09/01/08 11:24:51.38 JCdMJ3hs
地震発生日に大阪で第4回日米都市防災会議が丁度開催されており
米国から来日して大阪に宿泊していた多数の米国人地震学者が被災地に向かったという事実は果たして偶然なのだろうか?
当時の日米関係は緊迫しており、米国は反日的なクリントン政権で、日本に政治的圧力をかけ続けていた。
この背景を考えるならば、日米都市防災会議の大阪での開催日にあわせて地震兵器で神戸が攻撃された、
それは「言うことを聞かないならば、次は首都圏だ」という米国政府からの対日脅迫であったという可能性はあり得ると思うのだ。
日米都市防災会議が大阪で開催されるのは1995年が初めてであった。
大阪の近郊で活断層が動いて大地震が起きる日にたまたま、
日米両国の地震学者が集まる日米都市防災会議が大阪で開催される(しかも初日)可能性は、
大阪近郊の大地震の頻度が百年に一回として三万六千五百分の一しかないのである。
この可能性の低さからも、私は地震兵器の存在を疑っている。