08/06/05 00:35:52 3lkoG/vQ
>>359
>1+1=2は、指の本数で一本二本と数えたり、石ころをひとつふたつと
>数えたり、といった具合に、物理的実体(PE)の写像として、また
>その物理的実体(PE)の中で育まれた感覚記憶(=理性)を支えとして
>成り立っているわけです。
科学は物質的なものこそ実体そのものであると認めているが、宗教は物質的な
ものの中に実体を認めていない。そのものの存在から物質的なものを取り除い
たものこそ実体だと教えている。
唯一最高の法則や論理を見出せれば、確実な真理を得ることができるかもしれない。
そして、すべての者がこの論理を使えば誰もが同じ結論になり、対立も起こらず世界
が平和になるかもしれない。だが、世界に究極の論理思考はない。たんに相対的な論
理があるだけだ。二つの思考の結果を比べて、どちらが劣っているか、優れているか
を言うことは不可能である。
このことをもっとも単純な掛け算、割り算でみてみよう。
・掛け算:1×2=2
・割り算:1÷(1/2)=2
このふたつの式はまったく同じであり、それは誰も疑えない真実であると思いたいであろう。
だが、すべての者がそのように考えるかどうかは確定できない。こうした式を抽象的に考えず、
具体的にしか考えられない者がこの式を見たとすれば、不満をもらすに違いないのである。
りんごをイメージして考えてみよう。まず掛け算のほうは、1個のりんごを倍にするという式である。
したがって具体的にしか考えられない者にとっての答えは、2個のりんごである。
そして、割り算の場合は、1個のリンゴを半分にするということである。彼が導く答えは、
半分に切られたリンゴが2個となる。 掛け算ではリンゴが2個となり、割り算ではりんご
は1個分にしかならない。従って彼はこの二つの式を同じであるとは絶対に認めないだろう。
われわれは彼を説得できるだろうか。そして彼が絶対的に間違っていると誰が主張できるだ
ろうか。誰が証明できるだろうか?。