08/05/11 21:18:50 0my1kESe
>>596>>607 おぬしは愛に依存し過ぎるようじゃ。
それは寂しさから来ておる。愛とは便利な言葉じゃ。
執着を隠す事が出来るからのう。
誰も自らの望むような悟りを得る事など、出来はしない。
ただ大いなる意識に返る事が出来るだけなのじゃ。
自らがただ一つの意識であると感じたなら、そこにはもはや愛すらない。
愛と言う概念も、言葉も、感情も、自分と、他人との間の絆に対する言葉とイメージに過ぎないのじゃ。
本当に一つならば、そこには言葉も概念も無い。
肉親が死ぬと哀しんだり、苦しんだりするのは、死というものが未だ判っていないからじゃ。
死は無い。
誰も消え去りはしない。どこかに行ってしまうのでもない。
死後も生前も無い。自分と他人も無い。
愛に執着し、愛に依存しているおぬしに言うべき言葉は、おぬしが語っている言葉は真の愛ではないという事じゃ。
それは執着の一変形に過ぎない。
本当に悟ろうとするなら、それをも捨てなければならない。
真の愛を知るには、今抱えている偽りの愛を捨てるしかない。
他人の欠陥を見るのは容易いが、自分の執着を観るのは難しいものじゃ。
おぬしが本当に偽りの愛への執着を捨てられるのか、見届けさせて貰おう。