08/09/23 20:07:44 h15aZLuH
>>399
丁寧なレスありがとうございます。
しかし、僕の場合、認知療法をする意味が少し欝とはちがうんですよ。
僕は一応鬱病と診断されてますが、精神症状は今はほとんどなく、
ガンコに残り続け、毎日僕を苦しめてる身体症状、具体的には微熱と熱痛、倦怠感などが問題なのです。
薬物療法は色々ためしましたが、もうこればっかりは認知療法と休養しかないよと言う事になったのです。
ただ、この4年の闘病生活を見て、そして今後を考えたら、医者は「長い時間はかかるだろうけど、治る」とおっしゃっています。
そして認知療法で歪みを整えた心で望むなら、治癒も促進されるだろうという事なのです。
僕が認知療法をするのは、痛みで苦しい時、苦しみからさらに新たな痛みを呼ばないように、
心を欝にしないように、心を穏やかに保つようにというのが主目的なのです。
だから特定の相手や、状況からコラム法で気持ちを分析する事より、心の安定を優先すべきかなと思うのです。
その認知療法的答えが「無条件の自己受容」がもたらすものでも、心が平穏になるならいいかも?
と思っているのです。どちみち痛いのからは逃れられませんからね。
それともやはり、自分と苦しくても見詰め合って、自分なりの答えを探すべきなのでしょうか?
その認知の歪みを解きほぐしたとき、さらなる心の安らぎがあるのでしょうか?