09/09/27 23:35:15.78 iJMRVNI5
地震発生日に大阪で第4回日米都市防災会議が丁度開催されており
米国から来日して大阪に宿泊していた多数の米国人地震学者が被災地に向かったという事実は果たして偶然なのだろうか?
当時の日米関係は緊迫しており、米国は反日的なクリントン政権で、日本に政治的圧力をかけ続けていた。
この背景を考えるならば、日米都市防災会議の大阪での開催日にあわせて地震兵器で神戸が攻撃された、
それは「言うことを聞かないならば、次は首都圏だ」という米国政府からの対日脅迫であったという可能性はあり得ると思うのだ。
日米都市防災会議が大阪で開催されるのは1995年が初めてであった。
大阪の近郊で活断層が動いて大地震が起きる日にたまたま、
日米両国の地震学者が集まる日米都市防災会議が大阪で開催される(しかも初日)可能性は、
大阪近郊の大地震の頻度が百年に一回として三万六千五百分の一しかないのである。
『拒否できない日本』 ―アメリカの日本改造が進んでいる―
URLリンク(www.ihope.jp)
阪神大震災と建築基準法改定の闇
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
アメリカは木材の輸出大国で、日本への輸出量を増やしたいので、日本の基準を緩和せよと圧力をかけていたそうである。
阪神大震災の前から、アメリカは年次改革要望書も(日本語で)大使館のホームページで公表して、
日本は建築基準法を改訂して、もっとアメリカ木材を使うようにしろと交渉(?)を続けていたという事実は動かしようがない。
そういう日米のやりとり、ないし圧力があるさなかに、なんとアメリカに都合良く「大震災」が起きた!