06/04/22 11:15:42.41 kujjwub70
強制連行の金さん「厚かましい日本から謝罪を受けることは難しそう・・・」
「日本、怨恨の前に謝罪どころか、また無理押し」
1922年に慶尚北道浦項市杞渓面で生まれた金さんは、1941年7月に突然入ってきた
日本警察によって理由も知らないまま、長生炭鉱に連れて行かれた。
水没事故が発生した1942年2月3日の午前9時半頃、金さんは前日の午後5時から続いた
16時間の採炭作業を終えて、宿所に帰る途中だった。
日本側は、この事故で亡くなった炭鉱労働者は、韓国人徴用者133人を含め合わせて183人
だとの報告を行った。しかし金さんは、いつも200人以上が採炭作業をしていたので、犠牲者の
数は200人を超えるだろうと見ている。
炭鉱側は、事故再発の危険が高いという理由で遺体の発掘も行わずに炭鉱を閉鎖した。
ノートに自らの体験を書き始めた理由を金さんは、「死ぬ前に、厚かましい日本からまともな謝罪
を受けることは難しそうなので、胸の中の蟠りを解消するためには、何か残さなくてはならない。」
と述べた。(抜粋)
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