08/06/19 19:47:24 c5XL8nZl
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もし、名号を与えようとする働きが名号自体に込められていて、
そのことが本願文に誓われているのなら、
本願が成就した時点、すなわち名号が完成した時点(十劫の昔)で、
十方衆生にその名号が与えられ、十方衆生は信楽を獲て、
十方衆生はとっくの昔に浄土往生を遂げているはずです。
つまり、山田氏の主張は十劫安心そのものになるんですよ。
「名号という薬が完成したこととその薬を飲んだこととは違う」
という説明で親鸞会は十劫安心を破邪していますが、
もし「薬を飲ませること」まで本願に誓われているのなら、
本願が成就した時点で十方衆生は救われているはずなのですから、
十劫安心を肯定することになるんですよ。
これは重大な誤りです!
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「若不生者不取正覚」の「生」に「信楽」に生まれさせるという意味も含まれるのなら、
本願が成就した時点で十方衆生は信楽に生まれさせられているはず。
本願は十劫の昔に成就している。よって、
チューリップ企画山田氏の主張 = 十劫安心(異安心)の肯定
が導き出される。