08/05/11 03:20:44 rgmoIaNs
「何故わたしが…」 動物に比べて人間は理性が発達し、感情も豊かなため、
身に降りかかったことについていちいち理由を問わずにいられないという習性を持っています。
とくにそれが不利益な事柄であればあるほど頭だけでなく心理的にも納得がいかなければ
事実を素直に受け入れることが出来ません。
「…アッラーの思し召しで」「…前世からのカルマが今生で」「…自らが起こることを決めてこの世に生まれ」「……神は全てをみそなわす、来世にはきっと幸せが」……etc
しばしば耳にするこれらの説明は、すべてこの世の不条理な出来事に呻吟する人を慰め、
怒りをもつ人をなだめる役割を果たしてきましたし、今もそうです。
それが本当かどうかを確かめることはできないけれど、そう信じて、あるいは自らに言い聞かせることで多くの人々が目の前の人生の不条理を乗り越え、明日に希望をつないで生きることができています。その意味で古今の宗教は大きな意味ある働きをしてきました。
が、実際のところ、これらはすべて心理学でいうところの「合理化」であると言えます。
龍賢さんが盛んに主張する、因果の法則だの、明るい面だけを見て都合の良いように考えるプラス思考とやらも、同様に「合理化」の一種でしかありません。
ですが、悟りの道は合理化の道ではありません。過去に因を求めず、また未来に果を求めることもありません。ましてや今のありようを都合よく解釈する道ではありません。
今の自分の(心の)ありようを苦しくとも直視して自分と全面的に向き合う道です。
お間違えなきよう。
>>706
酒は大好きですが、タバコは吸いません。
あーあ、買い置きの酒も尽きました(-_-;) おやすみなさい。