08/01/07 22:07:57 Iir6wcvv
>>589
混雑時の状況に慣れるため、行動療法での訓練と思って、
今日はスーパーマーケットに出かけてみた。
買い物カゴにいくつか食材を放り込んでしばらく店内を見て回ると、
いつものPDの発作がやってきた。
周囲に見て取られるほど動揺して、表情に出てしまいそうだったが、
このままではヤバイと思って気持ちを持ち直せたので、
グッとこらえらることができた。
一時はどうなるかとヒヤヒヤしたが、今は治まってよかったと思う。
かつて(就職の面談等で)、先生に自分の就職希望を
「普通の会社にPDの症状を理解されたうえで働きたい」と伝えたところ、
「普通の会社で、それはむずかしいと思う」と先生から返事を返された。
就職案件に書かれたうたい文句の「健康な、明るい人。」
そんな募集の文字を見ると、(希望が通らない)今では腹立たしくさえ思う。
もちろん、小さな会社とはいえ、利益追求が目的なのは理解できるし、
企業が社会的責任を維持できる人材を募集したい考えもわかる。
むしろ、それが当たり前の考え方と言えよう。
しかし、世に問いたい。
なぜ、PDに限らず、ニートや引きこもりを預かる施設がないのだろうか。
健康で明るく働きたいけれども、それができない人々が実際に多く存在するのだから、
国や社会は、なぜニートや引きこもりになったか?の原因を調べ、
そういった人たちの問題を社会の責任としてに
向き合わないのだろうか。
たとえ運動を起こして主張を届けたとしても、
おそらく真剣に向き合ってくれないのだろう。
現実なんてそんなものだ。