08/03/29 18:27:36 wodLXN+8
>>313
主治医に恵まれて治療中の私ですが、実は初めは崔Dr.が嫌いでした。
2回目の診察を境に大嫌いになったのです。
私は昨年の7月から9月の間に緊急入院1回と、救急要請を5回もしてしまいました。
退院の日。
MRIが必要だったので、大学病院を勧められました。
大学病院へ行きましたが、専門医が2週間も不在だったので、もうひとつの病院に向かいました。そして偶然水曜日だったので、崔Dr.が主治医となりました。
ジストニアの可能性があると言われましたが、違ったので良かったです。崔Dr.に実家に帰るように言われたので、
レポートや課題も心配でしたが、帰ることにしました。
316:優しい名無しさん
08/03/29 18:31:32 wodLXN+8
>>313(つづき)
2回目の診察で、崔Dr.に帰省中のことを聞かれたのに、とんぼ返りにつぎ、救急騒ぎのことをボソボソ話したものだから、先生はイライラとカチンときたのを全面に出してこう言ったのです。
「こんなに具合悪いのに、何で京都に帰ってきたの!」
私としては、姉の結納返しの予定に振り回された結果が、こうなだけであって、自分の意志で帰ってきたのではない、と言いたかったけれど、何も言えなかったのです。
そのときの診察室の空気のピリピリ感と言ったら、強烈でした。
三回目の診察では、貝のように話さない私に、
「もぅ怒らないから。」
と主治医。
その一言で、緊張と不安はピークになり、診察室で過呼吸が出て、帰りたい一心に立ち上がったものの、床に倒れ込んでまったのです。
真剣に転院を考えましたが、学校から一番近くて救急外来もあり、精神科もある、のは今の病院だけだったのです。
四回、五回、六回…としぶしぶ通っていました。
卒業して京都を離れるまでだから、と耐えていたのですが、その間に信頼感が芽生えてきて、
いまは完全に陽性転移状態なので本当に辛いです。
あのとき叱られたのも、私が心配だったからなのだと納得できます。
崔Dr.に掛かっている期間中、のある日、
過呼吸を起こし、ひどい鬱状態になり、統合失調感情症とヒステリーの疑いで、今年1月、
長岡京市にある病院の急性期病棟に入院しました。
卒業認定が迫っていたので医師の判断には従わず、2週間で退院しました。
現在は専門課程に編入したので、退院してからも毎週、崔Dr.に診てもらっています。
両親には、過呼吸では死なないし、入院もあり得ないから、頼むから実家から飛んでこないで欲しい、と言っています。
317:優しい名無しさん
08/03/29 18:54:14 wodLXN+8
>>313
話は
>>315 >>317 >>316
の順番です、ごめんなさい。話が抜けていました↓
そして退院から2日目、飛行機の第一便で、実家に強制的に帰らされました。
かと思えば
一週間後、姉の結納返しのため、父、母と、また京都へ。
両親を見送った後、薬の飲み忘れに気づき、おまけに具合が悪く、自販機も見つからなかったので、近くの交番で「お水を下さい。」と入って行ったはいいけど、
勤務交替の時間で、狭い交番に警官が8人くらいいて、私は不安と緊張で、硬直が始まっていました。
心配されればされるほど苦しく、警察官に周りを囲まれ、完全にパニック状態。
過呼吸になり、息を止めようとすると、止めすぎてチアノーゼになり、
硬直性けいれん、とゆう状態になり、呼吸困難に。
その場にいた婦警の判断により、救急要請され、直後に呼吸不全のため意識を失ってしまいました。
梅田から高速バスに乗ろうと待っていた両親に
交番から連絡が行ってしまい、いろんなひとに、かなり大迷惑を掛けました。
気づけばER。
ボスミン3投したらしく、6時間以上寝ていたみたいです。
2回目の診察で、…
318:優しい名無しさん
08/03/29 21:16:56 vkEESKJH
長文うぜえよ