09/06/22 16:48:50.55 c/WcGouz
パソコンとインターネットが登場して、ハンドルネームによる身元隠しの発言が可能になった結果、明らかに若者たちの資質が変わったように思える。
人間が誇りを失い、卑劣を厭わなくなった。ネットにおける卑劣文化のようなものが成立してきていると思う。
人を根拠もなく非難し、罵倒し、不快な気分にさせて自己満足する愚かな若者が増えた。人の苦しみが自分の喜びであるかのようだ。
まるで人生をネットのゲームのように捉え、何の価値もないルールや形式ばかりにこだわる。論争を見ていると、言葉尻を捉えた揚げ足取り、
自己正当化の連続で、まるで朝鮮儒教の果てなき不毛論争を見ているかのようだ。
ネット上で配布されている写真を引用すると、たちまち重箱隅愛好家同盟が登場し、「この写真はリンク表示が必要なのにやっていない違法引用だ」とか書き込んでくる。
こんな手合いは、人が我慢できなく立小便をしているのを見つけると、いちいち「軽犯罪法1条何号違反だ」と指弾せずにはいられないのだろうか?
自分がやむをえず立ち小便をする事情ができることなど何の考慮もしてなさそうだ。
筆者の印象では、まるで江戸時代の代官様のように、他人を見下すようにアラを探して指弾するという姿勢が共通している。
「アンタは何々が間違っている」と偉そうに決めつけたがる。
こんな手合いは、普段、学校や会社で、いちいち細かい指図を受けて鬱憤がたまり、誰かをやっつけることで晴らそうとしているのだろう。
そのくせ、人間として守るべき本質的な道義性について、ほとんど無関心になり、屁理屈ばかりを並べ立て、人を理由もなくやっつけても何の罪悪感も感じない。
どんな卑劣なことをしても反省しない。
これらの傾向は、インターネットを利用したコミュニケーションが普及してから生まれたものだ。
明らかに、身元を隠して勝手なことを書いても、誰からも指弾を受けないですむ現在のシステムが、若者たちに著しい道義性の喪失を作り出した。
我々の若い時代は、身元を隠して、まともにコミュニケーションすることなど不可能だった。それが許されるのは、せいぜい落書きくらいで、だから、
文化財や観光地ではそんな類の落書きに溢れていた。
しかし現実の社会で、何か発言しようとすれば、身元の信用度を前提に評価されることが普通だった。だから、適当なこと、
無責任なことを言えるはずもなかった。そういうことの好きな人たちもいたが「ホラ吹き」などと評価されて、誰からも相手にされなくなった。
筆者のホームページが、とりわけ荒らしや炎上に遭いやすい理由の一つも、筆者に権威が存在せず、世間の常識から乖離したことを主張する傾向があるからで、
「こんなヤツはホラ吹きにちがいない」と短絡的に決めつけて荒らし行為を行う者が多いのだろう。
それを面と向かって言う必要もなく、身元を隠して発言できる機会があれば、思いつきで勝手なことを書いてみたくなるわけだ。
筆者の主張に疑義を感じる者であっても、正々堂々とメールをよこすなら、懇切丁寧に応じてできるだけの説明努力をして誤解を解くようにしてきたつもりだが、
ネットの卑劣文化を当然と受け入れている人物による非難落書きに対しては、削除以外の手段はない。
ネットの卑劣文化が何をもたらすのだろう?
>ネット上で配布されている写真を引用すると、たちまち重箱隅愛好家同盟が登場し、「この写真はリンク表示が必要なのにやっていない違法引用だ」とか書き込んでくる。
違法引用には違いない。無視すればブログ閉鎖になるぞ。尼は分かっているのか?
>これらの傾向は、インターネットを利用したコミュニケーションが普及してから生まれたものだ。
>ネットの卑劣文化が何をもたらすのだろう?
自分が一番インターネットを利用したコミュニケーションの恩恵を受けているくせに何言ってんだ。