08/06/12 12:21:30 +le3Pga1
脇見主体の他人が以上に気になるというのは、無意識過程であって
目的を欠いている、だから、直接は目だけど身体性、緊張とかぎこちなさを
通して鋭い他人に読み取られる(伝わる)ことになる。
この無意識過程の、敏感に他人の存在を警戒する意識の動きは、目的を欠いている
空意識なのだわ、具体的に言うと他人を意識するのは、普通は何か用事があるから
意識するわけで(意識の指向性)普通の生活世界はそのように構成されてる。
ところが脇見主体にとってさえ、なぜ自分が他人を執拗に意識するのかは
隠されている。
わき見された他人にとっても、何か用事があるのかと思っても
そうでもないようだ。
なんだろう??と、中吊り状態にされる気色の悪さ。
それが何度か続くとアイツ、キモイとなる。
これは幻想でも妄想でもない。
脇見主体は、この不必要な意識の動きに翻弄され、他人を意識しないように
また視界に人が入ってきただけで監視するような意識のスタンスになるのを
制御しようとする。意識で意識を制御するという本来不可能な事態に陥り
他人が視界に入ってきただけで、自動的に賦活してくる、まるでもう一人の自分のような
意識、具体的には視線を制御しようとするがそれは不可能、それを避ける方法として
誰も視界に入れない、視線を逸らしまくる涙ぐましい努力(脇見スパイラルの始まり)。
社会生活とは人が満ち満ちている世界
どこを見ても他人、其の他人に空意識を向けないでかかわれないものか。不可能。
問題は平常心の意識に、賦活してくる、まるで他人に気を許さない警戒し
見張ってるような、もう一人の人格のような意識のありようだね。
これらの意識は無意識過程で制御は本来的に不可能、じゃあどうすべーか、これが課題だね