坐禅と見性第57章ろうそくの炎を吹き消せat PSY
坐禅と見性第57章ろうそくの炎を吹き消せ - 暇つぶし2ch323:(。~ー~)(~ー~。)ポッたん ◆PottanMz5k
08/05/24 17:04:01 yJemBOTO
「一顆明珠」の巻き:

在家の頃は釣りが好きで、舟を南台江にうかべて漁をしていた。
この人は天性の才能を持っていたのか、唐の咸通の年に突然に出家を決意した。
舟をすてて山に入った、30歳のことである。
浮世の無常をしり、仏道の貴さを知ったからである。
ついに雪峰山に登りって、真覚大師に師事して修行に励んだ。
 ある時、広く諸方の師家を訪ねようと、頭陀袋をもって山を下ろうとして、石に足の指をぶつけて、血が流れ、激痛を覚えた。
突然、猛反省して、言った。
この身は空であり、実在ではないのに、この痛みは何処から来るのだろうか。
ただちに、雪峰山に帰った。
知識と実際に行うことは違う。
知識は生かされなければらない。
 
 ついに玄沙和尚は悟りを啓き、人々に全世界は一顆明珠であると説いた。
ある時、一人の僧が質問した「全世界が一顆明珠であるとは、どのように理解したらよいでしょうか?」
玄沙和尚が答えた、「全世界が一顆明珠であるということを概念で理解してどうしようとするのか」
 この「全世界は一顆明珠である」その趣旨は、全世界は広くなく、狭くも無く、四角くなく、円形でもない、偏りが無いものでもなく、躍動しているものでもなく、出現して永遠に続くものでもない。
生死去来と概念で捉えられるものではないので、生死去来そのものである。
 それゆえに、過去もそこから去ったのであり、現在はここに実現しているものである。
過去も、現在からみたところの過去であるから、すべては現在から現れるのである。

このように「全世界は一顆明珠である」と捉えるならば、だれが現在と過去を区別するであろうか、だれが不動なものであると捉えるであろうか。
全世界というのは、休むことなく自分体験の連続である。
 感情で対象を追うと、智慧の眼で対象を認識することは出来ないと弟子が分別したのに対して、これを隔てたままにしておけ、と言った師も有った。
この真実は真実の瞬間以前のことであるから、要点のみをつかまえることは出来ない、全世界をそのままつかまえなければ成らない。
 一顆明珠は永遠であり、過去を今現在に含むものである。
あちらの木、こちらの草、悠久の山河もまた他ならない明珠である。
存在は、意味である。
一顆明珠は自分の真実のこころである」。


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