08/08/26 16:21:44 uzGz+PG0
宗教の本質は「救済」にあると思われている方も多いと思いますが、宗教とは宇宙を示す教えであり、
その本質は神の心とその神と人間との生命関係に尽きています。
救済は「ひとつの心」である「神の心」に各人の生命が向かい、その生命の進化程度に比例して
この世に現象化してくる「利益」ですから、救済は宗教の本質とは言えません。
これはひとつの結果であり、物質を意味しているからです。
この点を理解しておりませんと、生命の向上もないのに救済だけを求める御利益信仰に堕ち、
また何を説いても救済はない世界となります。
しかも救済を目的としておりますので、それが決して悪であるとは未熟な人類の場合、気づきません。
神の心が我々にとって永遠の目的である理由は、神の心は永遠になくならないからです。
宗教も同様に「救済」を目的としますならば、矛盾から抜けられなくなります。
「救済」もまた神法上は「利益」を意味しているからです。
すなわち救済を目的とすれば方便の宗教に堕ちるということです。
この世を縁として確かに地獄界があり、苦悩があり、犯罪があるゆえに、この生命の未熟を前提として、
これが表現した世界を見て、だから地獄をなくすのだ、苦しんでいる人達を救うのだといった
認識過程から出てきた目的であるということです。
物質観から出てきた目的であるため、その本質として矛盾しているということです。