようになると思うよ

お母さんがお父さんの悪口を言って
子供がお父さんを馬鹿にするようになるレベル



889:日曜8時の名無しさん
08/07/31 15:25:05.99 Rzkb6ui4
>>880
私は天海僧正の言葉と聞きました。

890:日曜8時の名無しさん
08/07/31 15:38:31.11 YBNwxY2r
>889
ああ!そうですね
予言やら呪術といったら天海僧正ですよね。

すっきりしました。
やっぱり天海僧正の力はすごいですね

891:日曜8時の名無しさん
08/07/31 15:41:48.00 dgyaOsiZ
徳川幕府を正当たらしめるために朱子学使った時点でその危うさに気付いてたんじゃねーの
水戸とかかんけーなく家康ざまあwだな

892:日曜8時の名無しさん
08/07/31 16:07:17.71 Xf9MojQo
徳川幕府の名のもとで200年以上も平安な世が続いたんだから
ざまぁも何も無い気もするが

893:日曜8時の名無しさん
08/07/31 23:09:10.73 Mhh4wAah
>>886さん
>>885です。
パソコンがない貧乏人なので、携帯から見れなかったら「申し訳ないな」と思っていましたが、
よくわかりました。
ありがとうございました

894:日曜8時の名無しさん
08/08/01 02:30:19.92 B9+INPDL
慶喜の将軍時代に、大奥のコストカットを図って篤姫・和宮と喧嘩したらしいから、
篤姫が慶喜を嫌っても不思議ではないけど、そもそも篤姫の生前は慶喜は謹慎状態
だし、世情も士族の叛乱や自由民権運動(これも一種の反政府運動)と騒がしいから、
反政府の頭目に祭り上げられる危険が想定しうる家達に変な疑いをかけられぬよう
慶喜と仲良くするなと言い含めるのは、好き嫌い以前に政治的判断としては当たり前だと思うが。

895:日曜8時の名無しさん
08/08/01 04:08:59.55 j/msyp92
>>816-817
いまさらだけど総合見たときには字幕とか何も無かった気がするんだが
土曜の再放送を録画しておいたら画面に字幕で
「朱(防腐剤)」というテロップが入ってるのを発見。
さすがにわかりにくかったから再放送のときに入れたんだろうか?
単なる見落としだったらゴメン。

>>841-842
この場合の~さん呼ばわりはむしろ敬称ですね。
お寺さんとかお揚げさんとか、いろんなもんにさん付けするw

>>853
> 代々の将軍の正室の世継ぎが少ないのも怪しい疑惑とか考えちゃいますw

五摂家とかから格好つける形で一応正室を立てはするけど、
実際は身体がひ弱だったりして子産みマシーンには適さない人が多かったかも。
あとは誰かさんの遺言だったか、公家の血を徳川に入れちゃならんとかいう名目で
長年にわたってゴニョゴニョ・・・という話もある。
過去に制作された大奥ドラマでも、正室には堕胎薬などを飲ませ続けて
子を産めないようにしたとか、そういう形で何度も描かれてきてたような。
みんな考えることは同じってことでw

>>857
個人的にはクレオパトラも微妙だったからなあ。

896:日曜8時の名無しさん
08/08/01 04:18:45.38 j/msyp92
>>860>>863
輿入れ前の名前「篤子」も広大院にあやかって命名されたものらしいですね。

>>864-865
いや、小松さんは断られて(´・ω・`)ショボーンだ。
私も一瞬見逃してアレ?ってなったから再放送で確認したよ。

>>875
本当に脳性マヒとすると・・・おセックルは大変でしょうね。
3人の歴代正室も側室も(この人は看護婦のようなものと言われているが)
一人も懐妊してないし。

897:日曜8時の名無しさん
08/08/01 16:19:56.15 5nvf6oC+
>>871

わが胸の 燃ゆる思いに比ぶれば 煙は薄し 桜島山

の一首が有名
(私の胸の国を思う燃え滾るような心に比べれば、薩摩の国や人々の心はまだまだ情熱や真心が足りない)

おい、薩摩がけなされてるぞ(笑

898:日曜8時の名無しさん
08/08/02 14:05:07.36 hObsmN/h
見忘れた。
歴史的にどこまで行ったか、重要な変化教えて下さい。
めんどくさいなら、慶喜の動きだけでも…
お願いします!

899:日曜8時の名無しさん
08/08/02 23:18:31.71 lzyDgdMO
今回、慶喜は動きなし

900:日曜8時の名無しさん
08/08/02 23:20:17.48 9aFwfR4D
煙草吸ってましたよ

901:日曜8時の名無しさん
08/08/04 11:13:00.19 qZNtgo2Z
幾島は一橋派だったのにどうしてお咎めがなかったのですか?

902:日曜8時の名無しさん
08/08/04 12:50:34.75 ZLH9s37u
>>901

一橋派ということだけでは罪は問われない。

実際に井伊が取り締まったのは、水戸に下された勅状に関わった人と
不時登城した大名に関係のある人だけ。
それにドラマでは引退した幾島だが史実は大奥にずーっと居座っていたので手が出せなかった。

903:901
08/08/04 16:28:39.97 NG4/v+RN
ありがとうございます。
不時登城ってなんですか。wiki見ても良くわからなかった。←バカ
厨でスミマセン

904:日曜8時の名無しさん
08/08/04 17:09:07.80 ZLH9s37u
>>903

江戸に入る大名は江戸城に通勤するんだけど、
一度に来られると入り口が混乱したり食事の世話がたいへんなので通勤日を決めていたの。
緊急時〈地震とかね〉以外で通勤日じゃない日に城に勝手にやってくるのが不時登城。

来るほうは緊急だと思ったんだけど、来られるほうは違反と判断したわけだ。

905:日曜8時の名無しさん
08/08/04 17:09:34.52 fKsaKNBd
>>903
当時の大名は家格等により定式登城日が決まっていた。
この日には必ず登城しなければならないことはもちろん、逆を言えば
この日以外は勝手に登城してはいけないことになっていた。
で、そういう定式登城日以外に許可無く登城することが不時登城。

906:日曜8時の名無しさん
08/08/04 17:18:22.79 NG4/v+RN
>>904-905
ものすごーく良くわかりました。
流石だなあ
ありがとうございます

907:日曜8時の名無しさん
08/08/04 20:47:47.24 dJM0XtZC
村岡が詮議されるとき、篤姫の花嫁衣裳を着ていましたが
これは史実でしょうか?

908:日曜8時の名無しさん
08/08/05 09:29:11.84 w0ZTcnnC
んなわけねえwwwwwww

909:日曜8時の名無しさん
08/08/05 10:17:09.30 BkLdlWPu
勝海舟と天障院が恋愛してたって史実なんでしょうか。

910:日曜8時の名無しさん
08/08/05 10:46:52.86 2vI8iOk/
全部勝海舟の法螺だったそうだ。
このドラマは1%の史実と99%の虚構で成り立ってる。

911:日曜8時の名無しさん
08/08/05 14:24:37.03 p/h0rOvN
>>901
篤姫の側近だったからです。

912:日曜8時の名無しさん
08/08/05 22:09:58.21 FqsnOg1f
>>909
勝は世間知らずの篤姫を吉原とか連れて行って芸者遊びとかしたらしいよ

913:日曜8時の名無しさん
08/08/06 01:02:06.34 MrH4IWau
天璋院をダシに女遊びしようという腹づもりだろうなw

914:日曜8時の名無しさん
08/08/06 01:18:23.50 QWOZynvf
それよりも、欲求不満の若未亡人を相手に遊んだほうが面白そうだwww

915:日曜8時の名無しさん
08/08/06 10:49:31.77 fSEM/f9b
>村岡が詮議されるとき、篤姫の花嫁衣裳を着ていましたが
>これは史実でしょうか?

これは本当
天皇や公家衆への見せしめで死罪になる予定だったんので
御台所の持ち物を見に着けて厳しく責められるのを防いだ
がなければ、拷問されても当然な立場なので




916:日曜8時の名無しさん
08/08/06 10:52:28.56 pMQar7kf
静岡の有名なスレおじいさんよしのりさんですか?

917:日曜8時の名無しさん
08/08/06 17:01:56.15 qWonX2xf
>915
えーと、ソースは?


918:日曜8時の名無しさん
08/08/07 11:27:30.87 dyZvqspZ
篤姫と家定はなぜ夜の夫婦生活がなかったのですか?

919:日曜8時の名無しさん
08/08/07 17:29:14.91 NfilOE12
インポテンツ

920:日曜8時の名無しさん
08/08/07 17:55:02.62 WERzuaWM
前回の篤姫を見られなかった
おれに展開の解説求む

921:日曜8時の名無しさん
08/08/07 18:29:24.72 cqIg5pXy
幾島去る

922:日曜8時の名無しさん
08/08/07 18:31:58.19 7b5uk+da
>>919
ありがとう。

923:日曜8時の名無しさん
08/08/07 19:48:31.78 JTJjkYcv
次スレから
このドラマは実在した篤姫その他とはいっさい関わりありませんというテンプレ入れましょう
初心者さんが誤解しないようにね

924:日曜8時の名無しさん
08/08/07 20:36:48.05 PFun+csk
>>884
史実だとしたら家達は最悪だな。それもこれも篤姫の無分別な洗脳教育の賜物か……。
そういえば原作では和宮が徳川家の集まりにやってきたときも家達が目上の者の態度をとって
後からお付のひとが、宮様に対して無礼だからと忠告したら
世が世なら自分は徳川家で1番偉い、だから和宮よりも自分の方が偉いと言い切って
それをきいた篤姫が、相手が皇妹であろうと毅然とした態度をとっている家達に
立派に育ってくれて感激みたいなシーンあったな

ぶっちゃけ、どこが立派だよ。こんな糞ガキ将来ろくな人間にならないと思った。
形式上、家達の祖父に当たる家茂ですら妻である和宮に対して下座の行をとっていたというのに。
徳川時代でさえ内親王>将軍だった。家茂はそれをわきまえていたのに。
まして幕府はもうとっくになくなって徳川家なんて一華族に過ぎない立場じゃない。
時代を見極めずに将軍になってもいない人間が本来なら自分が権力者だったなんて
傲慢な思想をもって大きくなってるのを自分の教育の賜物だと感激している篤姫の馬鹿さには呆れた。
これがもし史実だったら篤姫は救いようの無い馬鹿だと思ったもんだ

925:日曜8時の名無しさん
08/08/07 21:41:25.49 oyM4dFst
和宮が京都に帰らず、家達を育てる苦労をしているなら説得力もあるが。
彼女はそれをしていない。本来、彼女がその役目を果たしたなら
篤姫が骨を折る必要もなく楽隠居できただろう。
努力をせず傍から見ているより、批判されても必要な行動をとることがどれだけ大変か。


926:日曜8時の名無しさん
08/08/07 22:15:04.37 hubIbuTm
>>924
>世が世なら自分は

所詮、タラ・レバだ。
DQNの発想だよね。

927:日曜8時の名無しさん
08/08/08 00:42:40.20 E3lm0mM8
>>877
>だから、天下の副将軍と名乗るし。

副将軍というのは、斉昭の流したデマだと読んだことがあるよ。

水戸黄門漫遊記を流行させたのも斉昭。
講談師に金をばらまいて、水戸黄門漫遊記を創作させたようだ。

慶喜への期待を盛り上げるために、いろいろやったということだね。


928:日曜8時の名無しさん
08/08/08 00:45:51.56 E3lm0mM8
>>884
>つまり家達の後継指名は慶喜自身がやってるはず。

指名したのは家茂だよ。
しかし、政治的に大変な時期なので、慶喜を臨時に将軍にした。
家達が元服するまで幕府が持ったら、家達に位を譲っていたはず。




929:日曜8時の名無しさん
08/08/08 11:45:41.76 zmSxmRpD
>>924
しかも「宮も大人になられたww」と上から目線で悦に入るおまけつき
>原作篤姫

確かに和宮は「大人」だよ、凄まじく。
史実の篤姫が亀之助の養育引き受けたのって、徳川新当主をアンチ慶喜に仕立て上げるための
策略だったんじゃないの?


930:日曜8時の名無しさん
08/08/08 12:05:29.43 nUWPvovB
聞けば聞くほどロクなもんじゃねーな篤姫って女は。

931:日曜8時の名無しさん
08/08/08 12:19:43.99 aERcdV9G
>>925
あのなあ和宮にそんな義務はないぞ
皇室>宮家>華族って時代に
皇室の人間相手に非礼働くなんてただのキチガイだぞ
和宮はあくまでも皇室の人間で
明治天皇ですら叔母だからと敬う相手
家達なんか義理とはいえ親戚じゃなかったら
同席もままならんほど身分の差がある

932:日曜8時の名無しさん
08/08/08 20:00:32.93 v/655Hhm
>>918
史実の家定は障害者らしい

933:日曜8時の名無しさん
08/08/08 20:19:33.62 gqRjo+MQ
>>929
大人になられた?

肝心の主人公が全然大人になってねえぞ、おい!
和宮を下座に座らせて孝明天皇の怒りかったこともう忘れてるじゃねえか
篤姫って人間は教訓とは無縁なんだな
自分が正しいと死ぬまで思い込んでた痛い人間なだけかよ

934:日曜8時の名無しさん
08/08/09 04:26:48.23 vqtSgpXR
小説内の台詞に、そんな憤らなくても・・・

935:日曜8時の名無しさん
08/08/09 04:52:10.15 cWR/+r/k
原作者の宮尾が篤姫を書いたころは史料が少なくて苦労したらしいし
そうとう脚色や創作が入った宮尾版篤姫だし、それを田渕が自分流に勝手に
脚色してるから史実とは相当かけ離れてるんだろう。

936:日曜8時の名無しさん
08/08/10 23:02:54.72 mpFIIGZt
夏厨がうざすぎる

937:日曜8時の名無しさん
08/08/10 23:20:28.40 scJL3NCY
夏厨いいたい厨がうざすぎる

938:日曜8時の名無しさん
08/08/10 23:47:45.20 t+5sD27b
今年のこのスレのレベルが低すぎるだけ。

939:日曜8時の名無しさん
08/08/10 23:47:47.25 1/100+D0
>>937
夏厨乙w

940:日曜8時の名無しさん
08/08/11 04:53:41.96 eO2//K4W
ちょっと質問なんだけど、「せいちゅうぐみ」の漢字表記って「誠忠組」で
いいの? 『翔ぶが如く』では「精忠組」だったような気がするけど。

あと忠教(久光)の子の薩摩の新藩主の名前って、「忠義」でいいの?
これも『翔ぶが如く』だと幕末段階では茂久で、維新後に「忠義」に
改名したようになっていたけど。久光のほうはあまり知られていない
初名「忠教」で出しているのに、ちょっと不思議に思った。

941:日曜8時の名無しさん
08/08/11 06:51:05.33 IuuFj4Il
>>939
季節を超えた真性の厨房乙w

942:日曜8時の名無しさん
08/08/11 06:55:38.08 mTYjr8k3
>>941
sageは半角小文字でいれないと効果無いですよ。

943:日曜8時の名無しさん
08/08/11 15:28:06.96 oB4Mczql
途中参戦者です。
有村次左衛門と誠忠組の人たちとの関係が分かりません。
薩摩の人間ということは過去交流があったのですか?

944:日曜8時の名無しさん
08/08/11 15:39:57.01 sOoLG3Pu
>>943

最初の頃、まだ篤姫がおてんば姫で周囲の反対をよそに
下々の者と付合っていた時代に面識があります。
篤姫が自宅の台所から勝手に持って来たカツオを食べてました。

その人たちが誠忠組の中心になってます。
有村は三兄弟で、長兄が誠忠組のメンバー。
弟二人が井伊襲撃に参加しました。



945:日曜8時の名無しさん
08/08/11 16:19:52.64 8V6Zc2/e
>>944
ありがとうございます。
ということは、薩摩で時期を待ってた他のメンバーとは別に
一人(二人か)でさっさと都に上り、桜田門外の変に参加したということでしょうか?

なんかアホな質問でスイマセン。

946:日曜8時の名無しさん
08/08/11 17:00:39.51 8swLcRLd
>>931
お前は身分制度至上主義だな
だからそこが武家の思考とかけ離れてると言ってるんだよ
例えどんなに身分が高かろうが皇妹であろうが、嫁いだからには婚家の色に染まり
そのために尽くすべし、というのが当時武家の考えだろ
和宮は正式に徳川の人間になっていたのだから
家達の養育をする義務がないなんてことはない
身分がどうであれ、徳川の人間として、一人の女としてどうなんだってことだよ
だから幕末維新後の江戸の人々に良く映らなかったんだろ

947:日曜8時の名無しさん
08/08/11 17:30:30.98 oAVwEcRM
>>946
おまえは日本の歴史知らないんだな
日本の有史以来皇女は臣下に嫁いでも皇室の人間と決まっている。
そのしきたりを天皇家は二千年守ってきたし
皇女を嫁として向かえた家もきちんと従ってきた
それに逆らったのは徳川家だけ(それも厳密にいえば大奥の女だけ)
徳川もあくまでも天皇家の臣下
自分達の家庭のしきたりを武家や公家相手に押し付けるのはいいだろうが
主君である天皇家に対して行うのはただの不忠
あっちは二千年の歴史と伝統を持っている
そのルールを守るのは当然だし、臣下もそれを遵守するのは当たり前。
天皇家に仕える人間なのに、武家だから例外なんてことはない
武家だろうが公家だろうが、天皇家の僕と言う立場は同じ
まして和宮は内親王宣下を受けている
臣籍降下したわけではない人間に、嫁したら皇族じゃないと思うほうがおかしい

948:日曜8時の名無しさん
08/08/11 17:40:51.30 oAVwEcRM
そもそも

だから幕末維新後の江戸の人々に良く映らなかったんだろ >>

これはおまえ一人独りよがりだろ
ちゃんとした資料を元に話せよ。
和宮は家茂死後明治天皇から京に戻るように言われている
しかし徳川家存続が決まるまで江戸にのこって骨をおってやった
徳川の嫁としての務めは十分果たしている。
武家の中でしか通用しないしきたりと
天皇の言葉とどっちが重いかは議論する必要も無い。
それを踏まえて、大局を乗り切るまで徳川家に添ってやったんだから
これ以上何も望むものはないだろ
役目果たした以上は、天皇の言葉に従って帰京する
見事としか言いようが無い行動だ


949:日曜8時の名無しさん
08/08/11 17:55:49.80 TEZhoSNZ
>>918
将軍家定と篤姫の間に夫婦生活がなかったと推測される理由は

家定がもともと障害者だったことによる。
アメリカ公使タウンゼント・ハリスの日記によると、
家定が江戸城においてハリスを引見した折の様子として
言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動をとったとある。
これは脳性麻痺の典型的な症状のひとつである。

大河ドラマのストーリーとは大きく異なるが、
篤姫も最初から健全な夫婦生活は期待できないことを
周囲から言い含められていたことと思われる。

950:日曜8時の名無しさん
08/08/11 20:24:23.30 tP09epqr
>>945
斉彬時代から、江戸詰の藩士の中に水戸の尊攘派と交流を持っていたのがいた。
その集まりで本来は井伊暗殺後、襲撃犯と薩摩から脱藩の有志が合流して京・大阪で蜂起する計画だった。
しかし、ドラマでやったように藩主の告諭で薩摩国許の同士は脱藩中止。
つまり襲撃犯から見れば日和って脱落したことになる。
江戸にいる仲間にも国許へ戻るように命令が下される。
しかし有村兄弟だけが暗殺計画に残留し、下の次左衛門は襲撃に参加。
真ん中の有助は暗殺成功を見届けて水戸の同士と上方へ向かう途中で捕縛される。
そのまま薩摩に連れ戻され、幕府とゴタゴタする前に藩により切腹させられる。

ちなみに有助の顛末は来週ドラマでもやるようだ。



951:日曜8時の名無しさん
08/08/12 12:02:20.49 /pT/yiUg
>>950
なるほど~、よくわかりました。ありがとうございます。

952:日曜8時の名無しさん
08/08/13 01:01:12.66 BJmdsDdC
>>946
単に歴史人物への個人的好悪で和宮を非難しているようだけど

和宮は「御台所」という呼称も拒否しているし、
徳川の人間になる必要もそもそも無い立場が許されていたのでは。
宮の意志をうけて議論もされ「御台様と呼んではならない」、
なんて正式なお触れが出たんだものね。
だいたい「降嫁」だよ。
その「嫁いであげましょう」にいたるまでの条件闘争も激しかった。
生母の実家で養育されたとはいえ、「内親王宣下」を受けた格式の和宮に
武家の慣習を押し付けるのは論外なのでは。



953:日曜8時の名無しさん
08/08/14 06:08:57.23 g2apNPOx
皇族とかきもいやつらは出てくんなって感じだな
興味ねーから大河篤姫では一話でとっとと退場願う

954:日曜8時の名無しさん
08/08/14 08:09:40.91 i3jk739D
>>952
んだからね、「武家の慣習を押し付けるのは論外なのでは」ってのと「徳川に嫁いだのだから」って
のと2つの考えが実際にあったからこそ、大奥で確執が発生したわけでね。。。
格式重視と個人的好悪ってのもどちらが正論かも関係なく、軋轢が現実にあったわけだよ


955:日曜8時の名無しさん
08/08/14 08:44:17.42 z8iGD+Rn
そこが見所だからおもしろいんだと思う。幕末大奥ものでは公家と武家の異文化の
文化摩擦を描くのが常。
鎌倉時代から天皇と将軍の2元政治が700年も続いていて、それを1元化して
古代のように天皇のもとに結集させたのが王政復古で明治維新。
日本史のなかではつねに2つの文化が拮抗し合い多様性があるから文化が豊かでもある。

慶喜も母親は宮家出身で刺繍や絵の趣味のたおやめぶりもあり、父親が武家出身なので
狩が好きで弓も引くますらおぶりもある。
公家と武家では慣習やしきたりが違うから軋轢があるのは当然。
「太平記」でも尊氏と後醍醐天皇の対立を描いていた。その女版だろう。



956:日曜8時の名無しさん
08/08/14 09:54:52.30 lNmDhrQf
さーや様も内親王宣下を受けているの?

957:日曜8時の名無しさん
08/08/14 10:21:45.39 e6BI8zuX
明治以降は天皇の直接の子には生まれた時から親王・内親王。
傍系となるごとに王・女王に格が下がるんじゃなかったっけ。
ちなみに女子は結婚で皇族から離脱。よってさーやさんは元内親王。

和宮当時は婚姻による皇籍離脱はないので
一生涯皇族(内親王もまま)で将軍様より位階が上。
当時の日本では和宮より位が上の人物は
孝明天皇と姉の敏宮の二人だけ、
ほかに立場上礼をしたのは天皇の女御だけ。

958:日曜8時の名無しさん
08/08/14 11:30:56.06 52k2J5RM
それで、
和宮さんは、家茂とセックスしたんですか?
高貴で尊いお体に、下賤な東夷のペニスを突っ込まれることはあったんですか?

959:日曜8時の名無しさん
08/08/14 12:07:05.61 15Ktd6Ca
>>958

最新の和宮の評伝では、セックル禁止だったので御内証を立てたということになってる。

960:日曜8時の名無しさん
08/08/14 15:34:20.59 52k2J5RM
>>959
それでは、欲求不満でヒスになるのも無理ないですね。
御内証とは、下々が言うところのクリちゃんのことですね。わかります。

961:日曜8時の名無しさん
08/08/16 21:21:46.76 dv+kHa4N
>>957
なーるほどな
家茂と和宮との間に子ができていたら
その扱いもヤヤコシイことになってたんだろうな

962:日曜8時の名無しさん
08/08/17 13:45:28.50 VVkiZWmU
もともとお飾り的に嫁していた五摂家出身などの歴代の嫁さんたちも
誰かさんの「皇室の血を徳川に入れちゃなんね」との遺言もあって
いろいろ妨害されて子供作れなかった人ばかりだもんね。


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