07/12/08 20:53:53 8EZJSeFu
自分の願いや、自分にとってうれしいことなどがありそうな時
(例えば、好きな野球のチームがチャンスを迎えている時とか、携帯電話の調子がおかしくなったので治したい時とか
ずっとほしかったものを買おうとしている時などです。)
そんな時、「○○○の命を犠牲にしてでも!」とか、望んでもいないことが頭に出てきます。もちろん○○○さんは絶対に死んでほしくない人です。
こんなこと自分は望んでない、思いたくない、思ってはいけないと思うほど余計に出てきます。
そして、その自分の望み(上の例えで言えば、タイムリーヒット、携帯の復調、念願の商品の購入)が叶ったとき、とても恐ろしくなってしまいます。
いやなイメージや映像なら、自分にとってはまだマシなのですが、これがくるとキツイです。
「自分はあの人の命を犠牲にしてまでそうしたいと思った。恐ろしい人間だ。もし本当にあの人が死んでしまったら…。
いや、いつかは必ず死ぬだろうし、結局自分のせいだと苦悩することになってしまうかもしれない。」
という思いが頭をぐるぐる回ります。
「あの人が死ぬかもしれない」という強迫観念だけではなく、「自分は、あの人に死んでほしいと頭のなかで言った」という事実があるので余計つらいのです。
とにかく、自分は本心では死んでほしいなどと望んではいないのだし、
「犠牲にしてでも」というのはOCDによる架空の思いなのだと自分に納得させるしかないのでしょうか?
いつの日か○○○さんが死んだら、自分のせいだと思い、気が狂ってしまうかもしれない…。