08/02/25 15:29:13 oQXSpvcw
ちょっと前にAS当事者個別の特性や内面的な能力の話、それらと世間一般
でのAS(自閉圏)への理解(誤解)への不満が書かれていた。
個別的な理解への欲求は理解できるんだけど、その反面、「定型」と言う言葉を
安易に使い過ぎている様な気がして気になった。
AS当事者が周囲の誤解に不満を持つ様に、「定型」当事者もASの誤解に不満を
持つんじゃないかな、と。
「定型」と言う言葉は、「(診断済みの)発達障害持ち以外のその他大勢」と言う位の
意味しかないと思うし、未診断の発達障害持ちも含んでいる事を考えれば、AS当事者同様に
多様性に富んでいると思う。
そういう意味では、どっちもどっちかな。
話は変わって、「多数派」とか「定型」とか言う言葉のイメージの問題なんだけど、
特定の言葉を使って表現される集団に対する特別な感情(多くはマイナスイメージ)を
思い起こさせられ、あまりいい気分ではない。
マイナスイメージを含ませて「定型」とか「多数派」と言う言葉を使っている分には構わないと思う。
そうでないなら、少し考えてみる必要があるかも。
まあ、お互いに想像が及ばない存在であるが故に、お互いに相手が無神経である様に
見えているだけなのかも知れないですけどね。