08/08/04 20:17:56 J4If+iUj
>>830
面白いですが、難しいですね。
害になることを言っていたら不味いです。ただ、害になるということが
正直いまいち掴めません。
意識の執着については良くHNさんが言っていたので、使わせて貰いました。
その部分には共感するということです。
意識の解放というのは、治癒の方向を指し示しただけのことかと思います。
例えば、キザ氏の「治さない」「考えない」もこれに相当すると思います。
その表現に貴方は違和感があるかもしれません。
神経症は意識の症状への執着が非常に強い状態でしょう。
だから、あるがままも意識の解放も、それを実行して治そうとする。
どんなに優れた表現であっても、症状を見てしまって、症状を治そうとする。
それはまだ意識が症状にがっちりとくっついた状態でしょう。
そこを間違わない人は恐らく居ないと思うんですよね。最初から執着は執着の
まま、不安は不安のままにはならないと思います。それ程に症状に対しての執着が
強固ということです。最終的には実際の手探りの中で、何となくの中で治癒に
至るのだと思います。そして、その状態を表現しているのが今の貴方の表現では
無いかな。それが本当の意味でのあるがままでしょう。
治癒の道は、馬に乗っていたら、その手綱を離してしまうようなことでしょうし、
自転車に初めて乗るときに補助輪や人の支えを全部外してしまうようなことだと
思います。